第83話 最終話・旅立ち
イツツバの神霊たちを暴走させたシノ様を救い出すため、ボクはシノ様の夢に渡った。どうにかシノ様の意識を呼び起こし暴走を食い止めることはできたものの、魂へのダメージと肉体への打撃が重なり、ボクは自分の死期が近いことを悟っていた。
好きだった。
ボクが最期に伝えたのはそんな言葉だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
***
天外山脈の東、トルキとの国境に近い小さな村でボクは生まれた。
雪崩によって両親を失ったボクは人買いに売られ、シュベット国首都に近いナンキの町で奴隷として売られた。
人生を旅に例えるならば、ボクの旅はここで一度終わった。
初めは何不自由ない恵まれた暮らしだ。
村は比較的裕福だったし、護衛士の父の稼ぎは良かった。
そんな暮らしは突然の災害で一気に崩れ、後は急転直下。
両親が死んでからのことは正直よく覚えていない。
ボクはきっとその時死んでいたんだ。
けれどシノ様に買われ、シノ様の弟子になってボクの旅は再び始まった。
全然呪術が使えなかったり、宿屋のおやじさんのご飯がおいしかったり、シノ様といっぱいおしゃべりしたりして、楽しかったなあ。
ボクは二度目の幸福を手に入れた。
でも盗賊にさらわれて、ボクの運命は動き出した。
さらわれた先でアズマと会った。
あいつには何度も助けられた。
命も救われたし、精神的にも支えてもらった。
あいつにありがとうって言ってみたら、なんて言うかな。
きっと照れくささをかみ殺したしかめ面で、お互い様だろ、とかって言ってくれるかもしれない。
セリナさんやゴドーさんとも、それがきっかけで会ったんだっけ。
一度袂を分かつことにはなったけど、ボクは二人のことを嫌ったりできないよ。
イチセと会ったのはもうしばらく先のことだ。
あいつ、お父さんがどうこうって突っかかってきて。
殺す気まではなかったみたいだけど、アズマがいなかったら抵抗もできなかっただろうね。
イチセがいてくれてシノ様は随分助かったと思う。
悔しいけど、あいつはボクより全部上だ。腕っぷしだけじゃなく、思考力とか判断力とか、あとシノ様からの信頼とか。
まあ、シノ様への愛はボクに敵わないけどね!
そうして天外山脈を越え、王都マオカン、霊地アル・ムールへ。
ボクの旅は今、ここで終わる。
振り返ってみるとずいぶん遠くまで来たものだ。
ボクの人生としては、これでなかなか上等なんじゃないか?
好きな人もできて、頼れる友だちもいて、いろんな人にお世話になった。
最後にはシノ様のことを取り戻して、イツツバの暴走も鎮めることができた。
美味しいものもたくさん食べたし、好きな人ともキスした。
まあ、なんて言うかもうちょっと、気持ちの通じ合った口づけがしてみたかったと言えばそうなんだけど……。
まあ、何事も、望み過ぎは良くないからね!
……でもな~。
なんと言うか……、でもな~!
「…………」
あ、ダメだ。
そんなこと思いついちゃったから未練が出てきた。
死ぬ時くらい、さわやかにかっこよくキメてやろうと思ってたのに。
さて、ボクの旅はここで終わる。
では、旅が終わればどうなるのか。
その答えをボクはもう知っている。
戦争奴隷となったアズマが呪印を焼き、逃げ出したように。
裏道で死にかけていたイチセがミドウさんに拾われたように。
そして、ボクがシノ様に出会ったように。
つまり、また始まるのだ。
ボクの内側にイツツバの力が流れ込んでくる。
それは太古の水の精霊、ナガミタマの静かに澄み切った霊力だ。
ナガミタマの力はボクの傷つきひび割れた魂を取り巻き、包み込んだ。
乾ききった大地が水を求めるように、ボクの中に力は浸透し、そしてひび割れを次第に癒していった。
ボクのあまりに重く鈍麻した感覚はゆっくりと再生し、夢うつつの中、ボクは知らない天井を見た。
シノ様やアズマ、イチセの声を聞いた気もした。
イザナやアスミの姿を見た気もしたが、これは流石に幻だろう。
そしてある日の朝、ボクは目覚めた。
ボクは何か騙されたような、鳩が豆鉄砲を食ったような呆気にとられた気分で瞼をパチクリさせた。
あ~れ~、おっかしいな。
ボクは死んだはずだけど。
死ぬ流れだと思ったんだけどなぁ……。
おかげでシノ様に、好きでした、なんて言っちゃったよ。
訂正しなきゃ、今も好きだって!
