第5話 初仕事。
そして、初の土曜日、僕は正式に彼女の担当になった。
具体的には土曜日のお昼過ぎ、一日で一番太陽が高く上りそして一日で一番気温が高くなるそんな時間に僕は家の扉を叩く。
トントントン。
「はーい!今開けますね!」
家主は待っていましたと言わんばかりの明るい声色で返事をする。
僕は「ふぅ」と深めに一呼吸し、家主を待つ。
軽やかな足跡がこちらへ向かってきたかと思えば扉がガチャリと開き笑顔の家主が「お待たせしました」と歓迎してくれた。
そう、彼女である。僕は毎週昼過ぎに彼女の家に向かう。
僕は彼女とも初対面ではないし、仕事内容はきちんと予習しシミュレーションもしてきた。
その上で今日ここにきているのに、やはりなんだか緊張している。
よく著名な方が「緊張というのは完璧に練習していれば普通しないものだ。自分のしてきた準備に不安があるからするのだ。」などというが僕はいまいちピンとこない。
ただ、世の中からすれば僕もまだまだ準備が足りないということなのだろうか?
とさまざまな思いを巡らせしばらくしニヤッと口角が上がった。
「あぁ、これは楽しみなんだ……長い期間不思議で不思議でたまらなかったことがわかるかもしれないチャンスなのだから。これはいわば武者震い的な物なのかもしれない」
そう考えついた。
不安がなくなり楽しみに変わったその瞬間、彼女が初めて会った時のような表情をし「どうかしましたか?」と顔を覗き込んできた。
プツンとピンとはった糸が切れたように我に帰り、「これは申し訳ない。」と軽く頭を下げた。
「よかった。何度声をかけても返事がなくてビックリしたんですよ。とりあえず入っちゃってください!」
眉を八の字に下げて、それでも笑って彼女は言った。僕は「また、やってしまった」と恥ずかしく思いながら「失礼します。」と玄関を背に奥へと進んだ。
玄関を後にした僕はリビングに通された。部屋は如何にも女性だなと思えるような可愛らしい部屋だった。
ただ、僕のイメージする女性の部屋よりもシンプルで物が少ないように思えた。
キッチンとダイニング、リビングが一部屋にまとまっているからこれはいわゆるLDKというのだろう。パッと見る感じキッチンはとても片付いており、だからと言って自炊をしていないようには見えずまめに片付けができる、そんな方なのだろうと思った。
ダイニングにはテーブルと二つの椅子があり、さっきまでここでパソコンでもみていたんだなと思った。
なぜならば、片方の椅子は引かれている状態だし、テーブルには飲みかけの温かい飲み物とパソコンが置いてある。
パソコンは開いたまま置いてあり、飲み物はまだ湯気が出ており、飲み口であろう部分は少しピンク色に変わっている。
キッチンの片付き方や部屋が整頓されている雰囲気を見る限り飲みかけの物やパソコンを片付けないなんてことはないだろうからさっきまでそこで作業していたのが伺える。
そして、リビング部分はベージュのラグの上に低めのテーブルと落ち着いた緑色のソファ、そしてテレビがある。
壁には絵がかけてあり、寝るだけの生活感のない必要最低限のものだけ置いてある無機質な僕の部屋とは大違いだなと感心した。
「シンプルさで言ったら同じなのに一体何がここまで印象を変えるんだ?」と首を捻ったが一秒もたたずに「玄関での沈黙を繰り返してしまう」と頭をふった。
一通り部屋を見終わった後彼女の方を見るとキッチンに立っている。
「その辺適当に座ってください」
彼女がそういうので僕はソファに腰を下ろした。
もう一度部屋をぐるりと見渡す。
「あの絵なんてオシャレすぎてどこに飾ればいいのかなんて僕には見当もつかないぞ」一人で家具の配置を見ては彼女のセンスに驚いている。
「おしゃれですね……」
