【短編】デウス・エクス・マキナ

青豆

デウス・エクス・マキナ


「悲しいな」

 彼は突然言った。

「何が?」

 僕は返す。

「戦争がさ」

 強い風が吹いた。彼は風に飛ばされて、山の方から転がってきたきのみを、蹴った。そして、飽きもせず流れる雲に向かってため息をついた。

「あぁ・・・・・・まあ、確かにね、僕らを隔ててるのはその戦争なんだからね」

 僕らは、一時的に停戦をしている二つの国の、国境の警備をしていた。二つの国を分ける、一本の線を僕らは監視し続けた。技術の進歩から取り残され、草木は生え放題のここは、時間が止まったように静かで、かすかな寂寥さえ感じられた。僕にとって彼は敵国の人間で、そして彼にとってもまた僕は敵国の人間だった。

 しかし長年同じ場所で警備をしていると、奇妙な友情めいたものが芽生えてくる。そして、それは決して交わらないものだった。国同士の関係や敵味方の関係を超えても、決して超えては境界がそこにはある。僕らの友情は、国に許されていないのだ。

「もう、5年くらいになるのか。戦争が一時的に終わったのが、5年くらい前だったよな、もう忘れちまったけどさ」

「そうなるのかな。僕らが出会って5年になるのか。でも、まだ君のことをこの線の外からしか見たことがない、これは軽い悲劇さ。僕らの物語を書いてる人物はきっとシェイクスピアだね」

「もしシェイクスピアなら、どちらかはきっと死ぬだろうさ」

 彼なりの冗談だろう。彼のジョークはほんの少し毒がある。

「なぁ、どうせ誰もいないんだしさ、僕もそっちに行っていいかい? 一度くらい、近くに行きたいじゃないか」

「ダメだ、俺たちは敵なんだ。もちろん、心の底からそう思ってるわけじゃない、お前は俺の友達だ。でも、事実として俺とお前は敵同士なんだ。俺は、国を裏切ってお前をここに入れるようなことはできない」

 予想した通りの答えだった。彼は、かなり熱心な愛国者だった。

「わからないな」

 僕にはわからなかった。僕を迎え入れるのをそんなにも拒む理由が。



 僕らは、それから軽く食事をとった。僕らは、お互いに線をまたいで、談笑した。

 大抵は、彼の戦場での出来事の話だった。彼は話がとても上手く、戦争の話であっても場を盛り上げるような話術を持つ男だった。同胞が恐怖のあまり失禁した話で五分間もこちらを笑わせ続けるのだ。笑いじゃ人は殺せないし、敵から身を守ることもできないのだから、宝の持ち腐れであると思う。

 彼は兵士よりも大道芸人か何かを目指すべきなんじゃないかと思った。実際に、どこかの繁華街でそういった人物を見たことがあるのだが、彼ほどは面白くなかった。彼はその道一筋でやっている芸人か、それ以上の実力を持っているのだ。

「たまには、戦争以外の話も聞かせてくれよ」

 僕が言うと、彼は暗い顔をした。

「俺は、戦争以外何も経験してないよ」

 彼は、きっと根っからの軍人なんだと思った。その、彼の根底にある、寂しさにも似た軍人としての魂を取り除けるのは、なんなのだろうか。それは、終戦なのか、あるいはその逆で戦うことなのかもしれない。いずれにせよ、彼は戦争に取り憑かれてるのだと、僕は思った。

「それにしても、少し冷えてきたね。いい加減、こんなとこで夏を見送って、冬とランデブーなんて、僕はごめんだね」

「全くだ」

 彼は笑顔を見せた。僕には、その笑顔が少し寂しそうに見えた。

 僕は、置いてあった新聞を手にした。ここには新聞が2日遅れてくるので、僕らが社会の情勢を知るのは、世間より2日遅れていることになる。僕らが警備しているのは、相手の国との境界線なのに、この扱いなのだ。彼の方なんて、新聞はまったく来ないのだから、少しマシなのかもしれない。

 新聞を読んで、世間では今も医療過誤、いじめ、虐待、殺人事件、あらゆる事が起こっていることを知った。この、時代から取り残された軍事境界線は、世界から独立していた。

「ここにいればニュースもクソもないもんな。ここにあるのは、自動小銃と動物のフンくらいなもんさ」

「ニュースもクソもって、フンはあるんだから、クソはあるぜ」

 僕が言うと彼は笑った。

「そんな話ししてたら、トイレしたくなってきたな。ちょっと行ってくる」

 彼の方の拠点は、こちらより明らかに豪華だった。壁はおそらく防弾だし、何よりドアがあるというのが大きい。警備という職務にしてはたくさんの武器や弾薬、火薬が備えてあった。それにひきかえ、こちらはテントだった。新聞は来ないくせに、拠点だけ無駄に豪華な彼の方の国は、なんだか不思議な感性を持っているのだと思った。もう一回戦いになったら、こちらは負けるかもしれない、となんとなく考えた。


 しばらくして、彼は拠点から出てきた。いささかすっきりした様子だった。

 彼はしばらく黙っていたが、2、3分経ったあと急に喋り出した。

「お前、エウリピデスって知ってるか。昔のギリシアの劇作家なんだ。彼の作品は、結構賛否両論あるんだよ。つまりね、彼の作品は結構むちゃくちゃなんだ。物語が収拾つかないようにしておいて、最後は神様を出して全部解決しちゃうんだ。デウスエクスマキナ…機械仕掛けの神なんて言われる演出方法なんだけど、これが賛否分かれるわけだな。でも、俺は結構このデウスエクスマキナって道理だと思ってるんだ。今の戦争なんて、まさにそうだろ。戦争がにっちもさっちもいかなくなったら、核を使うのさ。これはデウスエキスマキナだね」

