百九十五話 瑞稀、白露(十一)
ちょっとした燃え尽き症候群に罹っています。
ぼーっとしてて、なにをするにもワンテンポ遅れてしまう。ぜんぜんやる気スイッチが入らない。社長から労いの言葉をいただいても、業界紙の取材をリモートで受けていても、どこか上の空の感覚で。
考えてみればこの半年、オルタペストリーに掛かりっきりといってもいいくらい集中してましたから、ある意味しょうがないのかもしれません。
報告書づくりにも飽きたので、手を休めてビニールマットの下に敷いた大判の写真を眺めたりします。ビッグサイトで展示したリビングルームの壁に架けてあった写真。小竹さんのお母さまを真ん中に、私と皆川さんが顔を寄せ合ってるあの写真です。これを見てると、なんだか本当に皆川さんと一緒にお母さまのお見舞いに行ったように気になってきます。映像ってすごい。記憶まで書き換えちゃう力があるのかも。そう考えるとちょっと怖いですね。
なんとなくの流れで、スマートフォンの画像フォルダを開いてみました。タイル上に並んだサムネイルの中から一枚を選びます。全画面に表示されたのは、羽田空港の展望室で撮った皆川さんと並んでの自撮り記念写真。病室の写真とまったく同じ服装だけど、こっちはホンモノです。でもこうやって並べてみると、まるで繋がってるみたい。お見舞いを終えて、嘘の婚約をホントにしたあとに撮ったスナップ写真。なぁんて思えちゃったり。なんだか頬が火照ってくる。
いやいやいやいや。
あれは私が自分でつくった架空のお話しです。本当はいないすみれと一郎の、展示会のために書きおこした絵空事。私と皆川さんは、それをホントらしく見せるために顔を貸しただけ。実際の私たちにそんな事実なんて欠片も存在しない。ただ単に、ひとつの仕事を一緒にしたってだけなのに。
やっぱり、写真ってこわいですね。
*
予想に違わず、金曜のランチでは写真のことをいじられてしまいました。
机の写真は、見てるとなんだかおかしな気分になってしまうから早々に外して他の資料と一緒に仕舞ったのですが、目敏い水野さんにはチェックされていたようなのです。しかもご丁寧に、スマホで写真まで撮って。
「水晶ちゃんに見せてもらったよ。ミズキっちにもようやく春が来たって」
涌井さんはそう言って、お皿に残った最後の
「あれは、展示会用の演出で」
「いつの間に、カレのお母さんに挨拶しにいく仲にまで進展させてたの? あたし聞いてないよ。桜子は聞いてた?」
あんかけ焼きそばを啜ってる天童さんは左手だけでいえいえと否定しました。
「だからさっきも言ったじゃないですか。あの写真はデザイナーさんがつくった合成なんですって」
「私、実物を穴が空くほど見ましたけど、カンペキにホンモノでした。瑞稀先輩と彼氏さんの光の方向は完全に同一でしたし、真ん中のお婆さまとの違和感もまったくありません。こう見えて私、フェイク画像のチェックには詳しいんです。『ムー』でいっぱい勉強しましたから」
水晶ちゃん、あなたは検証班ですか!?
だいたい『ムー』って、UFOとかオカルトの専門誌のことでしょ。UMAの目撃画像や心霊写真なんかと一緒にするとか、あんまりじゃないですか。
「皆川さんと私の光の具合がおんなじなのは当たり前です。デザイナーさんが入念に場所選びしたところで、ポーズとらされて並んで撮ったんですから。病室のお母さまの写真との合成は、もうプロの腕前としか答えようがありません」
「「「お母さま!」」」
なんですか、この三人は!
「聞きました涌井先輩。いまスルッと出てきましたよ、お母さまって」
「瑞稀さん、もうお母さまって呼んでるんですか?」
「言ってたね。凄い自然に言ってたね」
「いやだから、あれはデザイナーさんの亡くなられたお母さまで……」
「お相手のこの方ってデザイナーなんですか?」
水晶ちゃんのスマホを引き寄せた天童さんが画像を指さして尋ねてきました。
もうわけわからん。
「そっかあ。瑞稀先輩のお相手は、東京のデザイナーさんなんだぁ」
あまりのトンデモ展開に、私は飲んでいたお冷を噴き出しそうになります。
お相手もなにも、私と皆川さんはなんにもないんですって。だいたい皆川さん、デザイナーじゃないし。ねえみんな、ちょっとはひとの話を聞いてよ。
「でもこれで桜子もひと安心だね。ミズキっちが灰田さん狙いじゃないってことが確定したからさ」
あんまりめちゃくちゃなので、灰田さんと栄さんのことをリークしてやろうかって思い浮かびました。でもそっちは口止めされてるのです。灰田さんから。せっかく軌道に乗ったのに、これ以上ややこしいことが起こると面倒だからって。
*
明日からは三連休。ひさしぶりになんの予定も気掛かりもない休日です。
お風呂上がりにTVを点けたら名探偵コナンの映画をやっていました。途中からだったけど髪の毛乾かしながら眺めてたらつい引き込まれて、結局最後まで見ちゃった。主役のコナンくんくらいしか知らないんだけど、そんな予備知識が無くても全然平気。展開は早いし画面も派手、こっちの興味を掴む演出など見事としか言いようがありません。脚本が上手いのかな。
TVを見ながら飲んでいたモヒートの缶が空っぽになったので、買い置きのワインを引っ張り出してきました。ついでにクラッカーとチーズも。明日の予定がないって、ホント気楽ですね。
先月からこっちはとにかく忙しかったから。展示会の準備はもちろんですが、夏休み全部を費やした沖縄旅行がとくに大きかった。島ではたしかにゆっくりしてたけど、ひとりでいる時間はほとんどなかったし。やっぱり気疲れは相当あったみたい。
知らない女優さんが大分の街を歩いてるTVを消して、BGMをアイチューンズに切り替えて。グラスに注いだ冷えた白ワインをひと口含み、ノートパソコンを開きました。
先週はサボってたエミールの連載ですが、今週は月曜からちゃんと休まず更新してます。
男の子の名前で育てられていたエミールは本来の名前のエミリーとなって、ニライカナイの学校に入学。六年経って二十歳になった彼女は、勉強で得た知識と旅の経験を活かし、新しい街をつくるキャラバンに幹部として参加します。彼女にはすでにパートナーがいます。前の旅の道連れで、立派に育ったヤナハ青年。
夕方の帰りの車内でここまでの話は投稿したから、ここから先の、物語の最後までのプロットを整理するかな。
ひと段落ついたので執筆の手は休め、ツイッターのタイムラインなんか眺めたりします。いくつかのツイートを流し読みしてたら、蔵六さんのにあたりました。
溜息をひとつ。
結局彼とは会えなかった。上野のお散歩コースも教えてもらったし、少しの時間でも直接会ってお茶しながらお話したいなって思ってたのに。もらったDMを読み飛ばしていた私の不注意で、待ち合わせ場所を間違えて会うことができなかった。
返す返すも残念です。もうあんなチャンス、巡ってこないかもしれないのに。
もちろん謝罪のDMは送りました。蔵六さんも残念だったみたいで、次のタイミングがあれば是非、とまで言ってくれてました。でも、そんなタイミングは来ないだろうって思ってるんでしょうね。
気を取り直して、彼の小説を最後に読んだところまで遡ります。月曜の分の、サトルくんが人質にされたとこまで。その続きは……。
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