百七十話 笠司、処暑(四)

「僕に足りないモノ……か」


 支給されたシウマイ弁当を搔っ込みながら、僕は先日の羽田での不思議な集まりのことを思いだしていた。

 ここはJR大井町駅前にある品川区の文化施設「きゅりあん」の六階会議室。本日二十三日水曜日の丸一日を使って開催されている「品川区生涯学習セミナー」のスタッフ控室だ。午後イチのプログラムが真っ最中のため、この時間に昼食を摂っているのは僕ひとり。

 東京の現場なのに横浜のソウルフードであるシウマイ弁当を供されている、此は如何いかに。なんてことはどうでもよくて、最後にとっておいたシウマイを口に放りこみながら、僕はふたたび記憶の風景に意識を戻す。


 あの日同席していたのは、僕を除いて四人ふた組。ゆかりんとシンスケさん、横尾先生と田中さん。ともに、見るからに安定したカップルだった。シンスケさんは一年先輩だけど僕と同い年でゆかりんは同期だけどひとつ下。田中さんは浪人組なので一年先輩で歳もひとつ上で、横尾先生は三十を超えているらしい。横尾先生を除けばほぼ同世代で、男子に限って云えばほぼタメと言っても差し支えない。にもかかわらず、あの安定感はなんなんだ。たしかに僕よりも一年早く社会に出ているのだからその差はあっても仕方ない。が、じゃあ来年の今、僕があの閾に達しているかと言われるととてもじゃないけど自信がない。

 なぜだ? なにが違うんだ?!


 考えてみれば、龍児おとうともあんな感じと云えば言える。あいつとさわさんが並んでるところとか見ると、同じ腹から生まれた双子とは思えないくらい彼我の差を感じてしまう。

 彼らにあって僕に無いもの。


「かあぁあっ。やっぱカノジョかぁ」


 空になった弁当箱を横にずらして、僕は会議テーブルに突っ伏した。


          *


「特別ななにかがあってつきあいはじめたっていうのとは違ったかな。たまたまバイクの教習を受けた期間が重なってて、よく顔を合わせたんだ。合間時間にお茶飲みに行ったりして話すようになったのがキッカケといえばキッカケだったのかな」


 成り行きでなれそめを語る羽目になった田中さんがゆっくりと語る言葉に、隣に座った横尾先生が穂を接いだ。


「タイミングが良かったのよね。当たり前だけどそのときはふたりともオートバイの初心者だし、お互いバイク乗りライダーの友だちがいなかったから。それに私なんか、赴任してまだ三月みつきめくらいだったから話し相手すらいなかったし」


「好きになった時期なんか別々だったし」


「そ。私の方が早かった」


「え? そうだったんですか?!」


 横尾先生のひとことに、ゆかりんが驚きの声を上げた。僕はただ、聞いているだけ。


「そうよ。イツローはぜんっぜん気づいてくれなくて」


「や、なんとなく気づいてはいたよ。ただ、いろいろと自信も無かったし……」


 彼の話し方を聞いていると、ゆかりんが僕と似てると言ってたこともあながちわからなくもない。どことなく醸し出される優柔不断な本質。最初に受けた手慣れた印象は、おそらく海外赴任の仕事などであとから身につけたものなのだろう。


「十和田湖に行ったツーリングで私が無理やり泊まりにしなかったら、今の状況はなかったよね」


 豊かな胸の下で腕を組み、鼻息を荒くする横尾先生。苦笑いで返す田中さんは、そうかもねと頷いた。


「あの日の私に感謝しといてよね」


 駄目を押す横尾先生と二度三度の頷きを返す田中さん。なんという完成度。



「俺たちは、まあなんとなく、だな」


 あとを継ぐシンスケさんがそう語りだすと、すかさずゆかりんが反論する。


「え? あれは完全にシンスケからじゃん。宴会の帰り道に」


 実に彼女らしい反応だ。主導権は常に自分にないと気が済まない。


「だっておまえ、待ってただろ。学祭の頃のおまえ、いつでもかかってこいって顔してたぜ」


「そんな顔してない!」


 なんと楽し気なカップルなのだ。

 ベクトルこそ違えど、おなじくらいに完成度の高いふた組のカップルを目前にして、僕はいったいどんな顔をしていればよかったのか。



 リョウジとさわさんはリョウジの手慣れた雪崩込みからはじまったようだから、交際の始まり方に定型があるわけでないのもわかるけど、僕だったら田中さんみたいなゆるいはじまりが合うんじゃないかな。

 あの日の僕は、そう思った。




「はあぁぁ」


 ペットボトルのお茶をひとくち飲んで、大きな溜息をつく。


 小学生のときのはノーカウントとしても、高校時代の皐月さん、陸上部の子、杜陸もりおかでの御嶽さん、そして三か月前の皐月さん。すべからく受け身だった僕は過去すべての場面で肝心の一手を打ち込むことなく、そしてすべてを成就させることなく失っている。


「そうだよ。ぜーんぶ僕が悪いんだよ」


 いま現在はたしかに萌芽は見当たらない。でもそれは巡り合わせの問題だから、ある意味どうすることもできない。ただこれから先にもしもそういう機会が訪れるのなら、そのときは自分からの一手を指せるようにしよう。少なくともそういう行動のオプションを発動できるよう、心の弾倉に仕込んでおこう。


 ひとまずの結論を自分の中で出すことができた僕は、空の弁当箱を縛り上げて立ち上がる。

 さあ、昼休みは終わりだ。

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