隠密同心。 直方左近2 狂公方

吉田 良

狂公方

序、


 葉が青々と芽吹き出す新緑の頃である。

左近と彦佐は日光街道を北に向って歩いている。


 盗賊を抜ける為に、忍びの頭達に襲われ、命を奪われそうになった所を左近に助けて貰った彦佐は、左近に雇って貰い、何度か二人でのお役目もこなして、すっかりと左近の相棒になっていた。


「やっぱり。忍びの相棒が居ると良いな。飛び道具で後ろから助けて貰えるし、火縄も恐くない」


左近は大喜びだ。


「飯も旨い物を作るし、お役目も喋る相手が居るのは楽しい」


左近の誉め言葉を聞きながら彦佐も喜んでいる。


「いやー、私もうれしいですよ。衣食住があってお役目も楽しいし、兄貴に助けて貰ったお礼も出来て最高ですよ」


「そうか、それは良かったな」


そう答えた後、左近は少し表情が険しくなった。


「昨日も話したが、今回は、近頃では一番の危険な役目になりそうだ」


「そうなんですね?」


「ああ、隠居した小名の若造が山に籠って悪さをしているらしい」


「強いんですか」


「腕が立ち。周りには浪人達が何十人も居るらしい」


「それは、面倒ですね」


「気を引き締めていかんと今回はやばいぞ」


「はい、俺が兄貴を守りますから」


その言葉を聞いて左近は


「いや、いざとなったら。自身の身を守れ。人は死ぬ時には死ぬものだからな」


笑いながら答えた。



一、


 下野の外れに谷川藩と云う小藩があった。六千石の藩とも呼べない小藩なのだが、由緒ある血筋で幕府からも特別に藩として認められていた。


 そこの藩主が急死したため、十九歳の嫡男の宗忠むねただが跡を継いだのだ。始めはまつりごとなど、ほとんどを家老達に任していたのだが、矢内高玄やうちこうげんと云う剣術指南役の助言で藩内の揉め事などを真剣の立ち会いで決めるようになると、何かにつけて家臣、罪人などに死合いをさせた。


