百五十一話 瑞稀、大暑(五)

 母からの電話の内容はこういうことでした。

 東京に住む父方の祖母が今年は曾祖母に会いに波照間に行く、と言い出したそうなのです。

 曾祖母(私たちはおばあと呼んでます)は御年九十九歳。未だにお元気なご様子で、島から一歩も出ずに独りで暮らしています。たまにですが、私にも島の物資を送ってきてくれたりもしています。たぶん全部の孫曾孫にそうしてるんじゃないかな。

 そのお婆ですが、さすがにそんな年齢ですし、いつ旅立ってしまうかもわからないということで祖母も腰を上げて会いに行くと思いたったようで。でも祖母だって七十を超えていますし、最近は少し足を悪くしてるというのでひとりで行かせるわけにはいきません。そこで東京の伯母が付き添いで着いていくとなって、いろいろと手配を済ませたんだとか。しかし上手くはいかないもので、つい先日、階段で足を踏み外した伯母が右足首を骨折してしまったというのです。

 祖母はひとりでも行くと言って聞かないようで、伯母が自分の代わりを探してる、ってことなのでした。


「東京の聡くんはまだ高校生で、しかも来年受験だし、中学生のちえちゃんに付き添い介護やらすわけにもいかないでしょ」


「それで私にお鉢が回ってきたってことね」


「みーちゃん、夏の予定はとくにないってこの前電話で言ってたじゃない」


 言いましたよ、そりゃ。だってホントに予定無いんだもん。仕事も忙しいし。


「おかあさんたちが行ったげればいいじゃん。お父さんとふたりで」


「チケットふたり分しか無くて、追加はもうムリなんだって。ほら、夏休みだし。それにお母さんたちも指宿いぶすきの休暇村とっちゃってるから」


 はあ? 聞いてないよそんな話。ふたりで鹿児島温泉旅行とか?! なんなのその仲良し夫婦は。

 電話の向こうに聞こえるように大きな溜息をついてから、私は低い声で応えました。


「ちょっと考えさせて」


「お願い。お金ならこっちでも補助したげるから」


「補助! 全額じゃ無いのっ?!」


「それは・・・・・・お父さんと相談する」


 たぶん母は東京の伯母さんに安請け合いしてる。私はそう見当をつけました。

 たしかに夏休みの予定は無いし、祖母やお婆にも会いたい。他人のふんどしで全部まかなえるのなら、これはある意味めっちゃいい話なのでは。


「とにかく今は仕事中だから、夜にこっちから連絡する。それまでにお父さんと話詰めといて!」


 投げ捨てるようにそう言い放って電話を切ったら、いままさに廊下に踏み出そうとしてる灰田さんと目が合いました。灰田さん、目を丸くしています。やば。これは完全に聞かれてる。


「瑞稀ちゃんもちゃんと怒ったりするんだね。なんか安心した」


 そう言い残した灰田さんは、なにごともなかったかのように歩き去っていきました。残されたのは、頭を抱えてしゃがみ込む私ひとり。


          *


「でもさ、考えようによっては、それってめちゃめちゃ美味しい話なんじゃない?」


 夏野菜たっぷりのトマトソースパスタをスプーンとフォークで丁寧に巻き取る涌井さんが、そう総括しました。

 あまりにも憤慨してたので珍しく私の方から誘ったら、総務の子たちが晩御飯に付き合ってくれたのです。天童さんだけはお家のご飯を約束してるからって断ってきたけど。どんだけお嬢さまなのかな、彼女。


「そうですよ。あごあし向こう持ちで沖縄でしょ。なんなら私が替わりたい」


「譲ったげるよ。それに沖縄って言っても本島には寄らず石垣島直行だし、そっからさらに船で二時間だよ。もう、波照間なんて僻地も僻地。海以外なぁんにもないし」


 千切ったフォカッチャでエスカルゴのプレートに残ったオリーブオイルをすくって食べてる水晶ちゃんの軽口に、ドリアのフォークを置いた私が応えました。

 小さいころに一度だけ行った波照間島は、海とジャングルだけの、他には本当になにもないところだったのです。特別なのは我が国最南端の有人島を記した石碑だけ。


「でもさ、そこはミズキっちのルーツなんでしょ」


 涌井さんの言葉に私も不承不承頷きます。

 そうなのです。私の、波照間の家は、代々ユタとして島の御嶽ウタキを護ってきた女系家族なのです。そしてお婆は波照間家最後のユタ。

 加えて言えば、伯母さんとこの聡くんはお父さんの苗字の鈴木だから、私たちの世代で波照間を名乗ってるのは私だけ。私が結婚して名前変わっちゃったらお家断絶です。


「瑞稀さん、行きたくないんですか?」


 水晶ちゃんの指摘に、反射的に首を振る私。


「そういうわけじゃないの。別に行きたくないっていうんじゃなくて、心の準備が無いっていうか、勝手に決められるのが気に入らないっていうか」


「ミズキっち、意外にプライド高そうだし」


 ほんにほんにと水晶ちゃんも相乗りしてくるけど、私そんなに自意識強くないよ。って、そう思ってるのは私だけ?


「まあとにかく、気持ち切り替えて楽しんで来ちゃえばいいんじゃない。どうせ有休はいっぱい残ってるんでしょ」


「そうそう。新しい出会いが待ってるかもしれないし!」


 アバンチュールに行くんじゃないんだから。まったく。そう思いながらもふたりの言葉に頷きます。楽しんだもん勝ちなのは確かだし。


「で、いつからいつまでなのよ。お祖母様の日程は」


 涌井さんの質問に、シュリンプサラダに刺すフォークの手を止めて私は答えました。


「来月の二十日から二十六日まで」

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