百九十六話 笠司、白露(十二)
火曜日の昼前には
さんざっぱら悪態をついてきた彼女の言葉を要約すると、こんなイイオンナが遊んであげると言ってるのに指一本出してこないなんて人としてあり得ない、どっか悪いんじゃないのか、じっくり見てあげるから今度時間を作りなさい、みたいな感じ。
遊んでくれるひとは少ないし、いじられるのも含めて話してて楽しいのは事実だから、無茶言わないでいてくれるんならまた飲んでもいいっス、と答えておいた。
「さっきの電話、えりかちゃんからだろ。なに怒らせたんだ?」
そう言ってにやにやするのはサンタさん。電話の声が漏れていたのだろう。全部聞かれたわけじゃないだろうが、あきらかに面白がられてる。
「たいしたことないっスよ。また飲もうって」
「気をつけろよ。彼女、若い子食うの好きだから」
笑いながら席を立ったサンタさんの背中に、心に留めときます、とだけ返した。
正直に言おう。
月曜の夜、からかい半分に誘ってきたえりかさんの甘言に乗っちまいたくなった僕は、たしかにいた。時代遅れの隠語を使ってことさらカジュアルにセックスを語る彼女のスタンスは、事大的かつ儀式的にそれを捉える僕の重たいポリシーと真反対に位置する魅力的な
ほかのひとはどうでもいい。なんなら相手が初めてでなくても全然構わない。でも自分がその一線を越えるには現在と未来をまとめて背負うくらいの強い覚悟で臨むべきだと思う気持ちが、思春期のころからずっと胸の奥底に横たわっている。全身全霊をかけても構わないとまで思っていたあの皐月さんを前にしても、僕のさじ加減次第だった石川町や町田のラブホテルなどに安易に足は向けてはいけないとブレーキをかけて自重した。それがよかったのか駄目だったのかは別にして、そのくらい強力な呪縛が僕を支配しているのだ。
平たく言えば、愛が必須なのは当然だが、それに加えてそこに至るまでの納得できる舞台が必要、ということ。
メンドクセー奴。
だからいっそ、対極を体現しているえりかさんにリードを委ねて、ややこしくこじらせた僕の貞操帯をこなごなにしてもらうのも悪くない手なのでは。
もちろん、こんなしち面倒くさい理屈を無理矢理つけでもしないと自分に許可出せないんだから、アタマの固さなんぞ緩むはずもない。意味わかんないふりをしてスルーするのが精一杯ってわけだ。
心の一番奥の隠し棚に押し込んである鍵付きの箱には「愛」も一緒に封じ込めてある。そいつを取り出すには強烈な覚悟や勇気が要るんだけど、いまの僕にはそんな余力はからっきし無い。ほの暗い灯りが見える程度の予感さえも。
でも「愛」なんかなくたって、日々をへらへらと装って暮らすことくらいはできるのだ。
*
金曜までの業務はとくに問題もなく順調だった。はしくらの件で周りに振っていた仕事は戻ってきたけど、有能な先輩たちのおかげでどれもしっかり日程通り。おかげで週末の三連休も暦通りに休めそうだ。
―――――
誰! この美人!?
―――――
ほぼ想定通りのリアクションに僕はほくそ笑む。
なかなかの破壊力だったようだ。
仕事先の担当者、とだけ返して、あとは知らんぷり。きっと近いうちにハヤトから飲みの誘いでも来ることだろう。
*
金曜の夕方、ビッグサイトでの仕事の最終報告書と請求書を仕上げてサンタさんに送った。OKが出たら、週明けにでも波照間さんに送付しよう。これではしくらとの仕事はすべて終わる。
不意に、寂しい、という単語が浮かび上がってきた。
唐突に現れたその感情に狼狽えて、僕は思わず自問する。
いったいなにに?