 怪我人や死人もでるようになり、家老達が諌めると、今度はその家老と宗忠が死合いを行い、家老を斬り捨てた。

それからは矢内派と呼ばれる。宗忠の取り巻きが幅を利かすようになり。ちいさな藩は騒がしくなった。


 耐えかねた御身内や家臣達は幕府に上申書を出した。

これを重く見た幕府は上申を受け入れ、宗忠を隠居させ、弟の宗長の跡継ぎを認めた。


 隠居した宗忠は領地の外れにある山を一つ貰い、矢内達と暮らしていたのだが、

そこに大きな宿を作ると、そこで賭博場を開き、酒、売春、金貸しを始めた。


 酒などは自らが酒を仕込んで近隣にも売りさばく程に手を拡げて、莫大な利益を上げた。

それで、藩内の鼻つまみ者や浪人達を集めて近隣における一大勢力となった。


 そして、宗忠は今日も温泉宿と称した。不夜城の上に建てた精進館と名付けた道場であきもせずに死合いを行っている。



 精進館の中にある客間で宗忠は矢内高玄と師範代の秋田紋ノ丈の三人で雑談をしている。

そこに浪人の一人が現れ高玄に耳打ちをする。それを聞いた高玄が宗忠に向かい


「御所。金貸しの取り方を任せている。荒井十兵衛が領内の百姓の嫁をさらって来たようです」


そう伝えた。それを聞いた宗忠は


「なんだと、家の領内からか?」


「そうです」


宗忠は顔色を変えると


「紋ノ丈。奴を連れて来い」


「はっ、」


返事をして立ち上がった紋ノ丈に高玄が


「奴は腕が立つ。大丈夫だとは思うが、念の為二人程、供を連れて行け」


つぶや


「はい」


紋ノ丈は供を連れて十兵衛の所へと向かった。


 十兵衛は宿の脇に有る。浪人達の居る控え小屋の中で取り巻き二人と酒を飲んでいる。

かたわらでは、さらって来た百姓屋の若い女房が震えている。

そこに小屋の戸を供の一人に開けさせて紋ノ丈が入ってきた。


「十兵衛は居るか」


十兵衛が紋ノ丈の方を見る。


「何か」


紋ノ丈は十兵衛を睨んで、しゃがみ込むと


「御所がお呼びだ」


「御所が?」


ただならぬ雰囲気に取り巻き達が後ろに下がる。


「早くしろ」


十兵衛が女の事かと女房をちらりと見やると


「儂は役に立ってるぞ」


そう言って、道場へと歩きだす。

それを見届けて、紋ノ丈は女房を見て


「すまなかったな、帰って良いぞ。後で見舞金も出る」


その言葉を聞いて、女房は右手で胸を押さえて、嗚咽おえつを上げて泣き出した。


「五蔵。送って行け」


供の一人に指事を出して、道場に向かう十兵衛の後に付いて行く



 道場に入ると、上座に宗忠。その脇に高玄が座っている。

それを見た十兵衛は膝を着き


「御所。お呼びで」


宗忠は目を吊り上げている。

脇にいる。高玄が


「貴様。領内の百姓の女房を拐って来たのは本当か」


十兵衛は鼻をさすり


「はい」


「何故だ」


宗忠の問いに十兵衛は


「女房を少し貸してくれと百姓に言ったら。断られまして」


「どうして、そんな事を言った」


「息抜きですよ。儂らは、いつも御所の為に命を張っていますので」


「だから」


「だから、たまには百姓の女房なら良いかと」


言いながら十兵衛はちらりと宗忠を見た。


「百姓の亭主はどうした」


「すみませぬ、鎌で襲って来たので切り捨てました」


「貴様は御所の領民を勝手に切り捨て、女房を拐って来たのか」


高玄の怒鳴り声に


「申し訳ございません。やり過ぎました。これからは気を付けまする」


十兵衛が頭を下げる。


「貴様は何も分かっておらぬな。領民がおるから、我等は侍などと威張っておられるのだ。奴等が一生懸命働くから我等が楽が出来るのだ」


「それを少し位、腕が立つからと調子に乗りおって」


「身の程をわきまえずに御所の領民を勝手に斬るとは」


三人に攻め立てられて十兵衛はひれ伏して


「すみませぬ、お許しを」


それを見た宗忠は


「まあ、良い」


そう言って高玄を見る。

それを受けた高玄が


「貴様も我等の掟を知っておろうな」


