二百五話 瑞稀、寒露(一)
ついに始まってしまいました『うれしぐすくぬー』。
地下鉄のホームでスマートフォンを開いたらエックス(そろそろこう呼ぶことにします。慣れないけど)の下の方にある鐘のマークに赤いバッジがついていました。数人のお馴染みアイコンの方々からのいいね。こんな私でも少しは期待してくれてる読者さんがいるんですね。なんだかぽかぽかしてきます。
もちろん、その中には蔵六さんの緑
さあ蔵六さん、最初のボールは投げましたよ。
*
月が替わったので先月九月のポータルサイトのアクセス状況をまとめていました。今回はいつもの月次レポートのほかに、今日から下期に入るので第二四半期、前半期 の報告書もそれぞれ別につくらなければいけないのです。とくにうちの部署の半期報告は今回がはじめてなので、書式をコピって中味だけ書き直すという手抜きもできません。よその部署の例を参考にしながらのフォーマットづくりは午後いっぱいかかっちゃうかも。
そんなことを考えながらパソコンと格闘していたら、灰田さんが戻ってきました。時計を見ると、まだ十一時前。始業すぐに部長に呼ばれて十時からの役員会議に出席されてたはずだけど、会議が終わるにはまだ少し早い気が……。
「瑞稀ちゃん、決まったよ!」
愛用のサコッシュをご自身の席に投げるように置いた灰田さんは、椅子にも座らずに話しかけてきました。心なしか上気してる感じ。私は小首を傾げて応じます。いったいなにが決まったのでしょうか。
「発売日。オルタがいよいよ
なんと! オルタペストリーがついに商品となって世に出るんですか。
途中の作業なんか関係ない。私も身を乗り出して詰め寄りました。
「いつ。いつなんですか、その発売日は」
「十二月十九日。大安の火曜日。その日の午前十時に、全国の販売店で一斉に売り出す。忙しくなるぞ。まずはメディアを抑えないと。新聞は日経朝読と西日本、TVはタイアップで。メインビジュアルは星野さんに頼めばいいか。あとは屋外看板も既存のいくつかの板面を差し替えて……」
灰田さんはご自分の席の後ろを窓に沿って往復しながら、独り言のようにしゃべり続けます。その姿はまるで、動物園のクマみたい。
「そうだ、瑞稀ちゃん。アレがあったよ」
急に立ち止まったと思ったら、いきなり私に名指しです。
「アレ……とは?」
「ほら、取材の依頼がきてただろ。ビジネス誌から」
そう言えば先週メールが届いてました。新聞系の著名なビジネス誌の編集部からで、先日の展示会に興味を持ったので取材したいという内容の。
「ああ、たしかに」
「あそこと連絡とって、十二月発売の誌面でPRさせてもらうんだ。うん、そうしよう。他の広告関係はぜんぶ僕がやるから、瑞稀ちゃんはネット広告の手配と、あとはその取材に集中して。内容は、全面的に任せる」
全面的に、って。私、広告なんて、グーグルのアドセンスくらいしか触ったことないんですよ。雑誌でのPRなんて、どうすればいいのか見当もつかない……。
「メールをくれた担当者と連絡を取り合うところから始めて。彼らは素人の扱いは慣れてるから。こっちは向こうの都合なんか考えないで、なにがしたいか、どんなふうに見せたいかをじゃんじゃん無茶振りすればいい。できることできないことの判断は向こうがするから気にしないで、瑞稀ちゃんはとにかくできるだけ粘って彼らの限界を絞り出させるんだ。わかんないことやヤバいときは、声かけてくれれば僕がバックアップするけど、まずは自分でできる限りやってみて」
早口で指示する灰田さんの言葉の端々を殴り書きでメモしながら、頭をフル回転させます。雑誌の発売日、取材記事のバックナンバー、はしくらが世間に伝えたいこと、ほかには……。それらの思いつきもすべてメモに書き加えます。なにが必要でなにが要らないのかなんて、いまの私では判断できない。だから、全部ぶつけてみるところからはじめないと。
どこかに電話をかけはじめた灰田さんを尻目に、私もパソコンのメールを立ち上げます。
*
残業一時間半。今日最後のメールを編集宛に送って、鬼のように忙しかった本日の業務は終了です。灰田さんはメディアの件で前職の同僚と会うと言って夕方には出ていかれてるから、総務の部屋に残ってるのは私ひとり。
こういうときに限って、パソコンの終了タイミングでなにかの自動アップデートがはじまっちゃったりする。まったくもう。そういうの、勝手にやんないでよ。
しかたがないので、再起動を待つあいだにスマートフォンを取り出します。いいよね。もうお仕事終わってるもんね。
来てました。蔵六さんのリレー投稿。
うん。予想通り
けっこうスピード感がある。でもたしかに序盤はペースがわからないから、多少前倒しくらいの方がいいのかもしれない。ていうか、投稿は二本だけなの? 二分間隔であとのポストが一時間前だから、ここでパスされたと思ってもよさそう。場面的にもマドカちゃんの描写も入ってるから受けやすそうだし。
続きを考えていたら、いつの間にかプログラムの更新は終わっていました。
こんなとこに長居しててもいいことない。すでに帰り支度を済ませていた私は部屋の電源を全部落とし、鍵をかけて退室します。おつかれさまでした。
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