第48話 七星くんは水に流す
――改めて。
凪沙と奏にはタンクトップとハーフパンツに着替えてもらい、オレもまた同様の薄着になった。
トイレに籠もって時間を空けたオレは幾分冷静になっている。
事前に準備しておけばよかったのに、そこまで頭が回らなかった。普通に考えれば異性の部屋で下着姿になれ、だなんて戸惑って当然であり、やっぱり凪沙はちょっとおかしく奏の反応が正しいのだと思う。
ストレスを受け続けると精神に良くないことを実体験した形だ。戒めとして忘れないようにしよう。
「あの……ごめんなさい」
オレが黙り込んでいることに、奏は探るように再び謝罪の言葉を投げかけた。
「もういいよ。夕暮さんからも頼まれたし、希望通りにノウハウを叩き込んであげるよ」
口を開けば謝られるのにも疲れてしまった。オレの態度も少し……いや大分良くなかったところがある。
「それと、目的のためなら『なんでもする』って言うのと、土下座で力押しするのも辞めた方がいい。弱みを見せたら簡単に食い物にされる。そういう話の多い業界だから」
「はるかが相手だったからしたんだけど……。他に言葉も手段も思い浮かばなかったのはほんとだから、気を付けるね」
しゅんとして受け答えする奏に対し、未だに今回の要件を知らされていない凪沙は首を傾げていた。
「ノウハウ、って何の?」
「オレが教えられるノウハウなんてモデルぐらいしかないでしょ」
「……どういうこと?」
凪沙はさすがに実家が事業を運営しているだけあり、技術などの継承について思い当たる節があるようだ。
というより、その問題で悩んでいる彼女にとっては訝しんで当たり前か。
事情を説明するよう、奏に顎で促す。
奏は愛想笑いを浮かべて、両手の人差し指を遊ばせながら言葉を選んだ。
「はるかの撮影を見学したくて、夕暮さんに連絡を取ったの」
「あぁ……、そういえば遙くんに断られてから、心当たりに連絡するって……。よく夕暮さんの連絡先を知ってたね」
「担当してる雑誌は分かってたから。交渉の結果、見学する代わりに、あたしとなぎさが読者モデルとして参加するって話に……」
「そうなんだ。……そうなんだ!?」
相槌を打った凪沙が目を見開いて、オレに確認を取る。残念ながら、と頷いた。
「えっ、モデル? 私と奏ちゃんが? なんで?」
「夕暮さんがじゃなきゃダメって……。でも、ほら、やったネ! はるかの撮影現場を近いところで観られるヨ!」
なんだか詐欺師みたいな上がり口調でポイントアピールする奏。
耳にも入っていない凪沙は額に手を当て、くらりとよろめいた。思わず背中を支える。
「それで足を引っ張らないように、とオレのところに押しかけてきたワケ。怒っても仕方ない……よな?」
「そうね。奏ちゃんを放置して、私とめくるめく大人の階段を登るのが良いお仕置きだと思う」
「それは違うでしょ!」
寄り掛かってきた凪沙を奏が引き剥がす。
先ほど冷静さを取り戻したからまだ大丈夫です。
「でも、私はモデルなんかやったこともないし、出来る気もしないし、今後の職として考えてもいないけれど。私だけ断ることは出来ないの?」
不安げに凪沙が尋ねる。
勝手にガチの仕事を決められていたらそうなる。
「安心していいよ。言っちゃ悪いけど二人は枯れ木、賑やかしだって夕暮さんに確認したから。ま、ダメなら使われないか、ダメな写真が使われるだけだし」
「ダメな写真を使われるのは嫌なんだけど……」
「うん。それで今日は、多少はマシな写真にするべくオレがノウハウを教える、って話ね」
「なるほど……。ようやく話が理解できたかな」
「こんなチャンス、滅多に無いんだから! あたしがこれだけ身を投げ売って得たチャンスを捨てるつもり!?」
「奏ちゃんは自業自得でしょ。もう少し思慮を覚えた方がいいよ」
「うっ!」
容赦ない言葉の槍で貫かれた奏が胸を押さえてうずくまる。
地雷を的確に踏み抜いていく生き方をしているのだから、もう少し綺麗な地雷掃除の仕方を覚えるべきだと思う。
凪沙は息を吸った。
「……滅多にない機会だっていうのは確か。貴重な経験が出来るのは嬉しいけど、遙くんは私みたいな素人が加わってもいいの? どれほど意気込んでいるかは私も近くで見て知っているから、邪魔になるようなら辞退するよ」
「大丈夫。オレと一緒にメインを張るモデルはちゃんとプロを呼んでるってさ。だから気楽に……とは言わないけど、参加を止めたりはもうしない。夕暮さんの采配に口を出せるほど立派な経歴を持ってるワケでもないしな」
冗談めかして答えると、ふっと笑って凪沙も頷いた。
「それなら参加させてもらおうかな。想像と違ったけれど、初体験には変わりないし」
「そろそろ下ネタやめてくれませんか?」
「私の裸を見ておいて、何にもないのが気に食わない」
何にもなくはなかったが、オレは言及せずに黙った。ヤブをつついてはならない。
「なんだか……あたしへの対応より優しくない?」
縮こまって画面外から問いかける奏の言葉に、オレと凪沙は目を見合わせた。
「そりゃそうだろ。奏が変な嘴を挟みまくって、今だぞ。当たりもキツくなるわ」
「私を勝手に巻き込むし、遙くんの都合は考えないし……。十分、優しい対応なんじゃない?」
「うう……、はい、あたしが悪うございました……」
ずぶずぶと沈んでいく奏。
オレは溜め息を吐いて、その頭を優しくぽんぽんと叩いた。
奏がゆっくりと顔を上げてその涙目で、膝立ちになったオレと視線を合わせる。
「すごく怒ったせいか、精神が落ち着いてきたから悪いことばっかじゃなかったよ。余裕が無くて、オレの態度が酷かったトコもあると思う。そこはごめん」
「はるかぁ……!」
「振り返ってみると、感情のバランスが取れてなかった。揺さぶられたおかげで整ってきたのを感じる。それに夕暮さんの了解もあるんだし、オレからは責めないようにする……次は別の手段にしてほしいけど」
「ううん、あたしが悪いんだから。今後も同じことをやるようなら、きちんと掘り返して言ってよ! やるつもりはないし気を付けるけど、未来は分かんないし。あたしも謝るだけの人間にならないよう、頑張るから!」
この切り替えの早さはオレも見習うべき長所だろうか。
話が終わらせようという意志を共有した直後、瞬く間に涙を乾かした奏の瞳は、すでに次のことを見据えていた。
「それじゃ、全員の認識がフラットになったところで、先に進もうか。オレの自己流、しかも付け焼き刃になるが、ノウハウを二人の身体に叩き込んでいくから覚悟して」
手を引いて立たせた奏が唾を呑む。ゴクリと緊張の音が響いた。
さて、まずはやはり体格と骨格の診断から――と考えたオレの思考に「その前に一つだけ確認してもいい?」と凪沙の質問が割り込んだ。
「もちろん。進め方については凪沙の都合もあるだろうし、一つと言わず都度確認してよ」
「私も感情を揺さぶるのには役立った?」
「……多少ね、多少」
言葉に詰まるオレを見て、奏は頬を膨らませながらタンクトップに手を掛けた。
「タイミングが悪かっただけで、奏よりあたしの方が……っ!」
「特訓を開始する! 二人とも直立しなさい! 早くっ!」
前途多難である。
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