「死合い?」


十兵衛が頭を上げる。


「貴様のような身の程知らずは、世が自ら立ち会おう」


宗忠が立った。


「御所。自らが?」


「我等が相手しますぞ」


手を出して。二人を押さえると


「世に勝ったら。何処へでも行くが良い」


「まさか、御所と」


十兵衛は驚いが、三人の様子を見て、観念をした。


「分かり申した。儂も活新流の免許皆伝。手加減はしませぬぞ」


 宗忠が刀を抜き、十兵衛も刀を抜いた。

いざとなれば三人を斬って逃げれば良い、それだけの腕を自分は持っていると、十兵衛はそう考えている。


 宗忠は中段に構えた。十兵衛は上段に構えて、にじり寄る。

宗忠がすっと刀を下段に落とした時に好機と見て、十兵衛が上から斬り込んだ。

宗忠はその刀をゆらりとかわした。

十兵衛はその後、何度も斬り込んだがその全てを宗忠は紙一重で躱す。


「貴様ごときの腕で世にかなうと思ったか」


そう言い、距離を取った宗忠はまた、中段に構えて、下段に刀を落とした。


「なめるな、」


 十兵衛が全力で上段から斬り込んだ。

宗忠は右足を大きく伸ばして踏み込むと、低い位置から逆袈裟で十兵衛の胴を斬り上げた。


「ぐぉ、」


腹を斬られて、もだえながら十兵衛が倒れた。それを見ていた高幻は手を叩き


「お見事です」


と称えた。



二、


 藩境の川に掛かっている細長い橋を渡ると、山が有り。その中腹に目当ての大きな楼閣が見えた。


「兄貴、あれですか」


彦佐の言葉に


「そうだな」


 左近が答える。

少し歩いて行くと、道の脇に浪人が三人椅子に腰を掛けている。

左近達を見つけると寄ってきた。


「貴殿はどなたかからの紹介か?」


そう聞かれて左近は


「いや、奥州に向かう途中なのだが、面白い宿があると聞いてやって来た」


 ここは、奥州街道から外れているので人の往来は少ない。

左近の言葉を聞いて、浪人の一人が


「紹介が無ければ。このまま立ち去るか、儂らの一人と立ち合い、勝たなければここは通せんぞ」


それを聞いた左近は


「おもしろい嗜好しこうだな」


と答えた。


「木刀か、望めば真剣でも良いが」


「真剣!」


それを聞いた。彦佐が驚いたが


「いや、斬られたら堪らんから木刀にしよう」


 左近が答える。

浪人の一人から木刀を貰い、違う一人と対峙した。

二人とも正眼に構える。

りきまずに構えた左近に浪人は左右に動いて、隙を伺うが左近は微動だにしない


「いぇーい」


 やがて浪人は奇声を上げて、右上段から左近に打ち込んだが、左近は素早く踏み込み、脇から胴を抜いた。


「一本」


彦佐の言葉に


「やるな」


「速いぞ」


浪人達は驚いている。


「これで良いか?」


左近の問いに


「よかろう」


宿へと続く道を通された。



 宿に着くと、太鼓持ちの格好した男が数人いて客引きをしている。

左近達に気づき、太鼓持ちの一人が寄って来た。


「旦那様。ここへは何をしに来られましたか」


そう訪ねられて左近は


「お薦めは何だ」


と聞き返した。

太鼓持ちは持っていた扇子で額を叩くと


「風呂に始まり、うまい酒に女。お望みならば賭け事もございますよ」


拍子良くまくし立てた。


「まずは風呂だな」


左近の言葉を聞き


「はい、お二人様ご案内です」


宿の中に通された。


 中に入ると三階建ての回廊になっており、広い中庭もある。

その広い庭を横目にしながら部屋へと案内され


「お風呂は裏の建物になります」


そう言い、仲居は去っていった。


「凄い宿ですね」


建物の大きさ、豪華さに彦佐は驚いている。


「そうだな。とりあえず風呂にでも入るか」


 二人は裏にある風呂に向かうと男湯と女湯ののれんが有り、のれんをくぐると屋根の付いた二十段程の階段があった。

それを登ると、これも屋根の付いた大きな露天風呂が広がっていた。


「温泉では無い筈だが」


