百七十七話 瑞稀、白露(二)

「波照間島って五百人しか住んでないんですか!」


 杏仁豆腐を口に運びかけていた水晶ちゃんが私の島の紹介に反応してくれました。


「あたしもさぁ、けっこういろんなとこ旅行してきたんだけど、波照間島は行ったことなかったなぁ」


 今回の夏休みはミズキっちの優勝ねと続けた涌井さんに、なんにもない島ですよと苦笑いで返します。

 ジャスミン茶を飲んでいた天童さんが、でも、と差し込んできました。


「瑞稀さん、どうせならそのお祭りまで観てきたらよかったのに。ムシャーナ、でしたっけ?」


 ムシャーマ、と訂正する私に被さってくるのは水晶ちゃん。


「そうですよぉ。仕事なんてあと三日くらい休んじゃって。なかなか行けるとこじゃないんだし、私だったら絶対延長してます」


「そんなお気楽できるワケないでしょ。あんたと違ってミズキっちは忙しいんだから」


 後輩をたしなめて同意を求める涌井さんの視線に、私は曖昧な表情で応えます。でも実際のところ、あれ以上お休みしてたら来週の展示会はとんでもないことになってたでしょう。

 申し込みのあった来場予約リストはぜんぜん手を付けられていなかったし、水曜日には展示パネルや配布資料の校正漏れが何か所も見つかりました。とにかく今週はイレギュラーだらけだった上に、頼みの灰田さんもいつもの切れを取り戻せて無くって。

 おかげさまで、内部で対応できる分は今日の午後まででなんとか形にできそうですが、展示ブースや配布冊子といった外注分の仕上がりチェックに関しては、ヴィルトの星野さんやエムディスの皆川さんに丸投げするしかありません。こんなんじゃディレクター失格ですよね。



 会社への戻り道のアーケードでおもむろに振り向いた水晶ちゃんが、無邪気に笑いながら言ってきました。


「石垣ロイズ、美味しかったですよ。チョコにほんのり塩味って、ちょっと癖になりそう。来週の東京土産も楽しみにしてますよぉ」


 ホント、この子はお気楽そうでいいなあ。羨ましい。


          *


 ひさしぶりにひとりで過ごす土曜の午後。どんよりとした雲が空一面を覆っています。昨日降った雨の所為か気温はすっかり下がって、気配は完全に秋のものです。もう九月なんですね。時間が経つのって早いなぁ。

 コインランドリーで乾燥まで済ませた大量の洗濯物を一枚ずつ畳みながら流しっぱのNHKを眺めてたら、今夜の番組の宣伝がはじまりました。BSが初めて生中継する「おわら風の盆」の二時間スペシャル。中学のころ本好きだった友だちに薦められて読んだ少女マンガではじめて知った、富山の八尾町で行われる祭りです。男女で全く違う所作が独特の振り付けを、胡弓とうたいに合わせて披露するという踊り。瞳がキラキラしてない硬質な絵柄で描かれたマンガのコマは、思春期の心に刻み込まれました。いつか本物を観てみたい、と。

 これはもう、頭から最後まで正座して見届けなくちゃいけないやつですね。ご飯の準備、早めにしよっと。


          *


 即製手抜きのベーコントマトパスタを食べ終えて、石垣島レモンジンジャーシロップの水割りを用意して部屋の電気を落としたら、TVの前で準備オッケー。せっかくだから、リマインドツイートでもしときましょ。



月波@tsukiandnami


今宵はおうちで、おわら風の盆を生堪能。

小玉ユキさんの名作『月影ベイベ』を読んで以来、いつか観に行きたくって。

今まさに、BSプレミアムで観られますよ!

―――――午後6:37 · 2023年9月2日


          *


 うーん。堪能しました。

 どんちゃんした派手な音頭や演出は一切無く、宵闇の中ですぅっと始まる静謐な舞。滑らかな踊りの中で時折挟み込まれる止めのポーズは、指先の角度まで気配りされた美しい一枚絵。単調だけど深い胡弓の音色と三味線が奏でるリズム。こぶしを長く伸ばす謡いに合わせ、組ごとに由来を織り込んだ浴衣と目元を隠す編み笠を纏って踊りながら練り歩く町流しなどは、青い世界に揺れるモノクロの熱帯魚の群れのようでした。

 女踊りも男踊りも、どちらも素敵。声だけで被さってくるゲストの騒がしいお喋りをオフにできたらさらによかったんだけど。これはやっぱり現地に行って、一度自分の目で見てこないと駄目なやつですね。


 中継が終わった後も熱は冷めやらず、暗い部屋の中でノートパソコンを開いておわらのユーチューブ動画を捜していたらツイッターの着信音が。タブを切り替えて確かめると、私のツイートに返信がついていました。



笠地蔵六@kasajizorock


なるほど。

これが富山のおわら風の盆か。

―――――午後9:11 · 2023年9月2日



 蔵六さん、私の紹介で観てくれてたのかな?

 同じ時間におなじものに触れて感動してるひとと繋がれたのが嬉しくなって、すぐに返事を打ちました。



月波@tsukiandnami


そうです!

蔵六さんもご覧になってるんですね!


いいですよね。

一度現地に行って見てみたいなあ。

―――――午後9:13 · 2023年9月2日



笠地蔵六@kasajizorock


確かに。

これは行ってみたくなる。

お勧め『月影ベイベ』も読んでみますよ。

―――――午後9:16 · 2023年9月2日



 !!

 やっぱり、ちゃんとツイート読んでくれてる。

 うれしい。すっごく。

 『月影ベイベ』もとってもいい話ですよ。あれを読んだら、きっとますますおわらが見に行きたくなるはず。本当にお薦めします。


 その気持ちを最大限に伝えるために、簡潔だけど強い文節で返信を送りました。


 ぜひ!

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