ボクはどこか知らない広い部屋の中にいた。
豪華な調度品が置かれ、窓からは明るい光が降り注いでいる。ベッドも大きくてふかふか。それにちょっといい匂いもする。
少なくとも、おやじさんの宿の部屋じゃないな。
「イヅル!」
ばんと扉が開かれ、飛び込んできたのはシノ様だった。
「まったくお前は、ようやくお目覚めかよ」
「あ~ら、一番狼狽えてたくせに~」
引き続いてアズマやイチセの姿もあった。
アズマとイチセがやいやい言うのを聞いているとほっとした。
戻ってきた、って感じがする。
こいつらにもう一度会えるなら、ちょっと気まずいくらいなんだって言うんだ。
「イヅル……!」
シノ様は一人血相を変えてボクの枕元に駆け寄った。
ボクは呼び返そうとして口がうまく動かないことに気が付いた。
手も足も、まだ少しも動かせない。
あとじくじくとお腹が痛む。
まあ、久しぶりのシノ様をこの手で抱きしめられないのは残念だけど、今はまたこうして生身のままシノ様に会えたことを喜ぼう!
そんな風に思っていたのに、いきなり拳骨が降ってきた。
ゴチン!
あ、マズイ。意識が、薄れ……。
「あんたね、生き返るなら思わせぶりなこと言わないでよ。わたしがどんな気持ちであんたのこと……!」
「まっ……、待て、シノ。病人だぞ、病人!」
慌てて止めてくれるアズマに感謝を捧げながら、そう言えばツチミヤの女は再会の時、何より先に手が出るんだってことを思い出した。
相変わらずですね、お元気そうで何よりです……。
戦いから既に十日が経っていた。
今ボクらがいるのは王都マオカンにあるオルテンの私邸だ。
誰も欠けることなく帰って来られた。
アズマも、イチセも、シノ様もボクも、ゴドーさんやセリナさん、ついでにオルテンとか他の人たちも。
ボクみたいに怪我を負った人はたくさんいたけれど、誰も死なずに済んだ。
……ナツキ以外は。
ナツキはボクの放ったレンヤの炎で、骨も残さず焼き滅ぼされた。
ナツキは術を防げないと悟るとシノ様を突き落とし、ただ一人で業火に焼かれたのだ。
おそらくはアマミヤ家ため、イツツバの巫女であるシノ様だけは失ってはならないと考えての行動だったのだろう。
彼女は確かに許されないことをしたが、家を想うその気持ちだけは買ってやらねばなるまい。
……あれ、そんな結末でしたっけ。
確かアズマがぶん殴ってたような。
まあ、真偽のほどはともかくそういうことになっているらしい。
それならボクも要らないことを言うつもりはない。
一国の王子を殺そうとしたナツキは、どの道この国では生きられない。死んだことにしておいた方が彼女のためだろう。
ボクが身体を起こせるようになって数日後、オルテンが部屋に来た。
オルテンはボクを胡散臭げな目で一瞥して、ボクをかばうように立ったシノ様の前で立ち止まった。
しばしお互いに仁王立ちして尊大に睨み合っている。
なんかこの人たち、ちょっと似た者同士なんじゃない?
いやいや、止めろ。
お似合いとか思うんじゃない!
「……天外山脈の山底へ出した使いの者が戻った。確かにあの場所には、今もミドウ・ツチミヤがいるのだな」
「あの人は、なんて?」
「イツツバを我が国が所有し続けるならば、必ずやこの国の厄災となろう、と。
隣国の脅威を排してもなおより強大な者が敵として立つならば、俺には最早イツツバを利用する意思はない。我がアマミヤに、あれと同等に戦える者はないからな。
だが、いつまでも見下げられる立場に甘んじるつもりはない。今代で無理ならば次代の者が、いつか研鑽の果てに山の底の脅威を除くだろう」
「わたしには、興味のない話ね」
シノ様が眉一つ動かさず切り捨てると、だろうな、とオルテンは表情を緩めた。
「だが、俺はお前を妻に迎えると言った言葉をひるがえすつもりはないぞ。俺はお前が気に入ったのだ」
「わたしを味方に付けておけば、ツチミヤが敵に回らないとでも?
無理よ。あの人、わたしごとイツツバを壊すって息巻いてたんだから」
「はっは、それは当てが外れたな。だが、お前を気に入っていると言っただろう。
俺を前にしても口が減らないお前の気の強さがよい。そういう者は、一度俺に従うと決めれば裏切らん。
アマミヤもツチミヤもイツツバも、一度そういったしがらみはなしにして、考えてみてくれんか」
はわわ……。思ったよりもちゃんとした求婚だ。
なんだよ、こいつ。シノ様がうっかり心動かされちゃったらどうしてくれる。
もっとどうしようもない感じの男なら心配無用だったのに!