「そうですね。沸かし湯だと聞きましたね」


良く見ると、露天風呂の又、上に小屋が有り。そこから竹筒でお湯が流れて来ている。


「あそこで沸かしているのか」


「凄いですね」


「やる事がいちいちでかいな」


左近は感心しながら


「これだけの風呂敷を広げるとは、厄介な相手だぞ」


「手下も沢山居そうですね」



三、


 宿から四半里程離れた所に酒を造る館が有り。その脇には宗忠に使える浪人達が飯を食ったり、酒を飲む為の飯屋があった。

そこで秋田紋ノ丈は手下の浪人達、三人と酒を飲んでいる。


「御所の機嫌が悪かったそうだな」


「ああ、領内の百姓を斬った馬鹿が居てな。なあ、達馬」


達馬と呼ばれた若い浪人が


「ええ、御所は領民を大事にしていますからね」


「それを知らずにの十兵衛の馬鹿が」


「しかし、何だって御所は、もう領民は関係無いだろう。逆に領地を盗られた敵のもんだろ」


紋ノ丈は言った村田を引き寄せて


「実は御所はまだ。領地を取り戻そうとしているんじゃ無いかと踏んでいる」


「まさか、そうなったら、幕府が黙って無いぞ」


「そうですよ、今だって、ずいぶんとやばい事をしているのに」


「御所は腕も立つし、頭も切れる。金も出来て、浪人もこれだけ集まったら、何かあるだろ」


「するっていうと?」


「貴殿らは食い扶持を見つける為だけに此処に来たのか」


「紋ノ丈殿は?」


「短い人生だ。俺は御所に掛ける。たとえ死んだとしてもな」


紋ノ丈の言葉に周りの手下達も立ち上がって湧き上がる。


「私も御所に掛けます」


「俺もだ」


「儂も」


「よし、酒を呑むぞ」


紋ノ丈が座り、手下達も座った。

そして、村田が


「そう言えば。見張りをしている小宮が今日、久しぶりに腕試しで宿に入った者が居たと言っていたな」


「ほう、それは珍しい」


「最近では恐がって、紹介以外では人が寄って来ませんからね」


「強いのか?」


紋ノ丈の問いに


「まあ、相手が小宮だから、何とも言えんが。弱くは無いだろう」


「試してみるか?」


周りの手下が驚き


「立ち合うのですか?」


紋ノ丈はにんまりと笑みを浮かべて


「強ければ。御所から声が掛かるだろうが、その前に試しておかんとな」


「言い訳ですね」


「暇潰しだろうが」


手下達がはやし立てた。



 風呂から上がった左近達が部屋へと戻り。酒を呑んでいると仲居が現れ


「お客様をお呼びの侍様が居ますが」


「俺を?」


驚いて、左近が言うと


「御所様の御家来衆かと」


左近は立ち上がり


「そうか」


「兄貴、」


彦佐が近寄る。


「さてと、どんなもんか、行ってみるか」


 宿の外に出ると若い侍が立っており、付いて来るように言われた。

宿から離れた草原くさはらに着くと侍が四人立っている。

真ん中の派手な格好をした侍が


「貴様が腕試しでここに入った浪人か?」


不遜な態度の紋ノ丈に


「ずいぶんと派手な着物だな。仕立てか?」


 左近が問う

紋ノ丈は黄色に黒のまだら柄の着流しを着ている。


「虎だよ。虎。良いだろう」


「虎ほど強そうには見えんがな」


言い終わらない内に紋ノ丈が刀を抜いて斬り掛かってきた。


「ほいと、」


それを軽く躱して


「せっかちは女にもてんぞ」


 左近の言葉に紋ノ丈は次々と斬り掛かってくる。

躱しながら左近は刀を抜き、切っ先を紋ノ丈に鼻先に向けた。

それを紋ノ丈は下から刀を斬り上げ、刀を振り払うと


「ほう、やるな」


後ろに下がり、間合いを取った左近は中段に構えて


「これより先は本当の斬り合いになるが」


その言葉を聞き、紋ノ丈は


「命の取り合いは、まだ早いか」


刀を鞘に納めた。そして、手下達に振り返り


「引き上げるぞ」


そう言って、去って言った。

それを左近と彦佐はじっと見ている。


「兄貴の腕を見に来ただけなんですか」


「まあ、本気で斬っては、いなかったからな」


