百二十八話 笠司、夏至(四)
六月も半ば過ぎともなると、晴れた日の気配はすっかり夏となっている。。昨日一昨日の土日は、都内でも最高気温が三十度を上回っていた。エアコンがない上に西日だけは差し込む安普請はじっとしていても蒸し暑く、昨日の昼間などはとても過ごせたものでは無かった。こうして会社のデスクで仕事してる方が、百倍快適に感じられる。
僕の近くで質問攻めをしてくる
土曜の昼前、想定通り終電を逃したハヤトに朝飯を食わせて送り出したあとの僕は、二日酔いなどとはまったく別の要因で落ち込んでいた。前の晩に聞かされた日葵に対する奴の思い入れに当てられて、打ち負かされてしまったのだ。
正直に言おう。羨ましかった。結果の出ていない熱い望みが、いま目の前にある。そんな彼の悩ましい状況が。
抜けるような青のとびきり明るい空が、僕の喪失感に拍車を掛けていた。
黙っていれば果てしなく沈み込んでしまいそうな傷心を無理にでも無視し、僕は日常の生活に注力して週末をやり過ごした。掃除をし、商店街に買い物に行き、味噌汁とサラダのついた食事を作り、布団を干して、衣服どころかシーツや枕カバーまで洗濯して。
仕事は良い。
快適なオフィスはもちろんだが、なによりも意思と関係なく自分を引っ張り回すタスクがあって、それらをこなし、他者の都合に合わせることで時間が溶けていくのが。
今日の午前中は、週末に描き上げたはしくらブースのラフイメージについて施工チームと打ち合わせだった。僕の手描きラフをもとに、制作のデザイナーがイメージパースを描き上げる。その
波照間さんのふんわりした展示イメージを僕がどれだけ汲み取って形にしてあげられるか。そのために、先週は彼女とかなり入念なメールのやりとりを行った。
オルタペストリーというポスターみたいな平面仏壇について、彼女が持っているキーワードをできるだけ沢山洗い出して貰う。それらの単語を今度は僕が、外せないもの、展示映えしそうなものなどで重みを付けて、再構成して投げ返す。それを元に、彼女が修正や追加をしながらより具体化させてくる。そんなキャッチボールで週中までに浮き彫りにした要件を、僕がラフ画に落とし込んだ。それが先週末。今日はそのラフを下敷きに、全員で具体的なイメージを共有するためのパースを依頼する打ち合わせ。
波照間さんと僕で出した展示ブースのテーマはマンションの居室だった。二十代後半から三十代前半のDINKS(子どもはまだの共働き夫婦)が暮らす、さほど広くないシンプルな生活空間。その中にタペストリー型の仏壇がしっくりと収まっている様子を見せていこう、という考えだ。
マンションの部屋のダミーを提案した僕のメールに、波照間さんはほとんど間を置かず短い返事を戻してきた。それ、私のイメージにぴったりです、と。
恋だの愛だの思い込みだの、そんなあやふやで危なっかしい不純物など挟まない、同じ目標を目指して気持ちを重ねて走るこの感覚こそが、今の僕には大きな歓びだ。
日葵にしたって同じこと。金曜の夜にハヤトが懸念していたように、僕も彼女からの好意みたいなものは感じてる。
おそらくは社会人デビューで多少の無理をしながら陽キャを演じている日葵。気を張って過ごす日常の彼女にとって、引っ込み思案な部分を併せ持った昔の自分を知っている僕は、ある種の避難場所でもあるのだろう。幼なじみか何かのごとく懐いてくるその姿のどこかには、もしかしたら僕へのささやかな想いなんかも含まれているかもしれない。でも、それを受け取り育もうという意欲は、今の僕のどこを探しても見つからない。
前に御嶽さんがこぼした台詞が耳の奥に蘇る。
「私たちはタイミングが合わなかっただけなのね」
そう。
僕と日葵はタイミングが合ってないのだ。少なくとも今の僕は、日葵だけで無く、誰とも先には進めない。愛情や恋情を育てようというスイッチをいくらオンにしようとも、ブレーカーから落ちているので通電するわけが無い。
そんな抜け殻みたいな日々をやり過ごすには、仕事で忙殺されるのが一番だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます