百二十九話 瑞稀、夏至(四)

「外が明るいと感覚がバグっちゃって、ついつい残業しちゃいますよね」


 何気なく口にしたつもりの私の呟きに、三人のフォークを持つ手が止まります。


「ミズキっち、それ、マズいよ」

「瑞稀さん、最近忙しすぎるんじゃないですか?」

「ちょっとなに言ってるかイミフです」


 同時にぶつけられた批難のどれから反応すればいいのかわからない私は、ふらふらと目を泳がせるだけの不審者になった。ていうか、そんな光の速度で否定されるほどおかしなこと言いました?


 二日前に夏至を過ぎた金曜の女子会ランチ。食後のデザート真っ最中の席でこぼした私の呟きは、まるで発見された不発弾のごとく非常線で包囲されました。どうやら総務三人娘にとって、無意識残業は取扱注意の危険思想だったようです。


「ヤバいよ、末期だよそれ。なんなら産業医との面談、すぐ予約取っちゃうよ」


 早口にまくしたてる湧井さんに面食らいつつ、私は顔の前で手を振るのが精一杯。時間稼ぎにコーヒーを飲んで、体勢を立て直します。


「そんな大袈裟な話じゃありませんって。ただ、日暮れが遅くなると時間感覚が狂っちゃうなあって、それだけの話」


「それだけ?! それだけの話なんかじゃありませんよ、瑞稀センパイ! 夕方六時以降は私たちが自分の羽根を伸ばして謳歌する時間ですよ。いわば基本的人権なんです! その辺、ちゃんと理解してます?」


 私のリカバリなんて、水晶ちゃんの勢いに掛かったら軽く蹴飛ばされちゃう。にしても、基本的人権って・・・・・・。


「このところの瑞稀さんって、見ていて少しワーカホリックが入ってる感じがします。なんかないんですか。オフタイムに没頭できる趣味とか」


 真面目な顔で繋いでくる天童さん。軽口混じりの湧井さんやその場の勢いだけの水晶ちゃんと違って、天童さんの場合は本気で心配してくれてるのがわかるから、そのぶん重たくって困る。


「うん。ミズキっちにはラブが足りてない」


 湧井さんが、またわけのわからないことを言い始めましたよ。


「そうですよ。わ・・・・・・、ルイセンパイがどっぷり沼にはまってる韓流愛とか、桜子センパイのフランス刺繍とか」

「そうそう。仕事のあとに待ち合わせデートとか、ぜんぜん無いでしょ」


 ぎりぎりで回避した水晶ちゃんの暴言未遂をスルーして、湧井さんが畳み掛けてきます。


「デート・・・・・・ですか」


 確かにそういうのはご無沙汰ですね。半年、いやもっとかな。でも正直あんまりやる気は出ないけど、先月末のでリセットできた感はないでもない。


「そ。とくにのめり込むものが無いんなら、早いとこ彼氏つくってオトナの青春謳歌しちゃえばいいのよ。ミズキっちはもとが可愛いんだから、仕事だけで枯れてったらもったいない。周りにちゃちゃっと見つかるいいひととかいないの?」


「そんなカップ麺でもつくるみたいな・・・・・・」


 そう返しながら、私は直近で周囲に存在する男性たちを思い浮かべてみます。

 灰田さん。ヴィルトシュテルンの星野さん。経理課の栗田さんと簔さん。まぁあのふたりは無いか。あとは・・・・・・。

 そこまで考えたところで、私の頭にはひとつの映像が浮かびました。パソコンの画面に映る若い男子の顔。秋に行う展示会のブースをつくってくれてるエムディスプレイの皆川笠司りゅうじさん。リモートで、しかも一度しか会ったことのない彼の顔は、しっかりと思い出すことができません。でもメールだけなら長文で何度もやりとりしてる。お仕事百パーセントの文面からでも、好ましそうな人柄は伝わってきてる・・・・・・。


「あ。その顔は、誰かいますね? 思い当たる殿方が」


 水晶ちゃんの囃す声で、私はランチの席に戻ってきました。

 やば。考え込んでたっぽい。

 彼女の指摘を打ち消すべく、私は大きく手を振ります。


「ないない。なんにもありません。ただちょっと、最近周りにいる男の人って誰がいたかな、って思い出してただけ」


「で、そん中には?」

「だからぜんぜんありません、って。ぴんとくるひととか」


 身を乗り出してくる湧井さんの追求に、私は秒で返します。この機を逃しちゃいけない。


「ていうか、もう五分前。早く戻らないと仕事始まっちゃいますよ」



「彼氏云々はどうでもいいですけど、お仕事、あんまり根詰めないよう気をつけてくださいね。これからどんどん暑くなって体調崩しがちになっちゃいますから」


 会社への帰り道で声を掛けてくれた天童さんに、私は頷いてみせます。

 そう。恋人なんて、焦ってつくるもんじゃない。私はそのことを既に知ってる。それよりも、今は自分の仕事をしっかり成功させたい。オルタの展示会もホームページの運営も。

 さ。午後からの仕事もがんばろうっと。

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