「強いんですか?」


「それなりの腕は在るんだろうが、どの程度なのかはまだ分からんな」



四、


 次の日の朝早くに紋ノ丈は宗忠に呼ばれた。上座に着く宗忠の前に座り、礼をすると


「御所。お呼びで」


脇には高玄が控えている。


「昨日、腕試しで入った浪人を試したそうだな」


紋ノ丈はふっと笑い


「相変わらず。お耳が早いですな」


「世の楽しみを奪うのつもりか」


「いや、近頃は見かけ倒しの者が多いので、御所に相応しいか試しました」


「ははっ、言うな」


高玄が口を挟む


「で、どうなのだ。そやつは?」


「まあ、まあ、それなりにはやりそうですが」


「そうか、そうか」


宗忠は手を叩き、喜んでいる。


「では、いつもの儀式に入りますか」


高玄の言葉に宗忠は


「久しぶりの獲物だぞ、世がみずからに行こう」


高玄は首を振り


「御所。これは決まりです。我が儘はこまりますぞ」


「そうです。これを越えられぬようでは御所と戦う資格はありません」


「そうか、ならば、仕方あるまい」



 すっかりと日が登った頃に左近達は昨日呼ばれた草原くさはらに又、呼び出された。


「また、ここか」


「奴等、ここが定番なんじゃないんですか」


目の前には紋ノ丈とその手下達が立っている。左近は近づくと


「今日は何の用だ。昨日の続きではあるまい」


紋ノ丈はにやりと笑い


「また、試練だ」


そう言うと、草むらから、ぞろぞろと浪人達が現れた。


「ほう、二十は居るな」


彦佐は群れから離れた所に身を引いた。


「これに勝ったら、御所に会えるぞ」


「ここの主か、それは光栄な事だ」


「こやつを倒せば、恩賞が出る。斬った者は出世もできるぞ」


紋ノ丈の言葉に浪人達が沸きだつ


「おおっ、」


その言葉を聞き、

左近は刀を抜いて正眼に構えて


「面倒臭え奴等だな。まあ、いい、ここからは命のやりとり。こっちも手加減無しでいくぞ」


「かかれっ、」


 紋ノ丈の号令を合図に浪人達が左近を取り囲む

前に居た二人が目を合わせて頷くと二人同時に左近に斬り掛かった。

左近は進んで二人の間を抜けて、抜きざまに逆袈裟で一人を斬り、振り向きざまにもう一人を斬った。


「こやつ、やるぞ」


「慌てるな。次々とかかれっ、」


 浪人達は次々と左近に斬り掛かるが左近はそれを易々とかわして浪人達を斬って行く、左近から離れて間合いを取ろうする者は


「ぎぇっ、」


彦佐のくないの餌食になる。


「あの忍び、邪魔だな」


 高玄が言った。

宗忠と高玄は高台から左近達の立ち合いを見ている。


「忍びをやりますか?」


側に居た、侍が言ったが


「いや、よい。余計な事をするな」


 宗忠が制止した。

左近と彦佐の二人はある意味、最強だった。

左近が浪人達の間を自在に動き回り次々と斬っていく、怖じけ付いて離れた浪人を彦佐がくないで仕留める。

彦佐は浪人達をくないで仕留めながらも


「兄貴は本当に強い、大人数を相手にこんなに無駄な動きもせずに斬っていく侍を初めて見た」


感心して見ている。

それを遠くから見ている宗忠は


「はっ、はっ、見事だぞ」


と子供のようにはしゃいで見ている。

その姿を高玄は横目にしながら


「この方は、これが無ければ。名君としてあがめられたのに」


 ため息を付いた。

あっと云う間に浪人達は左近と彦佐に殺られた。余りの速さに紋ノ丈達も驚いている。


「思った以上の強さだな」


左近は紋ノ丈に向き直ると


「これで、御所に会えるのか」


「ああ、御所と立ち合いが出来る」


「立ち合い?」


左近は刀を紋ノ丈に向けて


「御所が負けたら、どうするのだ。俺は加減はせぬぞ」


左近の言葉に紋ノ丈は笑い


「はっ、はっ、御所はお強いぞ。お主、勝てるのか」


「どうだろうな。試して見るか」


「試す?」


「あんたと御所ではどちらが強い」


左近の問いに


「もちろん、御所だ」


