百七十六話 笠司、白露(二)

 バトルを書くのは苦手だ。

 不定期で連載してるツイッター小説『三十日間のペアリング』で、小学四年生(あれ? 五年生だっけ?)の少年と恫喝の片棒をバイトで担ぐアタマの悪い暴漢二名との庭先での戦いを書いているのだが、どうにも臨場感が表現できない。そもそも暴力シーン自体のイメージが希薄なのだ。

 考えてみれば、子どもの頃から殴り合いの喧嘩というのをしたことがない。双子なんだからそのくらいやっただろうと思われがちだが、それも記憶に無い。龍児と僕ぼくらは赤ん坊の頃から常に一緒に居て、同じバイオリズムで同じように物事を見て過ごした。興味を持つものも同じだったそうで、手頃なものであればひとつずつ、そうで無ければ購入しないという方針で育てられた僕らは、そもそもが良くできたおとなしい幼児だったのだ。

 自意識が目覚め始めた十歳目前にちょっと派手な交通事故に遭った僕(後遺症などはとくにない)が入院先から帰ってきたときには、すでに龍児おとうとは僕を含まない社会で人気者になっていた。焦りはあったけど、それで手をあげたりすることはなかった。ブランクの所為で、体力的にも負けていたし。

 中学時代も、文武両刀の優等生だった弟の効果でイジメに遭うことはなかった。だから反撃の必要性とも縁は無い。女子の比率が高いおだやかな美術部に所属していたので、そこでのフィジカルな争いなんかも当然のごとく無かった。龍児おとうとと離れた高校で入った陸上部でも孤高の人だったし、大学生にもなって殴り合いなんかする奴は馬鹿だと決めつけていた。

 かくして、一度も拳を振り上げることなく無難な二十四年間を送ったヘタレ男子のできあがり、だ。

 もしも一度でもリアルな喧嘩を経験していたとしたら、スタバでのあの夜に僕は各務あいつを殴り飛ばしただろうか。


 たぶん、そうはしなかったな。


 三ヶ月前の記憶は随分と角が取れ、こころなしかぼやけている。

 痛みが消えたわけじゃない。でも、あの臓腑が握りつぶされるような苛烈な感覚は、もう無い。

 お前にはもっと時間が必要だ、とカジ先生は言った。

 たしかに。

 少なくとも今の僕は、足元を失って後先も考えずに杜陸もりおか行きのバスに乗り込んだあの日の僕を俯瞰して笑い飛ばす余裕がある。落ち着いた。いや、オチがついたということか。


 思考が拡散して物語の場面を見失ってしまった僕は、キーボードから手を放す。今日の更新はあきらめた。暴漢どもの反抗は明日の僕にまかせよう。


 日付が八月最終日に替っていることを確かめてノートパソコンを閉じた。電気を消して、スマホ片手にパイプベッドに潜り込む。上掛けがタオルケットじゃもう寒いかもしれない。

 エックスのタイムラインを流していると、見知ったアイコンが目に止まった。



月波@tsukiandnami


飛び飛びになっていた『エミールの旅』ですが、ようやく終わりが見えてきました。たぶんあと数回。

はじめての異世界モノでしたが、エミールの成長を楽しんでいただけたでしょうか。

―――――午後9:24 · 2023年8月29日



 儚げに微笑む少女のアイコンをタップすると、未読だった昨夜と今夜の分の挿話二篇が並んだ。先週はほとんど更新されてなかったけど、今週はちょっとやる気が出たのかな。

 見ず知らずなのにこっちで勝手にシンパシーを感じてる戦友の連載小説に目を通す。旅の目的地に到着したヒロインが遺伝上の父との対話を続ける中で、次の目標を見出すシーン。

 そっか。勉強するのか。そりゃそうだ。ヒロインのエミール、たしか十三か十四だったもんな。

 謀られた追放の旅ではあっても、さまざまな知見を得ることができたボクっ子の少女。リアルな体験を糧に、次の舞台にステップアップしようと決めたヒロインの姿は素直に共感できる。


 王道だけど物語の進行が上手いよね。旧き良きファンタジーの匂いがする。でもこれ、単発で流れてきたの読んでも、たぶんワケわかんないだろうな。ま、僕のもそうだけどさ。


 PVが伸びない互いの状況に苦笑しながらTLを遡ると、火曜日の朝に投稿されていたひとことだけのポストが目に飛び込んできた。



月波@tsukiandnami


前髪クネオ!!!(笑)

―――――午前7:32 · 2023年8月29日



 思わず噴いた。

 月波さん、朝からあまちゃん観てるし。

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