百三十七話 瑞稀、小暑(三)

「いいミーティングだったみたいだね」


 灰田さんの言葉に、私も顔を上げて応えます。


「すっごく。明日の会議には、いままでとは全然違うしっかり肉付けされた田中夫妻をお見せできますよ」


「田中夫妻?」


「はい。田中一郎・すみれ夫妻。皆川さんと私がそれぞれを名付けました。家族構成からなれそめ、オルタを飾るきっかけまで、きっちり詰められましたから」


「そりゃあ楽しみだ」


 キィ、と音を立てて椅子にもたれかかった灰田さんは、深い笑顔をこちらに向けてきます。その顔を見て思い出しました。栄さんのあの逡巡はなんだったんだろう、と。灰田さんを誘って断られたと告げたあのときの、なんとも言えない表情。残念というのではなく、むしろ安堵が入り交じったような。

 うーん。考えてもわからないものはわからない。今度タイミングを見計らって突撃取材でもやってみるか。いずれにしろ、来週まではこっちが最優先。

 私はイヤホンを耳に差し、午前中の会議録画を見ながら夫妻のペルソナのまとめを再開しました。


          *


「それでは第三回の全体会議を始めさせていただきます」


 今日の画面は五面。デザイナーの小竹さんはご自宅からのようですが、他の三人の背景はいつもと同じ。もちろん私も、例によっての第四会議室です。


「資料はメールでもお送りしましたが、とりあえず画面共有でご説明します」


 デュアルスクリーンに開いた十五分前にできあがったばかりのスライドをZOOMのファイル共有で選択、画面が切り替わりました。不動産会社の新築マンション案内サイトから借用した画像を使っての所在情報。


「まずモデルルームの所在ですが、都営大江戸線光が丘駅から徒歩五分圏内にある低層マンションの三階です。この駅は夫婦それぞれの勤務先、新宿および六本木まで三十分圏内。また、妻の実家がある桜台にもドアトゥドアで三十分以内となっています。マンションの価格は七千万円とかなり高額ですが、夫妻の現在の年収合計が一千二百万円弱、それに妻側の実家の援助を加えての試算もあって三十五年ローンで購入しました。リビングの広さは前回同様の十六畳。部屋の基本形状も前回小竹さんにつくっていただいたものをそのまま使用するので構いません」


 スライドをめくります。前回と同じ男女のイラストに、より詳細な基本情報が付け加えられています。


「ご夫婦のお名前は、田中一郎さんと田中すみれさん。すみれさんの旧姓は横山です。結婚生活は二年目でマンションも結婚と同時に購入しました。一郎さんはIT企業のシステムエンジニアで勤続四年目の二十六歳。すみれさんは大手証券会社のアナリストとして勤続九年目の三十一歳・・・・・・」



「以上が皆川さんと私で組み上げた田中一郎・すみれ夫妻のペルソナです。イメージ、伝わりましたでしょうか」


 それぞれのお顔を見回します。皆川さんは頷いてくれてる。中込さんも問題なさげの表情。問題の小竹さんは……、前と同じで画面を注視してる感じ。もしかして小竹さんのディスプレイ、別のお仕事の画面が映ってるのかな。


「手前味噌ではありますが、なかなかいい感じに仕上がってきたんじゃないかと思います。皆川さんも、ご協力ありがとうございました。この方向でよろしいようでしたら、実際の部屋に反映させる具体的な演出を詰めるターンに入りたいと思います。中込さん、小竹さん、いかがですか」


 私が肩の荷を下ろしている間に、灰田さんがそう引き取ってくれました。

 ふぅ。ひと仕事終わったぁ。

 と、黙っていた中込さんが口を開きます。


「波照間さん、労作をありがとうございました。物語の登場人物みたいで非常にわかりやすかった。人物造形はもうこれで十分ですね。小物演出もイメージが膨らみますよ。な、小竹」


 いきなり中込部長に振られた小竹さん、不意を突かれたように顔を上げてから、そっすね、とひとこと漏らします。

 OKもらえた、てことでいいのかな。


「予定が前倒しできたんで、このあとはうちが引き取ってパースの制作に移ります。演出を検討する時間が必要になりそうなんで、来週の水曜までお時間ください。そんでいいよな、小竹」


 中込さんの提案に小竹さんが応じます。


「水曜じゅう、でいいスか。木曜の朝には見られる、みたいな」


「そちらの施工に間に合うのでしたら、こちらは問題ありません」


 灰田さんの返事に合わせて私も大きく頷いて見せます。


「了解です。木曜だから十三日か。それでは十三日の朝のご確認をよろしくお願いします。では今回はこのくらいで。ん? 皆川、なんか言い足りないことあるのか」

「えっと、波照間さん」


 中込部長の締めの挨拶に皆川さんが被せてきました。ていうか、私名指し?


「はい?」


 終わりと決めつけてた私は、突然指名に返事の声が裏返ってしまいました。


「画面に出したい小物の案とかあったら、五月雨でもいいから僕と小竹宛に送ってください。とくにすみれさんの分。取捨はこちらですることになりますが、なるべく反映させますから」


          *


 はあ。今週はよく働いたあ。

 この前の週末も日曜は家でスライドづくりの作業してましたから、完全休養の連休を迎えるのはひさしぶりな気がします。

 金曜日の夜に定時で上がれた私は、今週の仕事の満足感を共有してもらいたくてパークライフに顔を出しました。週末なら栄さんはシフトに入ってるはず。

 しかし予想に反し、カウンターの内側に栄さんの姿は見当たりませんでした。

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