「……一度できたしがらみは決して消えることはないわ。
わたしはこれからイツツバの巫女ではなくなるけれど、わたしがミドウ・ツチミヤの弟子であることは消せないし、アマミヤ家と対立した過去は消せない。そうでしょう?」
「お前は聡い女だ。益々欲しくなったぞ」
オルテンは満足げに頷くと、それに引き換え、とボクを睨んだ。
「自分の女が口説かれているにも関わらず、呆けた顔で何も言わないそこのにくれてやるには、あまりに惜しい」
ボクはびくっと肩を震わせた。
へぇっ……、ボク?
「そうなのよねぇ……。わたしもまだちょっと、この子のこと信じていいのか分からなくて」
そんな、シノ様まで……。
ボクはただ、実際近くで会ってみるとやっぱり王子ってだけあって偉い人オーラがすごくて、それで口をはさむ勇気がなかっただけなのに!
ボクがわたわたしていると、オルテンとシノ様は視線を交わして笑った。
「でも、傷だらけになりながらわたしを助けに来てくれたのはイヅルだわ」
「その通りだな。
まあ、精々見極めるといい」
そしてオルテンは、イチセの行き先を聞いて部屋を出て行った。
ボクはその背中を、目を丸くして見送ることしかできなかった。
「……あでっ!」
ドアが閉じて部屋に二人きりになると、いきなり軽く叩かれた。
シノ様の視線が冷たい。
ふぇえ、そんな目で見られましても……。
そしてさらに一月ほどが経った頃、ボクらは屋敷を旅立った。
目指すは霊地アル・ムール。シノ様の中に残ったイツツバの神霊を呪本へ封じ直すためだ。
ボクはまだ完全に復調したわけじゃないけれど、イツツバの力をずっと権力者の手許に置き続けてナツキみたいに変な気を起こす奴がいたら危ない。
そういうわけで少し早めの出立となった。
旅の仲間はアズマとイチセ、ゴドーさんとセリナさん。
赤峰サイラスへ向かっていた頃と同じメンバーだ。
違うのは徒歩じゃないこと。
病み上がりのボクの為にゴドーさんが馬車の御者台に座ってくれている。
馬車の中にはシノ様とセリナさんがいて、アズマとイチセは共に轡を並べていた。
ゴドーさんたちは、アマミヤ家とフミル王国への、確かにイツツバの巫女が力を失ったことを見届ける証人として同行している。
再封印が終わった後も、イツツバの行方を把握するために天外山脈でツチミヤに会うところまで一緒の予定だ。
ボクとしてはまたこのメンバーで短い間でも旅ができるのは嬉しかったけど、イチセとゴドーさんの仲が気になる。
思った通り二人は時々険悪だ。
まあ、イチセはゴドーさんに殴られて骨を折られてるしね。
「また裏切ってお姉ちゃんとイヅルを連れ去ろうなんて、考えてませんよね」
「当たり前だ、そんな命令は受けていない」
「怪しい動きをしたら今度こそ殺しますから」
「ふん、一度負けておいてよく言う」
ゴドーさんは昔よりも少し饒舌だった。
任務の重圧から逃れ、和解したことが口を軽くさせているのかもしれない。最終的に裏切ることになるシュベットからの旅では、手放しに楽しむことなんてできなかったろうから。
セリナさんも、ゴドー、楽しそうですね、と笑っていた。
……え、あれで?