「そうか、ならば。あんたに勝てないようでは、とても御所とは戦えぬな」


「俺と立ち合いをしたいのか」


左近は刀を下ろして右に左に歩き回り


「あんたが怖じ気付いて、逃げてもいいがな」


「舐めるなよ」


紋ノ丈が本気になる。


「兄貴、こいつ、兄貴と戦いたくて、わざと言ってるんですよ」


弟分の達馬が言う


「分かっている。だが、俺もここまで舐められて黙ってはいられぬ。ここで俺に斬られるようではとても御所の相手はできぬしな」


「そうだ。そうだ」


左近がはやし立てている。

その様子に宗忠達が気づいた。


「何をやっている。紋ノ丈の奴、立ち合うつもりか」


「そのような感じですな」


脇に居る高玄が答える。


「ふざけるな、世の楽しみを」


高玄が笑いながら


「良いでは無いですか、紋ノ丈にやられるようでは、とても御所の相手は務まりません」


「くそっ、殺すなよ」


 二人は少し動いて、空いている草原くさはらに向かいあった。

紋ノ丈が刀を抜き、左近が正眼に構える。


「掛かって来いよ。怖じ気付いたか」


今度は紋ノ丈が囃し立てる。


「それじゃあ、行かしてもらうか」


 左近が素早く斬り込んだ。

紋ノ丈が紙一重で躱すが、左近は何度も斬り掛かる。そして、素早い

堪らず下がった紋ノ丈を左近が逆袈裟で斬り上げた。紋ノ丈が刀で受けた。


「これが貴様の得意技か」


「ほう、よく気づいたな」


刀で二人はお互いを押した。


「中々やるが、我が無双流は最強の剣、貴様では勝てんぞ」


 そう言うと左近は右上段から斬り込んだ。紋ノ丈は下がって避けるが、左近は更に追いかけて、すっと息を吐いて上段から斬り込んだ。

紋ノ丈は咄嗟に刀で弾こうとしたが、弾けずに左近の刀が額にめり込んだ。


「何っ、」


ほぼ即死だった。紋ノ丈はそう言ったまま、息絶えて倒れた。


「何だ」


「紋ノ丈が殺られたのか」


「兄貴、」


遠くから見ていた宗忠達も驚いている。


「紋ノ丈が殺られたのか」


「太刀の重さを読み違えたのでしょう。奴の太刀筋が速いから軽いと見ていたのです」


冷静に高玄が答える。


「奴に計られたのか」


「速い太刀筋なので、弾いて躱そうとする気持ちは分かりますが、迂闊うかつでしたな」


「くそっ、斬ってやる」


達馬が左近に斬りかかろうとしたが、村田が達馬の腕を掴み


「止めておけ、お前も斬られるぞ」


「しかし」


「御所がかたきを取ってくれる」


その様子を見ていた左近は


「これが真剣の勝負。負けた方は死ぬ」


そう言ってその場を立ち去る。

彦佐も左近の後を追う


「兄貴、大丈夫ですか」


「ああ、数が多いから。強いのは減らしておかぬとな」


「紋ノ丈が死んだのか」


呆然と立ち尽くす宗忠に高玄が


「御所、明日は紋ノ丈の敵討ちですぞ」


そう言った。



五、


 次の日、左近は宗忠の道場の中庭に呼び出された。

中庭の周りの木塀の上は歩けるようになっており。そこには浪人達が取り囲むようにぞろぞろと立って左近を見ている。


「ほんとに敵地だな」


たすきに袴を履いて、立ち合い姿の左近が皮肉る。


「今日は一人か」


同じく立ち合い姿の宗忠の問いに


「あんた相手なら、一人で十分だろ」


左近が答える。


「徳川の犬では無いかと噂が出ているが」


「勝ったら、教えてやるよ」


「その時には、貴様は死んでいるわ」


高玄は宗忠のずっと後ろに控えている。

その高玄に若い侍が近寄る。


「準備は出来たか」


「はい、隠し部屋に控えさせております」


「よし、奴は強いからな。御所に何かあってはまずい」


「はい」


「それと、奴の手下の忍びが居ないのが気になる」


「ええ、」


「見回りに用心するように伝えろ」


「はっ、」


宗忠が中段に構え、左近も中段に構える。

宗忠がすっと刀を下段に下ろした。


「誘っているのか」


左近は動かない。