 彼は時々息継ぎをしながら、語った。彼は日頃饒舌だったけれど、ここまでいっぺんに多くを語るのは珍しかった。

「じゃあ、この戦争も、にっちもさっちも行かなくなったら核が飛んでくるのかい?」

「そうだろうさ。明日にでも、くるかもしれない」

「今は、割と収拾が付いているじゃないか。休戦という形ではあるけど、これもデウスエクスマキナなんじゃないかな」

「物語として考えたら、何も起こってないなんて事態は進展してないんだ。ある意味では収拾が付いてないんだよ、きっと」

「じゃあ、何かこれからデウスエクスマキナがあるのかな」

 僕が聞くと、

「あぁ、例えば、お前が俺の頭をその拳銃で撃ち抜くんだ」彼は真顔で言った。「冗談だよ」


 しばらくして、空が顔を赤らめ始めた頃、僕たちの顔も赤く染まって、それは次第に赤から夜の色と変わっていった。ちょうど僕たちの顔が夜の闇に紛れた頃、背後で何か音がした。ガサッ、ガサッ、と、なにかが歩くような音だった。それは僕たちに近づいてるように聞こえたし、あるいは遠ざかってるようにも聞こえた。しかし、いずれにしてもその音は僕たちのすぐそばでなっていた。僕は、その音の大きさで気づいた。

「熊だ!」

 僕は、なるべく小さな声で言った。

「どうしてわかるんだよ、鹿だってこの辺にはたくさんいるじゃないか」

「君、さっききのみを蹴ったろう?あのきのみ、かじられてたんだ。あのかじった痕は、鹿じゃなかった。・・・・・・なぁ、そっちのキャンプに逃げさせてくれ。こっちはテントなんだ」

「いいや。だめだ・・・・・・お前はここを超えてはいけない、だめなんだ..」

 彼は声を震わせながら言った。

「なんでだよ、僕が喰われたっていいってことかよ」

「そうじゃない・・・・・・でも、だめなんだ・・・・・・お前を入れるわけにはいかない」

 彼は拳銃を取り出し、僕の方に向けた。

「入ってくるなら、撃つ」

 僕は、その時半ば脊髄反射的に、ホルダーに手をあてがい、自分も拳銃を出して、撃とうと考えた。当然間に合うわけがなかった。僕は、死を覚悟した上で、拳銃を取り出した。熊に殺されるのも、彼に殺されるのも同じか、あるいは銃の方がいいかもしれない。

 銃声が響く。


 倒れたのは、彼だった。

 僕はどうやら彼を撃ち殺したらしかった。すると、今度は近くで銃声がなった。僕の銃ではない、もちろん彼のでもなかった。なら、誰のだ?

「おい、大丈夫か? 熊がいたけど、襲われてないか? ・・・・・・よし、襲われてないみたいだな、熊は今撃ち殺したから大丈夫」

 銃声の主は、近くを歩いていたらしい、味方の兵士だった。

「今、銃声が聞こえたけど、撃ったのはお前か?」

「・・・・・・はい。警備のものが銃を向けてきて、身を守るために」

「そいつはまずい、警備を撃ったとなると再び戦闘となるための引き金になりかねない。そうだな、そいつはこの熊に襲われて死亡、お前が次に襲われる、その時ちょうど駆けつけた俺たちがお前を救った、いいな?」

「はい」

「死体の処理は任せろ、上に話をつける。お前はあっちの小隊の方に行って保護されるんだ」

 僕は、隊長らしき人のそばにいた人に連れられ、その小隊に加わった。

 僕は連れられてる途中、彼について考えた。

 なぜ、僕の方が先に引き金を引けたのだ?

 その疑念だけが残った。


 しばらくして、小隊に加わり、そのあと僕と入れ違いでその小隊の数名が現場へと向かった。

 僕は残った隊員から少し離れ、一人になって、奇妙な友人関係にあった彼のことを思った。彼の、黒っぽい赤の血を思った。彼は、何故僕をあの線の中に入れさせなかったのか。そして、何故先に撃たなかったのか。


 その時、何か爆発音がした。その場にいた皆が驚いて、銃を構え出した。小隊の隊員が現場へと向かった。僕は、それについていった。


 僕たちが防衛していたところは、焼け野原になっていた。さっき僕と話していた隊員は、体がバラバラになっていて、確かめるまでもなく、絶命している。

 僕はそれを見て、全てを理解した。

 彼が僕を決して越境させなかった理由をも、僕は理解した。

 

 彼は愛国者だった。地雷の位置を教えることは、即ち祖国への裏切りとなる。彼はそれが故に、僕に地雷の位置を伝えれなかった。しかし、同時に僕を助けようとしていた。だから、僕が線を越えさせないようにしていたのではないか。

 一言言ってくれれば、ほんの少し国を裏切れば、君は死なずに済んだじゃないか。僕はキャンプを見た。キャンプには、火薬やらがたくさん貯蔵されていた。それに引火して、大爆発したのだろう。

 なるほど、これがデウスエクスマキナなのか、と僕は陳腐な演劇めいたこの世界を嘲笑った。機械仕掛けの神は、彼を爆殺するという選択肢を取って、この不毛な物語を終結させたのだ。

 僕は、彼の死体を探した。


 しかし、もうどれが彼の死体かは、わからなかった。

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