「今」は本当に「現在」ですか。

水月 都

第1話

 「あ、これ知ってる」

 「この展開見たことある」


 誰もが一度は思ってことがあるだろうし、実際口に出して言ったことだってあるかもしれない。

 これは一つの単語で表すことが出来る。


 デジャヴ、と。


 日本語には既視感と訳されるその言葉。

 私は、日常に突然顔を出すこの「デジャヴ」に、戸惑わずにはいられなかった。



       *   *   *   *   *   *



 昔から夢で見たことが現実になるのはたまにあることだった。

 でも、母親の車に乗った時に、失くしたハンカチがシートの隙間に挟まっていたという夢を見たら、次の日本当にそこにあった、みたいな簡単な夢だけど。


 だからあんまりこうした不思議なことに驚く方ではないと思っていた。


 だけど今、私の周りで起こっていること。

 私の顔はちゃんと笑えているだろうか。

 

 発端は2時間目。

 元気の有り余る高校生男子がお腹を空かせ始める頃。

 私のクラスでは国語の授業が行われていた。

 先生の板書を待つ間、ふと私は黒板の端に目をやった。

 日付の下に、今日の日直の名前が二つ並んでいる。

 私はそこで、あれ?と思った。

 

 まぁ、日直なんて順番に回しているんだから、同じ名前が並ぶのは分かる。

 だけどそれだけじゃない。

 そんな違和感が、私の中に生まれ始めていた。


 「はい、ここの部分は現代語訳すると——」


 先生が、今しがた書き終えた板書を使って説明を始めた。

 私たちはそれをノートに写しながら聞いて、適宜メモを取る。

 先ほどの違和感はもう、頭の片隅に追いやられていた。


 「じゃあ、ここは……今日の日直、中村君」


 先生に指名された中村君が立ち上がる。

 その動作を、彼の斜め後ろに座っていた私はゆるゆると見ていた。

 教科書を片手に彼が完全に立ち上がった時、私の中で再びあの違和感がものすごい速さで戻ってきた。

 

 2時間目の国語の時間に、先生に指名された日直の中村君が教科書を片手に立ち上がる、この状況はそう何度も起こるものではない。

 この2時間目は違和感を感じたまま終わった。


 

 15分休みになって、私はカバンからおにぎりを手に取った。

 いつもお昼休みまでお腹が持たず、15分休みに母の握ってくれるおにぎりを食べるのが習慣だった。

 この日もおにぎりを食べながら、机の周りに集まった友達数人と楽しく喋っていた。

 椅子に座る私と、囲むように立つ友人たち。

 その隙間からふと黒板が見えた。

 瞬間、私は激しい動悸を感じた。

 『6月12日水曜日 日直 中村・野口』

 縦にそう書かれた黒板の右端。

 友人たちの隙間から見えたその光景に、雷が落ちたような衝撃が走った。

 これはなんだ、この感じは。

 目がチカチカして頭がグラグラする。

 その上、私の心臓はこれまでにないほど拍動していた。


 (


 「それで昨日さ」


 友達の一人がそう言って話し始めようとした。


 (あぁ、お母さんがね……)


 「お母さんがぁ――」

 

 (——っ!)


 どうして、どうしてだろう。

 どうして私は今のだろう。

 ほとんど無意識だった。

 だって私の意識は黒板に向いていたはずだった。

 頭上で友人たちの笑い声がする。

 

 キーンコーンカーンコーン


 友人たちは笑いあいながら足早に自分たちの席へと帰っていく。

 手に持ったおにぎりは半分以上残っていた。

 

 4時間目は政治経済。

 やる気のなさそうな男性教師が教室に入ってくる。

 板書をノートに写しながら、私は先ほどのことを考えていた。


 考えながら、あることを思った。

 もしかしたら、これから何が起こるか分かるのではないか。

 この授業中に起きることを事前にあてることが出来れば、それは奇跡だ。

 この授業はいつも先生の一方的な喋りと板書で行われる。

 変化が起こりえないのだ。

 だがもし、変化を言い当てることが出来たなら?

 

 この考えに至った時、私は一つの仮説を立てた。

 、と。

 以前見たことがあり、経験したことがあるならば覚えているだろう、と。


 私は記憶を探った。

 『6月12日水曜日4時間目』の記憶を。

 

 (先生が、寝ている松尾君に声をかけて起こすような気がする)


 それは頭の片隅にかすかに浮かんでいた。

 

 授業時間は半分まで来ていた。

 残り約20分で本当に私の思ったことが起きるのだろうか。

 松尾君は机に突っ伏して寝ている。

 彼はいつもそうだ。

 ほとんど毎日同じ姿勢でいるのを見かける。

 他教科の教師は寝ている彼を起こすが、政治経済の教師は放置だ。

 彼に限らず、誰が寝ていても起こしたことはない。

 授業の妨げにならなければいいという考えなのだろう。

 

 そのまま何事もなく普段通りに授業は進んだ。

 やはり私の思い違いだったか。

 友達が言おうとしたことが分かったのだって、偶然。

 お母さんなんて、話の中によく出てくるワードじゃないか。

 同じような話を以前に聞いたことがあったのかもしれないし。

 2時間目に感じた違和感は説明がつかないが、それこそ思い違いだったのかもしれない。

 

 授業の終わりを告げるチャイムが校内に響いた。

 挨拶を終えた先生が教科書を手に取り、教室の出口に向かう。

 ドアに手をかけたところで、先生の目線が下がった。


 「お昼ですよ」


 声をかけられた男子生徒が顔をあげる。

 

 松尾君だった。


 彼が起きたのを確認すると、先生は何も言わずに教室を出て行った。

 残された彼は、大きく背伸びをしている。

 教室の誰も、気に留めた様子はない。

 いつも通りの、お昼休みの騒がしさが聞こえてくる。

 

 その中で、私だけは恐怖のようなものを感じていた。

 心臓が早鐘を打ち、息があがる。

 

 (


 「一緒にお弁当食べよー」


 友人の一人が私の机の前にやってきた。


 「ん、食べよー」


 私はそれに笑顔で返す。

 机の上の教科書類をしまい、お弁当を机に広げる。

 聞き覚えのある話を聞きながら、適当に相槌を打つ。

 


 私はいつを生きているんだろう。

 今はいつなんだろう。

 現在は、一体。



 私の顔はちゃんと笑えているだろうか。

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「今」は本当に「現在」ですか。 水月 都 @m-miyako

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