百五十話 笠司、大暑(四)

 水曜の夕方、窓を開け放った部屋でアニメ観ながらごろごろしてたらスマホの着信が入った。ビデオの画面を止めてスマホをスピーカーモードにする。


「リュウジ、代休って聞いたんだけど、いま家?」


 やたら馴れ馴れしいこの声は、大文字ハヤトか。この前の研修以来、どうやら完全に懐かれた感がある。スマホ画面の時刻を見ると、十七時を回ったところ。平日のこんな時間になんの用だ?


「そうだけど。おまえ、仕事中じゃないの?」


「届け物と打ち合わせでエムディスさんとこ来てて、ついでに借りてたもん帰そうと思ったらリュウジ休みって言うからさ」


「僕がハヤトに貸してたもん?」


 なんかあったっけ?

 アレだよ、というスマホからの声が急に抑えめになった。どうやらまだうちの会社の中らしい。


「ユーフォの円盤」


「ああ」


 そうだった。日葵ひまりに貸してたのがハヤトに回ってたんだった。にしてもその話をしてたのは宮崎駿の映画観に行ったときだから、まだ二週間も過ぎてない。


「えらい勢いで観たんだな」


 TV版二期の二十六話に映画が二本。全部通しだと十時間くらいは余裕であるはずなんだが。


「平日の夜に四話ずつ、週末はいけるとこまでって感じで観てた。あんまり良かったんで、映画なんか両方とも二周しちゃったよ。ヒマリさんにも褒められた」


 すごいな日葵効果。尻尾振って報告するハヤトの頭をよしよしって撫でてる絵面が頭に浮かぶよ。


「いや、マジでよかった。ヒマリさんとリュウジが絶賛するのがよくわかった。感謝感謝」


「そりゃあよかった。面白かったんならなによりだ」


 これで日葵の話し相手になってやれるな、とは付け足さなかった。嫌味に取られて痛くもない腹を探られるのも面白くないし。


「俺、今日はもうあがれるんだよね。でさ、せっかくだから今から返しに行こうと思ってんだけど、まだ居るよな?」


 渋谷に行ったときにでも回収すればいいって思ってたんだけど、きっとハヤト的には自分で持ってきたかったんだろうな。もしかしたらウチに来る日程に合わせて巻きで観たのかもしれない。なんにせよ、律儀なやつだ。せっかくだし、晩飯でも一緒に食うかな。とはいってもこの部屋にはひとに食わすほどの食材はない。


「や、そろそろメシでも食いに外行こうかって思ってたところだ。一十三ひとみで待ち合わせってんでどうだ? 三十分後めどに」


          *


 引き戸を開けると、奥の座敷であぐらをかいたハヤトが手を振ってきた。

 ほかに客はいない。やや早めとはいっても、夕方どきにこの閑古鳥で経営的に成り立ってるのか? この店につぶれられると僕の食生活は死活問題にもなりかねないんだが。

 カウンターの内側に軽く会釈して、僕も座敷に上がりこんだ。


「もうなんか頼んだのか?」


「鶏唐とポテサラだけ。あとビールがもうすぐ来る」


 ハヤトの台詞が終わらぬうちに、僕の肩越しからジョッキがふたつ差し出された。


「あいよ。なんか食べる? カレーならすぐ出るよ。もうさ、今日も昼から客が来ないからカレーが余っちゃって」


 まともな飲食店の接客とは思えない。おばちゃんのぼやきを聞かされてハヤトに目配せすると頷いてきたから、僕が代表して返事をした。


「じゃ、それふたつ」


          *


「感想はわかった。で、ハヤトの推しはどのなのよ」


 テーブルの上には各々半分がた残っている唐揚げとポテトサラダ。手元には三杯目のビールジョッキ。山盛りのカレーとにわかのユーフォ評でお腹いっぱいの僕は、胃を休めるため話を逸らした。


「それはもう、みぞれちゃん」


「ありゃ。ハヤトならかなで一択だと思ったのに」


 日葵のキャラに一番近いのは、どう考えても久石奏だ。鎧塚みぞれはむしろ真逆。


「2とリズとで行動と内面の両方が描かれてるじゃないですか、みぞれちゃん。あの不器用過ぎる内面描写にめっちゃ共感しちゃって」


「でもアレ、現実リアルにいたら相当めんどくさいぞ」


「リアルじゃないからいいんです! 現実にいそうだと勘違いするくらいつくりこまれてるけど、リアルじゃないから。リアルはやっぱりヒマリさんで」


 こいつ、だいぶ酔いが回ってきたな。まだ週中だし、早めにお開きにした方がいいかもしれない。

 そんなふうに考えていたら、ハヤトがテーブルに手を付いて乗り出してきた。


「俺、ヒマリさんに告白します!」


 え? まだしてなかったの?

 そう返したくなる気持ちを抑え、僕は無言で見返した。ほんのり紅くした顔の中心で、ふたつの目が据わっている。


「来月中には!」


 僕はへなへなと崩れ落ちた。駄目だこりゃ。明日から頑張るどころじゃないよ。

 鼻息荒く自信たっぷりのハヤトの貌に呆れつつ、僕は唐揚げに手を伸ばす。いずれにせよ未来に希望があるのはいいことだ。希望のある状態は活力を産む。そのことを思うと元気になる。告白して成否を問うのは、活性化してる今の状態を手放すことと同義だ。さらに大きな充実を手にできるのか、はたまた手持ちの元気を底の底まで失うか。その決断は誰にだって重たい。

 あのひとは今どうしてるだろうか、と不意に思った。夏時間の時差はマイナス十六時間。彼女はきっと夢の中だろう。大きなベッドで、あの男に寄り添って。

 頭を振り払うように、僕はジョッキを飲み干した。

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