百九十一話 瑞稀、白露(九)
「ゲートウェイ」の文字が目に入ったので、あわてて電車を降りました。
改札のある二階に上がって見上げると、上のデッキにスターバックスのロゴマークが架かってます。なるほど。これはわかりやすい。
改札上の時計は17:12。ぜんぜん余裕でした。これならきっと、私の方が先ですね。
店内に入り、アイスラテを注文して席を物色。入り口側は全面ガラスだから、そちらに背を向けさえしなければどこに座っても人の流れは一目瞭然です。受け取った飲み物を持って、窓に沿って並んだカウンター席のひとつに腰を下ろしました。蔵六さんの席が埋まらないように、隣の席にバッグを置いて。
笠地蔵六さん。今年の一月に知り合った見知らぬひと。最初はまだ東北に住む大学生だったけど、四月には無事就職して東京に独り住まいって聞いてます。私と同じ時期に同じようにツイッターで小説を連載しはじめてて、同じコンテストに出品していたところから繋がった。いまの私のアカウントでは最初に相互フォローになったツイ友ですね。リアルの栄さんを除いて、ですけど。
よくある出会いを目的とした、出会い厨っていうんでしたっけ、そういうのとは違う、とても紳士的な雰囲気の若者っていう印象。私よりもたくさん本やマンガや音楽を知っていて、薦めてくれるのはどれも好感の持てるものばかり。DMのやりとりも軽妙で、それだけじゃなく私が興味を持つものにも興味を示してくれる。そんな感じ。なんていうか、同じ匂いがする、みたいな。
彼が書いた最初の私小説っぽいのも私のスタンスと似通ってるところを感じたし、今の小説も面白い。私では思いつかない、でも読めばああそうだよね、そうくるよねって思わせてくれる書き手さんで。
なんとなくだけど、皆川さんと雰囲気が似てる、かも。
皆川さんのことを思いだしたら、急に恥ずかしくなってきました。
昨日は急にあんな無茶なお願いをしたにもかかわらず、嫌な顔ひとつせずに請け負ってくれた。そのうえでさらに、想像を遥かに超えた満点の対応でお客様に接してくれてた彼。お昼の休憩所でも、愚痴みたいな私の個人的心配事を黙って聞いてくれた。
ちゃんとお礼もできないまま後を任せて帰っちゃったのに、羽田からの緊急要請にもしっかり応え、疲れていたはずの自分の時間を使ってまでして私を狛江まで送り届けてくれた頼りがいのあるひと。
なんだかふわふわしてますね、私。ちえちゃんや鈴木家のひとたちに冷やかされたからでしょうか。
いままでこんなふうに誰かのことを意識したりしたことはなかった気がします。少なくとも直人には、こんな風に感じたことはなかった。
「それはもうラブでしょ」
今朝ちえちゃんが放った軽口が耳に残ってます。
ラブ? ラブってそういうもんなの?
顔が火照ってるのに気づいて我に返りました。私、なにやってるんですか。多くのひとが行き交う通路に面したガラスの内側で、ひとり顔を紅くさせているなんて。
スマートフォンで時間を確認します。
17:42。
蔵六さん、なにしてるんですか。もう十二分も過ぎてますよ。
立ち上がって店内を振り返ります。ひとりでいる男性客は二組いましたが、どちらも白いタオルなんて置いていません。片方はノートパソコンを忙しそうに打ち込んでるし、もう片方はスマホいじって遊んでる。
今日はバタバタはしたくないから、七時には羽田に着いておきたい。空港内もゆっくり散歩してみたいし。
グーグルマップで現在地から羽田空港までのアクセスを確認します。ここからなら、山手線ひと駅で品川まで行って、そこから京浜急行に乗り換えるのでトータル二十八分。ということは、遅くとも六時半には出ないと。
続報のDMは届いていません。蔵六さんらしくない。そう考えてから思い返しました。らしくないもなにも、私、蔵六さんのことなんにも知らないし、彼が待ち合わせ時間にどれくらいの感覚を持ってるかもわかってないのです。これじゃ、勝手に決めつけて勝手に怒ってるだけですよね。うん、もう少し。そうですね六時までは待ってみましょう。
六時を回りました。
いらいらはマックスに近い。でも、もしかしてなにかの掛け違いがあったとしたら・・・・・・。
そう思い直し、私は今日届いていたDMをはじめから読み返しました。
うーん。なんとなく違和感。
笠地蔵六@kasajizorock
お伺いします!
月波さんとはお会いしてみたいって前から思ってました。
五時半には着いてますので、それを目途に。
―――――午後4:46 · 2023年9月9日
ゲートシティ大崎? デッキまでエスカレーターで上がるのを「渡る」って言う?
もう一度グーグルマップを開き、現在地を拡大してみました。
高輪ゲートウェイ駅
場所、違う! ていうか、「ゲート」とスタバしか合ってない!
焦る指で「ゲートシティ大崎」を検索します。すると当たり前ですが、ぜんぜん別の場所、JR大崎の駅前が表示されました。
うわ! 間違えてたの、私の方だった。
月波@tsukiandnami
ごめんなさい蔵六さん。
ボク、場所間違えてました。
これからすぐそちらに向かいます。
―――――午後6:04 · 2023年9月9日
グラスを返却口に戻していたら返信が届きました。
笠地蔵六@kasajizorock
月波さん、いまどこ?
―――――午後6:05 · 2023年9月9日
こんどこそ間違えちゃいけない。
私は店を出て、改札が見下ろせるデッキの端まで行って駅名を確認しました。
月波@tsukiandnami
高輪ゲートウェイ
―――――午後6:07 · 2023年9月9日
切符を買うのももどかしく、私は改札を走り抜けます。階段を駆け降り、ちょうど入ってきた電車に飛び乗りました。
笠地蔵六@kasajizorock
了解しました。
こちらも店を出て、駅に向かいます。
―――――午後6:08 · 2023年9月9日
え? 蔵六さんも出ちゃったら、どうやって見つければいいのかわかんなくなっちゃうよ。
なんて返せばいいのか悩んでいると再び着信音。でもDMの続報は届いていません。ホーム画面に戻るとLINEの緑色のアイコンに赤いバッジがついていました。
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瑞稀は今日何時に帰ってくると?
ミツルが空港まで迎えに行こうって言ってるんだけど。
晩ごはんくらいご馳走するから到着時間と便名を教えて。
栄
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なんなの栄さん、この忙しいときにのんきなことを!
いらいらしながらメールを開き、伯父から転送されたチケット情報に載っていた便名と到着時間をコピーして、LINEに貼り付けて返信します。
停車していた電車は、ちょうどドアを閉めて動きだすところでした。流れてる表示板の駅名は・・・・・・品川。うん大丈夫。大崎はこの次。
減速する電車の中で、私は蔵六さんにDMしました。お待たせしました。もうすぐ大崎駅に停まります、と。ドアの前で待ち構えていた私は、開くと同時に飛び出して、改札を案内する表示サインを求めて周囲を見回しました。
視線の先に北口出口の案内がありました。でもその前に、私の目は見つけてしまった。勢い込んで降り立ったホームに掲げられた駅名表示を。
そこに書いてあった文字列は、「大崎」ではなかったのです。
大井町
私はホームに膝をつきました。
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