百二十七話 瑞稀、夏至(三)

「お待たせしました。これがオルタペストリー初号機です」


 ヴィルトシュテルンの星野さんはそう言って、長テーブル三台の長辺をくっつけてつくった台の上に持ってきた試作品を広げました。


「おお!」

「素敵!」


 ほんの少しだけ、光の加減で僅かに浮き上がるくらいの薄い青みがかかった白のベースに、墨絵のような銀色の弥勒みろく菩薩像の線画が敷かれ、薄墨色の隷書体で縦書きされた戒名が中央やや下のスペースにちょうどいいサイズで配置されている。上下両端のバーは黒檀。上のバーには金糸の壁掛け紐、下の方の真ん中には小さな留め具が隠れていて、オプションで別に用意されているりんがぶら下げられるようになってます。もちろん鈴棒もセットで。


「下のバーには横からカートリッジが差し込めるようになっていて、無煙の香を入れることもできます」


 そう言いながら、星野さんはタペストリーのボトムバーのキャップを開けて見せてくれました。灰田さんも覗き込んでます。

 なるほど。キャップにスリットが入ってるんですね。そっかあ。お香の匂いか。確かにお仏壇とお線香は不可分ですもんね。

 私も手を伸ばして、生地をそっと触ってみました。絹の滑らかさとは違う、ちょっとだけ毛足が感じられるような。


「星野さん。これ、布地はアセテートなんですよね」


「そうです。絹でも試してみたんだけど、ゴージャス感があまりにも前面に出過ぎちゃって、普通のマンションの壁には合わないかなって思ったんス。もちろん、コストの面でも随分違ってくるし」


「耐久性もアセテートの方が数字いいしね」


 そう続けるのは灰田さん。この前の実験結果は私も見せてもらいましたが、確かにアセテートは優秀な素材でした。耐熱性と強度は絹に劣ってましたが、オルタの用途だとそこまで求めたりはしませんし。


「ちなみに麻は、今回のデザインには合わなかったッス」


 星野さんはさらっと付け足しました。でもなんだか不敵な感じの笑顔。これ、きっと第二弾や第三弾には麻向けのデザインをつくってくるんだろうな。


「じゃあもう素材はアセテートで決めちゃうってことでいいんですね」


 私の念押しにふたりとも大きく頷いきました。

 いいな、この感じ。灰田さんがつくったこのチームは、トップダウンじゃない風通しの良さがすごく心地いい。なんでみんなこうしないのかな、って思うくらい。でもそれってたぶん、リーダーがどれだけチームメイトに対して信頼という名の我慢ができるかって事なんだと思う。少なくとも最初の一歩めは。

 ちゃんと私は、灰田さんが我慢しなくても大丈夫なチームメイトに近づけてるのかな?


          *


 お昼休みに食い込んだ打ち合わせもようやく終了。星野さんをお見送りしてから会議室を片付けをひとりで済ませ、いままさに部屋を閉めようとするタイミングで、テイクアウトの昼食を買って戻ってきた総務女子三人とかち合いました。


「もしかして、会議室空いたとこ? そこって、この時間はまだミズキっちが確保してんだよね。ランチするのに借りちゃってもいいかな?」


 いきなりの涌井さんの思いつきを受けた私は、スマートフォンで部屋の予約状況を確かめました。どうやら次の使用は十四時からみたい。


「お昼休みの間なら大丈夫よ」


「やった。サンキュー。ここの方が景色良いし、部長もいないから落ち着けるんだよね」


 大袈裟に感謝してみせた涌井さんを先頭に女子三人が、ドアを押さえる私の横をすり抜けて入っていきました。


「ミズキっちもお弁当なら持っておいでよ。一緒に食べよ」


 そう誘ってくれる涌井さんの言葉で、私の頭にひとつの考えが浮かびました。ランチタイムの彼女たちにオルタを披露してみたらどうだろうか。

 第三者目線での率直な印象を聞いてみたい。そう思ったのです。



「おっしゃれー! 四月のプレゼンのときのから随分とカッコよくなりましたねぇ」


 第一声は水晶ちゃん。そういえば彼女、私の最初のプレゼンを聞いていたんでしたっけ。


「あのときのスライド画像、瑞稀センパイのポーズがめっちゃ可愛くって……」


「水晶ちゃん、あのプレゼンのことはもう忘れていいから」


 この子はいらんことばっかり口にするんだから。まったく。


「でもホント、すごくお洒落ですよ。白地の光沢がとっても上品だし、弥勒菩薩の半跏思惟像はんかしいぞうっていうところも私の好み。これならお部屋に飾ってもいいなあって思いますよ』


 そう言ってくれるのは天童さん。お世辞絡みでも嬉しい!


「なんですか桜子さん。そのハンカシーゾーって。てか弥勒菩薩ってお釈迦さまとは別もんなんですか?」


 あっけらかんと尋ねてくる水晶ちゃんの天然ぶりに、天童さんと私は目が点になってしまいました。言葉を失った私たちの代わりに、涌井さんがどやしつけてくれます。


「あんたそれでもはしくらの社員なの?! 弥勒菩薩像も知らないでよくうちに入れたわね」


 気を取り直した天童さんも、畳み掛けるように口を開きます。


「あのね水野さん、弥勒菩薩は仏教の中でもお釈迦様に次いで重要な方なのよ。お釈迦様、ゴーダマ・シッダールタが悟りを拓いてブッダになったあと、次にブッダになるのは弥勒様とされてるの。弥勒様はね、五十六億七千万年後の未来に悟りを拓かれて世界の人々を救済してくれることになってるのよ。それに、弥勒様をかたどった像の中でも半跏思惟像はんかしいぞうはとくに有名で、右脚を組んで右手を頬にあてて深く考え込んでるポーズ、半跏思惟像と言えばこの壁掛けの画像、広隆寺の弥勒菩薩像って言われるくらいなんだから」


「全国シェアトップの仏具屋なのよ、うちは! そのはしくらの総務課員が、大乗だいじょう仏教のナンバーツーを知らないで通るとでも思ってるの、ホントに!」


 天童さんの説明に、間髪置かずに被せてきた涌井さんの叱責。さすがの水晶ちゃんもあわあわしてます。

 うーん。そぉかぁ。弥勒菩薩って今の若い子だと一般常識じゃないんですね。

 

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