頭で思っただけなのに声に出てしまっていたようで、キッチンから「そんなことないです!恥ずかしいなぁ……」と声がした。「しまった」と思ったけれど事実だから問題もないだろう。
「先生はコーヒーと紅茶どちらが好きですか?」
数秒の沈黙ののちキッチンから質問が来た。
「コーヒーが好きです。」
そう答えると、自信に満ち溢れた声で「だと思いました!」と聞こえた。僕は思わず笑ってしまい、「それは、後出しなんじゃないですか?」とイタズラっぽく聞いてみた。
「違いますよ!私はあった時から先生はコーヒー派だと思ってました!病院の先生ってコーヒー好きな人多そうなイメージですし。ちなみに私は紅茶派です」
とコロコロと変わる声色と共に落ち着く香りがしてきた。「紅茶か……今度来る時は紅茶に合うお菓子でも持ってこよう」そう考えながら「紅茶が好きなんですね」と返事した。
「好きなのは好きなんですけど、コーヒーってどうしても苦くて私飲めないんですよ……あれは飲み物じゃない!とは言いませんけどね」
「おこちゃまだ……」
彼女の意見に意地悪な言葉を投げる。コーヒーが飲める飲まないで子供も大人もないし、あってはならないとは思うが敢えてそんな子供じみたことを言ってみる。これじゃあ僕の方が子供だなと思って笑っているとこちらへ来た彼女が
「子供じゃないです〜〜」
と不機嫌そうな顔をしていた。
「ミルクとお砂糖は好きにしてください」
「いえ、僕はブラックが好みなのでこのままいただきます」
そんな会話をした。
この人は僕がコーヒーを飲むかもしれないと思いコーヒーを用意してくれたのかと思うと本当に丁寧な方なんだなと感心した。
2人で紅茶とコーヒーを飲みながらさまざまな話をして過ごした。
「もう少しで春ですね、こちらへ向かう時氷が溶け始めていました。」
「冬も好きですがやっぱり春が待ち遠しいです。」
「なぜですか?ここで暮らしている限り季節はあまり感じませんし、特に違いもありませんよね?」
「先生、季節にもきちんと顔があるんですよ。冬から春への移り変わりは一番顔が変わります。それに私は春が一番好きです。花々が綺麗に咲く季節だから」
そんな話もした。「彼女と僕は根本的に色々なことが違いすぎる」と感じた。
沢山話をし、日も落ちてきた頃彼女がとても眠そうな顔をして大きなあくびをした。
「先生とお話していたら私眠たくなってきちゃいました」
あくびで出た涙を拭いながら彼女はソファに深く座り直した。
「そのようですね、ですが大丈夫ですよそのまま眠ってしまって、前回の先生と同様僕はあなたが眠ったことを確認したら帰りますから」
安心させるよう伝えると「ありがとうございます」とポツリと返事をしたのち彼女は眠った。
「さて、仕事だ仕事」そう自分を鼓舞しおかわりしたコーヒーをコトンとソーサーへ戻し、本題の仕事を始める。
「えぇと、これをこうやって……」
部屋は先ほどとは打って変わって静かになった。時計と男の呼吸音のみがはっきりと聞こえる。
「よし、終わった」
作業を終え立ち上がり外を見る。街は寝静まったかのように静かだった。
彼女を抱きかかえ扉を開けた。やはり思った通りここが寝室だ。勝手に入るのは気が引けるが彼女を寝かせるだけだ。
「さすがに、ソファで寝かせるのは気が引けるし、それじゃおやすみなさい。」
テーブルに書き置きを残し起こさぬよう彼女の家を後にする。
家を出た僕は思い切り伸びをした。
初めての仕事が終わった。あっという間だったな。今日は夜も遅いし、データは家に持ち帰り明日研究所に持って行こうとまっすぐ自宅に向かった。
その夜僕は無機質な部屋で驚くほど深い眠りについたのだった。
毎週土曜君は死ぬ 泳田颯 @OyogidaHayate
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