宗忠の表情は穏やかで殺気は感じられない。


「嫌な感じだ。悟りでも開いたか」


 呟きながら左近は素早く斬り込んだ。宗忠が下がって避け、左近が追いかけて更に斬り込む、何度も斬り込むが宗忠は紙一重で躱していく


「くそっ、」


 左近が間を取った。

その時だった。今まで受け身だった宗忠が急に深く踏み込んで斬り上げてきた。


「ふん」


左近は下がって避けたが、少し服を斬られた。


「随分と伸びる太刀だ」


驚く左近の顔を見て、宗忠がにたりと笑う


「どうした。もっと、斬ってこい」


「おーお、御所様は余裕があるねぇ」


 動かない左近に宗忠が又、踏み込んで下から斬り上げてきた。

下から伸びる太刀は見えにくく、躱しにくい


 何とか避けたが今度は更に突いてきた。

左近は身を翻して避けて、翻しざまに刀を振り下ろした。だが、もう宗忠の姿は無い

もう、下がった所に居て、こちらを見てにたついている。


「やるな、御所様よー、」


「楽しいぞ、左近」


「俺の名を知っているのか?」


「紋ノ丈の敵は取らせてもらうぞ」


「いい加減、俺も腹を括るか」


そう言って左近は刀を下段に下ろし、半目になり宗忠の足元辺りを見た。


「何のつもりだ。世の真似でもしているのか?」


「あんたは強い認めるよ。だから、俺も全力で行かせてもらう。それで死んだとしても悔いは無い」


宗忠はふっと笑い


「よかろう、それぞ、立ち合いの極み。

これ程、手こずったのは久方ぶりだ。必ず斬ってやる」


 宗忠が中段に構える。

左近は下段に構えたまま、二人は対峙する。二人共、穏やかな顔立ちだ。

暫く対峙していたが宗忠がすっと刀を下段に落とした。


 その時だった。二人は同時に動いた。

宗忠は深く踏み込んで下から左近を斬り上げた。それは信じられないような速さだった。

だが、左近は消えた。


 消えたと云う表現は正しくは無い、跳んだのだ。

跳んだ同時に宗忠の額を打った。

宗忠が額から血を流して倒れる。


「御所、」


 高玄の声が響く

宗忠を飛び越えた左近が地面に着いて振り替える。宗忠が立ち上がった。


「まだだ」


左近は刀を素早く横斬りで宗忠の肩を斬った。


つう、」


宗忠が肩を押さえる。


「右腕の筋を斬った。もうまともに右手では刀を握れまい」


「なぜ、殺さぬ」


観念した宗忠が言う


「あんたの言う通り。俺は徳川の隠密だ。上からのお達しでな、公方は狂剣士だが領民には慕われているので殺すには及ばぬとの事だ」


「生き恥をさらせと言うのか」


「ここから先、生きるか死ぬかはあなたの決める事ですが、とりあえず考える刻は与えられた」


その言葉を聞いて、宗忠はがくっと膝を付いた。


「御所」


それを見ていた高玄が腕を上げた。

が、何の反応も無く辺りを見渡す。


「どうした」


 隠していた鉄砲隊が鉄砲を打たない

それもその筈、鉄砲隊は姿を消して居た彦佐に倒されていた。


「こう火縄の匂いをさせていたら見つけてくれって言ってるようなもんですよ」


鉄砲が役に立たない事を理解した高玄は、周りに居る浪人達に叫んだ。


「この徳川の犬を捕らえるのだ」


その声を聞いて、周りの浪人達はざわめいたが、それを遮る声が響いた。


「儂も徳川の隠密。村田又兵衛だ」


紋ノ丈の手下の村田が叫んだ。隣には、やはり紋ノ丈の手下だった金森も立っている。


「他にも何名もこの中に隠密が潜んでいる。そして、間も無く幕府と谷川藩の手勢が此処に乗り込んでくる。捕まりたく無い奴は逃げる事だな」


「見ろ、あの狼煙を」


 金森が指した方を浪人達は見て、驚き叫び、やがて逃げ出して行った。

何も知らなかった達馬はきょとんと立ち尽くしている。

すっかりと浪人達は逃げ出し高玄の姿も無い

その様子を見ていた左近は村田を見て


「話しは聞いていたが、あんたが潜んで居た隠密だったのか」


「紋ノ丈に近付き、様子を伺っていた」


隣には金森も、うなだれた達馬も居る。


「兄貴」