答える声は、裡からは聞こえてこなかった。
*
金曜ロードショーのコナンを流しながらコンビニ弁当を食べていたらLINE通話がかかってきた。カジ先生からだった。
「や、すまん。間違い電話だ。勝手にかかっちまった」
スマホが勝手に電話なんかするもんか。どうせなんかいじってて指が触れたりしたんだろう。
「いいスよ、べつに。こっちはヒマしてましたし。てか先生、相変わらず元気そうっスね」
「あー、まあ普通に元気だよ。運動会の準備とかでけっこう忙しいがな」
間違い電話だからとくに話すことねぇな、とつぶやくスマホの向こうのカジ先生は、思いついたように話し始めた。
「今年の冬コミな、また申し込んでるから、受かったら売り子頼む」
去年の閉会シーンが頭の中に蘇る。波のように拡がる拍手。今年もあれが見られるのか。
「当選しそうなんですか?」
「わからん。わからんが、コロナ以降、参加希望するサークルが減ってきてるという噂はある。わざわざ大枚はたいて紙にしなくても、キンドルアマゾンで電子のまま売りさばく方がリスクが小さいってことなんだろう」
なるほど。確かにそうかも。去年も、二百部刷ったうち委託分五十部を除いた百五十部を完売したカジ先生でも、トータルではギリの儲けだと言っていたっけ。
「どうだ? 今年はリュウジも一冊出してみるか? なんなら挿絵くらい描いてやるぞ」
―――いつか己れの作品でもう一度この祭に来たい。
去年の自分がそう感じた一文が頭に浮かぶ。
僕の本。カジ先生の描いた挿絵が入った、印刷された冊子。
先週の展示会で波照間さんたちが配っていた会場限定冊子を思い出した。
そうか。あんな感じの本か・・・・・・。
「考えときます」
*
TVの音を消した無音の部屋で、連載小説のラストに向けた書き溜めをしていたら、ブラウザのタブに赤いバッジがついた。Xのポストにリプライかなんかが付いたっぽい。書きかけのテキストファイルを保存して、Xの通知画面を開く。
月波@tsukiandnami
ちさと零号機、満を持しての登場‼️
なんですか。この神展開は⁉️
―――――午前1:11 · 2023年9月16日
三十分ほど前にアップした最新話の引用ポストだった。
先週逢い損なった月波さん。返す返すも残念だったけど、めげずにこうして返してくれるのは素直に嬉しい。まだ切れてないんだな、って思う。
さっそくリプライ。文章を吟味しつつテキストを打ち込む。
笠地蔵六@kasajizorock
月波さん!
感想&
めっちゃ嬉しい!!
休み休みでだらだらと続いていたバトルも、零号機の登場でようやく終わりました。彼女たち、本気を出せば凄いんです。
物語もそろそろ締めにかかるところ。
もうちょい。もうちょいで完結しますので、あとしばらくお付き合いを!
―――――午前1:22 · 2023年9月16日
すぐ返事が来るかと思って数分待ったが、反応は無い。もう寝ちゃったのかな。
原稿書きも中断してるから、ここらでしばし小休止。コーヒーを淹れに立ち上がる。
ザッピングしたチャンネルでマンガ原作のラブコメをやってたのであまり気合いを入れずに眺めていたら、いつの間にか返信が投稿されていた。
月波@tsukiandnami
蔵六さん、こんばんは。
宵っ張りさんですね🤗(人のことは言えない😅)
そろそろ完結とのことで、気は早いですがお疲れ様でした。最後まで見届けさせていただきます。
ボクのも日曜には終わるはずですので、そちらもよろしく👍
ところで「10-78」ってなんですか❓
ググったら計算始めちゃう⁉️
―――――午前1:41 · 2023年9月16日
なんだよ月波さん、この中途半端なオジサン構文は。慣れてないのバレバレじゃん。ていうか、エミールも終っちゃうんだ。たしかに、もう二十歳になっちゃったもんな。どうやって店仕舞いするのか
で、10-78。ああ、ちさと同士の無線通信のことね。グーグル検索でこのまま打ち込んじゃったら、たしかに計算がはじまるわな。
再びキーボードに向かう。
笠地蔵六@kasajizorock
改めましてこんばんは!
エミールの旅も終わってしまうんですね。
楽しませていただいてましたよ。
で、ご質問の件。
これは10コードと言って、警察無線等で使われる符牒です。10-4(テンフォー「了解」)や10-10(テンテン「通信終了」)あたりが有名です。
ちなみに10-78の意味は「応援要請」です。
―――――午前1:52 · 2023年9月16日
今度は割とすぐに返ってきた。
このひととのやりとりは、やっぱ楽しい。
月波@tsukiandnami
ご説明ありがとうございます。
そんな暗号みたいなのがあるんですね。シラナカッタ
でも確かにちさとシリーズなら言いそう❣️
さて、そろそろおねむなので、今宵はこの辺にしておきます。
オヤスミナサイ😪
―――――午前1:58 · 2023年9月16日
いいね。ちさとシリーズって言い方。
でもそっか。もう二時か。ラブコメアニメも終ってる。
ノートPCを閉じてTVと電気を消し、僕もベッドに入った。暗闇の中でスマホを開き、今日最後のリポストを打つ。
笠地蔵六@kasajizorock
10-4
おやすみなさい。良い夢を。
10-10
―――――午前2:04 · 2023年9月16日
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