百三十八話 笠司、小暑(三)

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 バイクメーカーのカレンダー。キーやサングラス、ライディンググローブ、ヘアバンドなどオートバイ関連の小物をまとめたすみれの棚。肌着やワイシャツ、靴下などこれから洗濯する一郎さんの衣料を入れるかご(一郎さんが随時放り込んで、帰宅後や週末にすみれさんか一郎さんの手が空いてる方が洗濯機を回す)。簡単クッキング系レシピが特集の雑誌を数冊(ツーリング特集のバイク雑誌も紛れ込ませてください)。

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 週明けの月曜朝、デスクトップを起動させてメールを確認すると、波照間さんからの注文が届いていた。タイムスタンプは金曜の夕方。僕が珍しく早く帰った直後に届いたみたいだ。CCに小竹さんが入ってるから伝わってるとは思うけど、あとで確認しとかなくちゃ。


          *


 週末は横浜の実家に帰っていた。GWのパレードの夜以来だから二か月ぶりになる。連絡してきた母いわく、なんでもリョウジが学会でタイに行ってきたそうで、その土産話を聞く宴なんだとか。

 お題目はなんでもいいが、正直疲れていたので気は進まなかった。が、帰ってみるとそれはそれでラクなものだ。なんといっても上げ膳据え膳、しかも普段食べてるジャンクとはぜんぜん違うちゃんとしたごはん。湯を張った風呂もひさびさだ。そして極めつけは、ぎしぎしと軋まないがっちりしたベッド(部屋自体は書斎にされていたが、ベッドだけは残されていた)。肉や魚や休息を身体が欲しがっていたってのがよくわかった。


「さわさんは?」


「あいつも今日は実家に帰ってる」


「千葉だっけ」


「そ。銚子」


 早々に就寝した親父とお袋を尻目に、リョウジと僕は缶ビールを飲みながら居間に座り込んでくつろいでいた。こいつと会うのもひさしぶり。就職した直後に行った大井町の焼き肉屋以来かもしれない。LINEでは何回かやりとりもしたが。


「リュウちゃん、なんか雰囲気変わったね。ひと皮剥けたって感じ。前に富士山に行ったときは大学生そのものって感じだったのに、いまは普通にオトナの端くれ、みたいな」


「端くれは余計だ」


 リョウジの言う「富士山」とは、祖父の米寿記念で二月に行ったグランピングのことだ。そういえば、一家四人全員が顔を揃えるのはあれ以来だ。あのときはさわさんもいたっけ。


「そういやさ、皐月さんとはどうなったの? 再会したって言ってたじゃん」


 土産に買ってきたきたらしい片手サイズの象のぬいぐるみをもてあそびながらリョウジが聞いてきた。そうだ。こいつには伝えてたな。


「駄目だった」


「そっか」


 なんで、とか残念だったね、とかは訊いてこない。そういう双子の阿吽はいつもながら助かる。


「ま、いろいろあるよ。生きてりゃさ」


          *


 小竹さんの進捗伺いを除けば、月曜と火曜ははしくら展示会以外の仕事ばかりやっていた。大規模ショッピングセンターが主催するハロウィン企画コンペの資料集めやら森下さんの現場の予定表作成と資材発注やら。パースが仕上がるまでは、はしくらの仕事で僕ができることは無い。

 先週ダウンロードした波照間さんとのリモート会議の録画ファイルは、名前を変えて個人フォルダに仕舞ってある。プロジェクトのフォルダに入れておいて小竹さんに見つかりでもしたらややこしいことになるに違いないから。



 水曜日の午前中、サンタさんから指示された上期予算表の手直しをやっていたら、小竹さんからメールが届いた。パースがおおむねできたから、確認して欲しいとのこと。


「できたか」


 思わず呟いて、添付された画像ファイルを開く。全画面表示。

 画面のアングルは前回と同じくソファ側の壁面の一角から部屋全体を見る俯瞰図だが、密度が違った。

 左手のサッシ窓のカーテンがすみれの好きな色の空色に替わり、手前のシンプルなソファの背には新婚旅行で行ったトルコのラグが掛けられている。正面の壁には大判に引き伸ばした何葉かの写真。どこかの高原を貫く真っ直ぐの道、民族衣装を着てポーズする男女、展望台から撮った新宿方面の遠景、雪原ではしゃぐ着ぶくれした女性の後姿、両手で掬い上げた水に泳ぐなにかの稚魚、フル装備したバイクに跨りヘルメットを抱えて笑う女性。額に入れて飾られたそれらの写真は、バイク乗りのすみれとカメラ好きの一郎の断片だ。

 テレビをはさんで横はオルタペストリー。さらに視線を右に流すと、視点の対角の隅には籐製の棚。一辺だけ高くなっている面にはいくつかのフックがついていて、根付けのついたキーや布製の眼鏡袋がぶら下がっている。棚の上面には質感のある手袋と機動性の高い小型カメラ。側面にはウォールポケットが垂れ下がり、いくつかのリモコンが差さっている。傍にぶら下がるのは何本かの充電ケーブル。

 テレビとソファの間に置かれたローテーブルのガラス面には、雑に積まれた雑誌の小山。一番上は時短を謳ってるレシピ雑誌。横には飲みかけのマグカップと最後に読んでいたと思しきカメラだか旅行だかのムック本。何本かの付箋が見える。部屋の隅に置かれたプラスチックのかごの端に垂れ下がる縦じまの袖はたぶんパジャマ。遅く出勤する一郎が出かける前に放り込んだのだろう。キッチンとの境にあるカウンターにはひとり分の食べ終えた皿とスープカップが重ねられている。カウンター端に置かれたシンプルな時計が示すディジタル表示は10:30。


「や、これは完璧じゃないスか」


 ズームして細かい部分を見てみると、ところどころがまだ色抜けしている。制作途上ということだ。ちょっと気になったので、壁の写真を拡大した。

 やっぱし! この女性、波照間さんじゃないですか!

 男の方は……って、これ、僕じゃん!!

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