 彦佐もやって来た。

他に残っているのは数名の隠密達と肩を押さえた宗忠だけだ。


「御所。幕府も谷川藩もあなた様の命を取ろうとは思っておりません。領民に慕われるあなたにはこれからは穏やかに生きて欲しいと」


村田が手拭いを宗忠に差し出す。


「これからはここに居る達馬が御所の世話を致します」


 そう言われて金森に肩を叩かれた達馬も、手拭いを渡された宗忠も放心状態で声も出さない


「所で応援の手勢、なかなか来ませんね」


彦佐の疑問に


「ああ、応援なら来んぞ」


「えっ、」


「あれは嘘だ。こっちは全部で十人足らずだ。あれだけの浪人達相手はきついだろう、嘘も方便だ」


「嘘なんですか」


流石さすがは年期の入った隠密同心は違うな」


左近の言葉に金森が口を挟む


「村田様は隠密与力だぞ」


「隠密与力!」


「そうだ。剣の腕も紋ノ丈より上だ」


言われた村田は笑いながら


「今回の手柄で、直方殿も隠密与力になるのでは無いのか」


「えっ、兄貴が出世するんですか」


左近は面倒臭そうに


「えー、おりゃあ、人の上に立ちたくねぇよ。面倒を見たくも無いし」


村田は笑いながら


「給金は良くなるぞ。驚く程にな」


その言葉を聞いた左近は


「何、本当か。俺、隠密与力になるよ」


左近の現金さに皆が笑う



六、


 高玄は道場から半里程離れた山中に身を潜めていた。

宗忠の後ろ立ても失い、浪人達も消えた今


「どうしたものか」


思案に暮れている。


「昔の知り合いでも訪ねて見るか」


その時、


「きぃー」


と鳥の鳴き声が聞こえた。

上を見上げて視線を戻して高玄は驚いた。


「よおー、」


目の前に左近と彦佐が立っている。


「何故だ」


「忍びを使って探させた」


驚く高玄に左近が答える。


「今さら儂を斬って何になる」


「紋ノ丈も死んで、御所も刀をまともに握れなくなって、貴様だけが逃げ仰せるのは気に食わなくてな」


「貴様は儂には勝てぬぞ」


「そうか」


 左近は刀を抜いた。

高玄もあわてて刀を抜いた。

高玄は正眼から刀を下段に振り下ろし、そこから左回りで上段に刀を高く掲げた。

刀身がぎらりとひかり、左近が目をしかめる


「今だ」


 高玄が左上段から袈裟斬りに左近に斬り込んだ。

同時に左近は逆袈裟で斬った。二人が交差する。

間を置いて、高玄が倒れた。

同時に見えたが左近の踏み込みの方が速かった。


「くそっ、」


高玄が言う


「小技に頼り過ぎて、修練を怠ったな。結局、貴様は御所や紋ノ丈よりも腕は下だ」


「くそっ、」


悔しみの表情かおを浮かべて高玄の息が絶えた。


「兄貴、」


彦佐が駆け寄る


「御所の元で供に夢を見たのだろう。ならば、最後まで忠誠を尽くせ」



七、


 それから宗忠は剃髪して仏門に入った。

道場の跡に寺を立て、守役の達馬と供に余生を過ごした。


 賭博や売春は止め、行く所が無く戻ってきた浪人は普請人として雇い入れ、造り酒屋や温泉宿の上がりを資金に谷川藩の河川修繕や開拓に従事させた。


 そして領民からは御所の前に居る御前様としていつまでも慕われた。



 左近と彦佐は来た道を今度は逆に江戸に向かい歩いている。


「連絡役の方は何を?」


「ああ、江戸に着いたら、奉行の所に出仕するようにとさ」


「ついに、隠密与力に格上げですか」


「多分、そうだろうな」


「兄貴、やりましたね」


「彦佐の給金も上げてやるさ」


「本当ですか、ありがとうございます」


「さあ、帰るぞ」


「はい、兄貴」


二人は勇み足で真っ直ぐと伸びる田園の道を歩いて行く。



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隠密同心。 直方左近2 狂公方 吉田 良 @ryo1944

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