第49話 立つことについて語ろう

 まずは座学……というほどではないが、簡単に方針を説明する。


「他の人はどーか知らんけど、オレの場合は何事においてもバランスを重視する。絶対的に、最初に行うべきはそれぞれに最適なバランスを見つけること」


 優先すべきはバランスの獲得であり、その他は全て後に回して良い。


 もともと生き物のほとんどは本能で、それぞれの生活に相応しいバランスを持っている。

 しかし、知恵を得たことで本能の生活から外れる行動が根付いた結果、人間の大半はそれを幼い内に失ってしまうようになった。


 そんな状態ではフォトジェニックであることなど望むべくもない。


 まずは本来の自身を取り戻さなければならない。


「はいはーい! モデル立ちとかは覚えなくていいの?」


 手を挙げて質問をする奏。指名していないのに発言するのか。


「そんなものは後だよ。今やろうが後でやろうが、付け焼き刃なのは一緒だから大して変わらん。和服でそんな立ち方すんのかとも思うし」

「モデル立ち……って何?」


 凪沙はそもそも縁がなかったのか、挙手も無く質問を飛ばしてくる。挙手制でもないから別に構わんが。


 ファッション誌を読んでいる奏は知識があるから習得は後回しでいいかと思ったが、知識がない状態であれば目指すべき姿を知っておくのは重要か。


「んじゃ、簡単に説明だけしておこうか。分かりやすく言うと、モデルの人がよく使う見栄えのする立ち方を俗にモデル立ちと呼びます。こんな感じね」


 オレはメジャーな立ち方をする。


 直立の状態から気持ち前に出した右足をハの字に開き、顎を引いて目線を斜め下に落とす。

 片手をポケットに入れれば良く見るポーズだろうけど、今はオレもハーフパンツだ。左手を軽く曲げて指先を腰の陰に隠す。


「男だとファッション誌を見たら、大体こんなポーズが何枚も写ってると思うよ」

「おおー……、突然モデルになった……」

「すごいなあ。少し立ち方を変えただけで、キリッと印象が変わるんだね」

「女性誌だとこんな感じのポーズが多いね。男女で魅せるところが違うから、二人が目指すのはこっちね」


 直立に戻した立ち姿から女性のモデル立ちへと移行する。


 右足は先ほどとは違って明確に一足分を前に出す。こうするとカメラに対して、今の場合であれば二人の視線に対して、オレの身体の向きがおよそ四十五度の角度を付ける。

 爪先を開くのも角度を狭くする。ハの字をアルファベットのVにする感じと言われている。反転しているから分かり辛いが。

 この際、前に出している右足の先端は正面に向ける。後ろ足で開き具合は調整する。


 人間が太く見える角度というのは部位によって異なる。


 胴体であれば正面から見た場合が一番太く、横から見た時が一番細い。肥満体型の人間は痩せてから確認しろ。


 かと言って、横から写真を撮るだけでは服の魅力はアピール出来ない。

 なので斜めに立つことで、シルエットをすっきりさせつつ正面から撮れるようにするわけだ。


 オブジェクトに奥行きが出ることで立体感――すなわち平面上に現れる三次元的存在感も加えられるのも利点だ。


 足を正面に向けるのも、まっすぐに滑らかな美しい脛の骨を魅せるためだ。正面を向けた方が細く見えるのはそうだが、人間は古来よりまっすぐな物、なめらかな物、まろやかな物に美しさを感じるのは分かってもらえるはずだ。


 オレは人体の表面から窺える美しい要素になりうる骨はおおよそ三箇所あると思っている。


 鼻骨、鎖骨、そして脛骨だ。

 最もゴマカシの利かない骨も脛骨である。なんたって、足に化粧をする女はそういない。


 立ち姿で足が美しい女性はそれだけで他者よりワンランク上の姿を持っている。


 ポーズはすでに八割方完成している。

 後は顔をカメラに向けて表情を作る。男の場合は無表情が味になるが、女の場合は表情が最終的な雰囲気を形づくる。

 足先から作り上げた雰囲気を固定させるのが表情であり、ここのイメージがぼんやりしていると締まらない。


 オレの衣服が今はハーフパンツにシャツなので、開放的かつ野生的な、脈動感のある女性をイメージする。作る表情は微笑み。顔面を覆う全ての筋を使って、ささやかに口元だけを歪める。


 余った腕でワンポイント。ひねるようにして後ろ手を身体で完全に隠し、右手を振って身体の前方に踊らせる。

 少しチャーミングなパフォーマンスをしたところで、定番通りに右手は腰に添えた。


「こんなもんでいい?」

「うん……」

「すごーい! さっきまで男の人だったのに、急に女の人になったよ!? なんで?!」


 呆けている凪沙と逆に興奮している奏。


「外見における男女の性差は、身体の魅せ方と意識によるところが大きい、ってコトだね。オレが事前に『女性』の立ち方だって伝えた部分もあるし」

「えっと……意識とは遙くんのイメージだけじゃなくて、私たちの認識って意味もある?」

「もちろん。モデルになるには絶対に必要な要素が一つだけある。それが分かる?」

「さっきも言ってたバランス?」


 オレは首を横に振った。


「必須ではないね。モデルをやる上では欲しいと思うけど」

「はいはーい! カメラマン! 写真とか動画に残す人がいるよ!」


 再び挙手をして勝手に答える小学生。落ち着きがないな。

 しかし解答は惜しいところを行っている。


「おまけして正解にしてあげてもいい、かな?」

「うーん……、それならハズレで。おまけしてもらっても、あたしは調子に乗るだけだし」

「ハズレってワケでもないから。調子には乗らないように気を付けてもらうとして」


 前足と後ろ足を交差するようにして、縦に並べる。スッと降ろした両手の指先を添えると、膨らみだした蕾の印象が芽生える。

 オレの中で育てたそのイメージを、視覚を通して二人にぶつけた。


「……っ」

「なんか……また印象が……」

「少しは分かってもらえた? オレは今、二人に対して印象を操作したんだけど――でもそれは、オレを客観視してくれる人がいないと意味を成さないってコト」


 モデルは表現者ではあるが芸術家ではない。

 パフォーマンスを金銭に変えるのではなく、金銭によってパフォーマンスを行っている。


 服を売る為の職業なのだから、当然だ。


「モデルは、観てもらえる相手がいて、ようやく成り立つ仕事なんだよ。オレたちを紙面で観るのか、デジタルの画面で観るのか、カメラのレンズを通して観るのかはあまり関係がなくて……オレを観る人に伝えなきゃならない。意識すべきは、相手がオレをどう認識するか」


 またしてもポーズを変える。

 下半身はどっしりと根を下ろす泰然自若とした男性、上半身には変幻自在の舞姫を演出する。


「うわ……、なんかすごい混乱する」

「頭おかしくなりそう」

「だろ? 観てもらう人にそんな感想を持ってもらっちゃいけない。オレが着ている服を着てみたらああなれるかも、そう憧れてもらう」

「憧れ、かあ……」

「そのために必要だと思うのが正しいバランスの取得だと思う」


 ポーズ取りをやめて二人に視線を向ける。


「説明は終わりにするけど、否やはないね?」


 奏と凪沙は瞳を爛々と滾らせて頷く。オレの自惚れでなければ――その眼には憧れが宿っていた。

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あめつちのポートレイト 近衛彼方 @kanata0101

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