美しい貴方にせめて、最悪な結末を
獣乃ユル
美しい貴方にせめて、最悪な結末を
彼女の芸術的なほど綺麗な白髪が、寝具の上で月光を反射して光っている。気を抜けば意識が吸い込まれてしまうような深い蒼で彩られた瞳が、涙で滲んでいた。それを、俺は彼女の体に跨りながら見ていた。本当に、本当に、美しい。だから、殺さなきゃ。
指先に込める力が一層強くなる。それに合わせて彼女のか細い息が少し漏れ出した。彼女を美しいと思うごとに、彼女に恋するたびに、心から湧き上がる殺意に身を任せてしまっている事実が、忙しなく鼓動する心臓を冷たく突き刺している。
「……」
咄嗟に、手に込めていた力が抜けた。それは彼女が、慈愛に満ちた笑顔を見せたからだったのだと少し経ってから気づいた。首を絞められているというのに、死に向かっているというのに、彼女は、笑っていて。
けほ、けほと彼女が小さく咳き込んだ。その瞬間、霧がかっていた思考が一気に鮮明に成る。
「何……何で……?」
これは彼女の笑みの所以に向けた言葉ではない。何故、彼女を俺は殺そうとしていたのか。彼女に対して恨みなんてない、彼女に向けていたのはむしろ逆の……愛に近い何かだったのに。
「ころさ、ないの?」
寂し気に声を震わせながら問う彼女を見て、恐怖のみが脳髄を埋め尽くしていく。
「あんなに、必死に殺そうとしてたのに」
誘惑するように、甘い口調で囁きながら彼女は緩慢に体を起こし、俺の後頭部を撫でる。荒れる彼女の呼吸音のみが、俺の耳朶を酷く打ち付けていた。
「誰……だよ」
「何言ってるの?君が狂うほど殺したくて、君が狂う程愛した私だよ」
わかっている。彼女は何一つ日常から変化していない。狂っているのは俺の方だ。けれど、何か違う。自然の驚異を目の当たりにしたような、畏怖のような感情がへばりついて離れない。
この部屋に明かりがついておらず、僅かに差し込んだ月光と街灯りのみが彼女を照らしている。触れてしまえば消えてしまいそうな程白い肌も、鈴を転がしたような声も、彼女を構成する要素の一つ一つが心情を埋め尽くしていく。
「離れて、くれ」
「なんで、離れたら殺せないよ?」
心底疑問、といった様子で彼女はそう言う。離れなきゃいけない、と理性が叫んでいる。けれど本能が動作の全てを否定する。動いてはいけない、と。
「殺したいわけじゃ……」
「嘘吐かないで?君は、私を殺したいんでしょ?」
まるで理論的に諭しているかのように、流暢に彼女は言葉を紡いでいく。
「そんな……こと」
ふと掌に視線を落とせば、赤黒い、べたりとした液体で塗れている。血?そんなはずない、そんな、筈は。咄嗟に服の袖で拭って……落ちない。なんで。拭って、拭って、拭って、落ちない。なんで、どうすれば。そうだ、皮を剥げば、そうすれば、肌の下にはなんにも
「落ち着いて」
とん、という軽い音と一緒に狂気が抜け落ちていく。恐らく、彼女が俺の頭を叩いた音なのだろう。手のひらを勢いよく見たが、そこには何も付着していない。
「夢……?」
「どっちが?」
蠱惑的に彼女は嗤う。
「ついさっき君が見たものと、今見てるもの、どっちが夢?」
「そんなの、聞く必要も無い」
今見てるものに決まっている。そうじゃなきゃ、辻褄が合わない。そうであってくれなきゃ、自分を保てない。
「そう、そうだね。今君が見てるものがきっと現実だよ」
正解に自力でたどり着いた幼子をおだてるような口調で、俺の後頭部を撫でながら彼女はそう言う。駄目だ、これ以上この女と話してはいけない。境界線に立っているような気がしてならなかった、狂気と正常の境目に。
「だから、ここで殺してくれないと私は死なないね」
「……お前の、所為なのかよ」
過去の出来事と今の状況で募った不信感や、自責、恐怖。それらが滅茶苦茶に溶け合って、彼女への怒りへと変貌する。俺を人殺しにしようとしたのは、彼女なのではないかと。
「そうだったら、どうするの?」
俺の体に顔をうずめながら、弄ぶように彼女は呟く。
「いいよ、殴っても、折っても、潰しても。好きにして良いんだよ?」
胸骨から俺の顔を見上げるその瞳に、美しさと同時に殺意を感じる。瞬きした瞬間に、無意識的に右腕が振り上げられていた。空中で静止した右腕の手首を、必死に左手で掴む。両手どちらとも、言葉に出来ない程の恐怖で震えていた。
「もう、いいから、離れてくれよ」
ゆっくりと、右腕を体の横に持ってくる。怒りも、恐怖と混ざってとうに消え去っていた。どうにかして彼女から離れないと、俺は彼女を殺してしまうと確信してしまった。
「気味悪いんだよ……!」
「わっ」
凍り付いたように動作を停止した腕を必死に動かし、彼女の右肩を全力で押す。嫌にあっけなく彼女はベットに倒れ込み、吃驚したかのような表情を浮かべる。
「殺してくれないの」
鋭い蒼色の眼光が、俺だけを真っすぐに捉えていた。
「頑張ってね。そっちの方が、君にとって苦しいと思うけど」
嘲るように笑った彼女を見て湧き上がった感情を、舌を噛み千切るような勢いで顎を閉めることで押さえつける。口の中に広がった鉄の匂いで、生きていることを実感した。
「何してるの……!駄目でしょ!君が傷ついちゃ……」
何故か酷く焦った様子で、彼女が上体を起こして俺の口の中を確認しようとしてくる。それに対して感じる思いは、疑問しかなかった。
「何で、そんな事するんだ?」
「……君は、きっと勘違いしてる」
余裕の一つも無いような切羽詰まった表情で彼女は口を開く。
「私は君を傷つけたくなんてない。私は、君を愛してるから。だから、殺してほしいの」
美しい貴方にせめて、最悪な結末を 獣乃ユル @kemono_souma
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