百九十七話 瑞稀、秋分(一)
三連休の最終日。世間様はいざ知らず、私の生活は何事もなく凪でした。
土曜日は溜まってた洗濯物を整理して、夕方から実家。日曜日は雨の中を父の車でマンションの前まで送ってもらい、その夜と今日の敬老の日はお部屋でゆっくり執筆三昧。おかげでさっき、二月末から不定期連載してた『エミールの旅』を最終話まで書き上げられました。すごい。私、えらい。よくやった。
ワードに書き連ねた原稿を第一話から通読してると、いろいろと思い出します。このときはあんなことしてたとか、こことここの間は随分とサボっちゃったな、とか。
思えば二月からこっち、いろんなことがありました。お手伝いばかりだった営業補佐から自分の仕事をゼロからはじめるブランド推進室に移ったり、総務の子たちと仲良くなったり、新しい外部の方とたくさん一緒に仕事したり。あ、直人と会って反省しあったり、なんてのもありましたっけ。
石垣島レモンジンジャーシロップの水割りのグラスがからんと氷の音を立てます。
うん。波照間島も行ったよね。
でも一番上に上がってくる記憶は、やっぱりこの前の東京出張です。
「だって、この半年の集大成だもんね」
そう口にしてみたものの、思い出すのは彼とのことばかりでした。
皆川笠司さん。
リモートのときから印象はよかったけれど、実際に一緒にお仕事してみるといいとこばかりが目に付きました。ものすごい有能とかめちゃくちゃ器用とか、そういうんじゃなくて、手を抜かないで正面から取り組んでくれたところ。仕事も、話を聞いてくれたときも。
スマートフォンの画像アプリを開いて写真を呼び出します。羽田の展望室で私が撮ったふたりの写真。白いベレー帽を被って目一杯笑顔をつくってる私の隣で、ちょっとぎこちない顔でレンズを見上げる皆川さん。
―――それはもうラブでしょ
いやいやいやいや。
誰に見せるでも無いのに、私は両手を振って否定します。
そりゃたしかに随分と優しくしてはくれたけど、所詮、仕事上での関係でしょ。どの仕事するときでもきっとあんな感じなんだよ。MCの笘篠さんとだって仲よさそうにじゃれあってたし。
それにあのときも。
島に向かう前の、祖母を迎えにいった夏休みの羽田空港駅で遭遇した場面を思い出しました。
やたら元気がよくて気の強そうな女のひとから皆川さんが言われていた言葉。
―――もしかして、リュウジくんの新しい彼女さん?
彼は即座に否定してたけど、親しげだったあの彼女、わざわざ「新しい」って言ってた。あのさらっと出た感じ、やっぱりちゃんといるんだよね、つきあってるひとが。
そうやって考えれば、いろいろと合点がいきます。無理言って迎えに来てもらい祖母の家まで送らせてしまったときも、品川の本屋さんで偶然会って空港までお見送りしてくれたときも、彼は終始紳士的でした。とくに車に乗ってたときなんて、考えてみたら私、めちゃくちゃ隙だらけでした。それなのに皆川さん、まったくつけいるような素振りは見せなかった。あの真面目そうな性格からして、きっと彼には心に決めてるひとがいるのです。そうに決まってます。
「どっちにしろ、もう会うことはないでしょうし」
なぜだか私は、声を出して念を押すようにそう言っていました。いったい誰に言い聞かせているのでしょう。
それよりも、次の小説。
仕上がったエミールの公開は今週いっぱいの投稿予約で完結しちゃうから、次の連載を考えないと。誰に急かされてるってわけでは無いけど、こういうのって書き続けてないとやらなくなっちゃう。小説書き始めてまだ一年も経ってないし、作品だってオルタを数に入れてもまだ四篇。ぜんぜんまだまだ。でもネタはなんにも浮かんできません。
エミールはどうやって書き始めたんだっけ?
半年以上前に記憶を遡ります。あのときは、最初に形式を決めたのでした。『ゲド戦記』や『はてしない物語』みたいなジュニア向けのファンタジーを書こうって。それがうまくいったかどうかは置いといて、あんな風になにかとっかかりを決めれば、案外するするっとアイデアが浮かんでくるかもしれません。
なんだろう。テーマ? いまの私は、いったいどんな小説を読みたいって思ってるのかな。
テーブルの端に置いてある文庫本に手を伸ばします。皆川さんが薦めてくれた『火星の人』。飛行機の中で読み始めて、週中には読み終えちゃった。それくらい面白かった。
なんていうのかな、心理を追うのがメインじゃなくて、次々と起こる出来事と主人公のそれらへの対処をある意味淡々と描く、みたいな。レベルはまったく違うけど、私が最初に書いた『白い部屋』は、少しだけ雰囲気が近いかも。ってことは、その線はちょっと無いですよね。そもそもああいう科学的知識なんて、ぜんぜん持ち合わせてないし。
薄くなったジンジャーシロップを口に含みます。爽やかな香りが鼻に抜けていく。
うん、そうね。
女の子と男の子が出会う爽やかな物語が読みたいかも。
そう思ったあと、私の頭の中でアイデアがひとつ閃きました。
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