第4話

 馬車が会場についた。

 扉が開かれ、クロードが軽やかに降りようとすると、待ち構えていたのは第二王子のクレマン。


「お待ちしておりました『夜明けの姫君』……。ああ、なんてお美しい。ダンスを申し込みたい」

「殿下、殿下。仲間グルであれば承知の上でしょうが、私ですよ私」


 手を取られて馬車を降りながら、クロードは小声で注意をひく。クレマンは王族ながら騎士団所属で、まさにこの休暇を二つ返事で了承してくれた上司でもある。女装しているとはいえ、クロードは見慣れた部下。あとから「あのときの賛辞を返してくれ」とふっかけられてはかなわない。

 しかしクレマンは、余裕のある表情で「知っているとも」と答えた。


「君が会場に顔を見せたら、大騒ぎになるぞ。その美しい装いが叔父上のためというのは、まったく妬けてしまうね」

「妹のためですよ。閣下がどんな方か見定め、できれば婚約の申し入れを撤回させる。諦めが悪いようだったら弱みを握ってあらためて説得お願いをする。それだけです」

「はっはっは。いつもと変わらぬ物騒なことを言っていても、心が蕩けてしまいそうだよ。んん~、ちょっと私と休憩の小部屋に行こうか」

標的ターゲットは殿下ではありません」

「残念。だが場所はわかるだろう? 閣下を連れ込むならあそこだよ」


 クロードは冷ややかな無言を返答とし、厚い絨毯の敷かれた長い廊下を進んで、会場へと足を踏み入れる。

 途端、ざわっと空気が揺れて、話し声が絶えた。遠くで楽団の奏でる楽の音だけが、流れ続ける。

 やがて、「なんてうつくしい」「どこのご令嬢?」「今までお見かけしたことがない」「殿下と一緒ということは身分のある方に違いない」と囁き声がそこかしこから聞こえだす。


(殿下が横にいるおかげでずいぶん注目を浴びてしまったようだが……、バーゼル大公はどちらに? 見慣れぬ要人は……)


 クロードは素早く周囲をうかがう。会場中の視線が向けられているが、中でもひときわ強い視線がチリリと神経を撫でた。

 ぱっと振り返ると、濃い藍色で上下を揃えた盛装の、見覚えのない男がひとり。

 濡れたような艶やかな黒髪に、澄んだ空色の瞳。

 視線がぶつかったところで、男がジャケットの裾をなびかせて颯爽と歩いてきた。


「まるでビュシェルベルジェール山の山頂から見たあの日の朝焼けのような姫君……」

「……!?」


(この男、なんて中途半端なたとえを……! 素直に『夜明けの姫君コードネーム』で呼んでくれればなのだとわかりやすいが、なぜよりにもよってビュシェルベルジェール山の朝焼けなどと……! これでは敵か味方かわからないではないか!)


 真面目くさった顔をしており、ふざけた様子もないのが始末に負えない。彼なりの渾身の口説き文句であったのかもしれないが、クロードとしては符牒ふちょうか否かの吟味に忙しく、それどころではなくなってしまった。

 男は無言になったクロードを切なげに見つめ、手を差し伸べてくる。


「私と踊って頂けますか?」

「踊りに来たわけではない」


 思わず、素で答えてしまった。隣に立っていたクレマン王子がぶふっと噴き出した。

 失敗を悟ったクロードは、すばやく挽回を試みる。


「私は今夜、ある男性に会いに来た。あなたではない。時間は限られている。目的の相手以外と踊っている暇はないのだ」


 ぐふうっ、とクレマンが先程よりさらに派手に噴き出した。笑いを堪えすぎて息遣いが怪しくなっている。その呼吸音をいまいましく思いながら、クロードは目の前の男を見た。


(それにしても、身なりはどれも一級品で素晴らしく整っている。名のある貴族のようだが、まったくわからない。何者なんだ、この男)


 男は、不意に「は~」とやる気のないため息を吐き出した。そのやる気のなさには覚えがあり、クロードは軽く目を瞠った。よく知っている、という気がしてならない。

 そのクロードの反応を見ながら、男はぼそりと言った。


「君の目的は知っているけど、阻止したいんだよね、俺は。ただでさえ、普段君の周りにいる男に嫉妬しているっていうのに。君が他の男に色仕掛けするって聞いたらさすがに黙っていられなくて、来てしまったよ」

「リュカ!?」


 長台詞を聞けば、その声はよく知った男のもの。クロードは大きく目を見開き、「前髪切っちゃったの……」とかすれ声で尋ねた。

 素顔をあらわにしたリュカは苦笑いを浮かべて頷いた。


「この顔で会うのは初めてだね。公的にはバーゼルの名で呼ばれている。宮廷魔術師の仕事をする上では必要ないから伏せてるけど」

「まさか……」


 息を呑んだクロードは、早足に距離を詰め、リュカの額に手袋をした手を伸ばした。


「第三の眼はどこだ?」

「それはデマ」

「殺戮を止められない呪われた腕は?」

「呪われたことはあるけど自分で解いた。今はもう普通」

「竜殺しは?」

「領地に暴れ竜が出ると狩ってるから、それは本当」

「ではリュカがバーゼル大公だと?」

「びっくりした?」


 はにかむように笑った旧知の友人に対し、クロードは興奮に潤んだ瞳を向けて頷いた。


「標的を確認した。私のハニトラに引っかかってくれるか?」

「喜んで。もう何年も前から絡め取られているけど」

「ひとを毒蜘蛛のように言うな」


 差し出されたリュカの手に手を重ね、引き寄せられたところで、クロードは我に返った。

 ぱっと離れて、冷ややかな眼差しを向ける。


「待て。なぜ私の妹に求婚した?」

「俺はクロードに求婚したんだ。隠すつもりもなく直接話そうとしていたのに、ハニトラ任務だなんだと聞いて言いそびれた。仕方ないから今日現地で阻止するつもりで待っていたんだけど、だいたい今ので事情は飲み込めた」


 言うなり、リュカはクロードの目をまっすぐに見つめて告げた。


「ずっとクロードだけを見ていた。君となら生涯楽しく暮らせると思う。結婚してほしい」

「あの前髪で、本当に見えていたのか?」


 照れ隠しに余計な疑問を挟んでから、クロードはリュカの手を取った。

 私も、君と一緒なら楽しいと思う。微笑んでそう答えた。


 * * *


「あの二人、一生友達で終わる方に賭けていたのに。ここにきて叔父上、やってくれたなぁ」


 二人が会場を去るのを見送りつつクレマンがぼやけば、しっかりと後を追ってきて見物していたマルセルとセリーヌが「兄様、残念でしたね」とくすくす笑いながら言う。

 軽く睨みつけながら、クレマンは「あっちの二人は朝帰りだろうが、お前らはだめだぞ」と釘を刺した。

 セリーヌは「あら」と目を瞬いてから、うっとりとした口調で言った。


「『夜明けの姫君』だからって何も律儀に朝にお帰りになる必要は無いのに。今から楽しみだわ……どんな風にこの夜のことを姉さまから聞き出そうかしら。恥じらう姉さま、きっと素晴らしくお可愛らしいに違いありませんわ……!」


 すべては妹の手の中に。

 怖い恋人だなぁ、とクレマンは苦笑しながらマルセルを小突き、「そこが良いんですよ」とマルセルがにっこりと笑って答えた。



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可愛い妹に婚約者の味見を頼まれまして 有沢真尋 @mahiroA

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