イチセはふんっと嘲るように鼻を鳴らした。
「多対一での勝ちを誇るとは、プライドが無いんですね。術が使えればあなたなんて……」
「甘いな。戦場では相手に剣を抜かせる前に切り伏せ、常に人数の有利をとるものだ。そんな考えでは、殿下の護衛など務まらんぞ」
ぐぬぅ、とイチセは歯がみする。
どうやらこの舌戦もイチセの負けらしい。
二人の仲が険悪とは言っても、こんな風にたまにやいやい言い合うくらいで、イチセも剣まで抜こうとは考えていないようだった。
それならば、これも一つの歩み寄りなのだろう。
ところでイチセは、オルテンに護衛として王都に留まるよう勧誘を受けていた。
アル・ムールでは、オルテンを守るために嵐のように力を振るったらしいからね。
イチセはそれを保留にしてボクらに付いてきてくれている。
どうするかはまだ決めていないみたいだけど、それもいいのかな、と言っていた。
いずれオルテンが王位を継ぐことになれば、戴冠式にイチセの姿を見ることになるかもしれない。
アズマは流石にアマミヤで働くのは気が進まないようだったが、おっさんかイチセに世話になるかもな、と話していた。
兵士になるのか、ゴドーさんのように呪術師の前衛を担うことになるのか、それともその辺で商売でも始めるのか。
もしかしたら、まだしばらくは一緒に旅をすることになるかもね。
アズマっぽく言えば、先のことは分からねぇな、って感じ。
ボクもシノ様も同じことだ。
アル・ムールでボクらを出迎えたのはナツキだった。
どうやらあれ以来、ずっとアル・ムールの湖の中心で身を隠しながら過ごしていたらしい。
疲れた顔をして全体的に薄汚れてはいたが、絶望しきっているわけではなさそうだ。
「お待ちしておりました」
舟に乗って島まで行くと、ナツキは丁寧に頭を下げた。
その表情は穏やかで、ボクらに敵意を持っているようには見えない。
アズマが言うには、ミドウさんのイツツバへの封印を解除する代わり、ナツキはミドウさんに弟子入りすることになったらしい。
そして得た力を、ナツキはいずれアマミヤ家の為に振るうつもりなのだ。
ナツキには新たな目標ができた。
だからおそらく、ここで自棄な真似はしでかさないだろう。
そう考えたのかシノ様は、表面上は無警戒な顔で話をしていたけれど、代わりにイチセが背後で不穏に呪力の気配をくゆらせながら目を光らせていた。
護衛の仕事、ばっちり務まりそうだね。
そしてボクはナツキに教わったやり方でミドウさんをイツツバから解放。
続いてミドウさんの力を借り、シノ様から残りの三体の神霊をイツツバに封じ直した。
お昼過ぎに着いて陽が暮れる前にはその両方が完了し、なんだか呆気なかったなぁと思ってしまった。
別にまたなにか起こってほしいわけじゃなかったけど、なんだか気が抜けた気分だ。
その日は湖の近くで野営することになった。
夕食は野菜とか肉とかをぶち込んだスープ。材料はナツキの為に持ち込まれていたものを使った。
味は……うん、まあまあ。
おかしいな、ボクってこんなんじゃなかったのに。オルテンのところで贅沢しすぎたなぁ。
失ってしまったものに想いを馳せていると、シノ様が火を囲む輪を抜けて一人でどこかへ行くのに気づいた。
ボクはそっと立ち上がり、その後を追った。
シノ様は夕暮れに暗くなっていく水面を、剣の柄に手を遣って眺めていた。
その背中は少し寂しそうに見えて、ボクは声をかけるのをしばしためらっていた。そうしているとシノ様は振り向きもせずに言った。
「イヅルね。いるならこっち来なさい」
「あ……、バレてましたか」
「当たり前でしょ。隠れてたつもりなの?」
「なにを、考えていたんですか」
ボクはシノ様の隣に立って尋ねた。
出会った頃はシノ様の胸の下あたりまでしかなかった背が、今はもう、少し見上げるだけで目が合うくらいになっていた。
ぶしつけだとでも言いたげな目でボクを一瞥すると、終わったんだなぁと思って、とシノ様は吐き出すように言った。
「ここにわたしのルーツがあるって、その昔師匠は言ったわ。ここはわたしの前世、アスミ・アマミヤがイツツバを抱えたまま死んだ場所だものね。
でもわたしの中からイツツバが無くなって、物心ついた時から当たり前に聞こえてきた内側の力のうねりも無くなって……。
アスミの時代から受け継がれたものは、もうわたしの中に無い。
いつかわたしはこの場所に戻って来るんだと、何となく思っていたわ。
でもそれが実現して、この場所はもうわたしにとって過去の通過点に過ぎなくなった。それでちょっと……、センチメンタルになってるのね」
シノ様はナンキの町でミドウさんを待っていた。それが達成されて、息を吐く間もなく降りかかったイツツバを巡る騒動もこうしてとりあえずの終幕を迎え、これから目指すべきものを無くして、どこか寄る辺の無い気分なのだろう。
「……これから、どうするんですか?」
「これからって、ツチミヤに会った後ってこと?
そうねぇ、どうするかな。しばらくフミルを歩いてみるのもいいし、カルガリまで足を延ばしてみても、いいかもね」
「殿下のことは、もう良いんですか?」
思い切って尋ねてみると、シノ様は目を丸くして、それからボクをぎょろりと怖い顔で睨みつけた。
「あんたってホント、あんたってホント……っ……、バカじゃないの!」
うわぁ、真正面からの罵倒だぁ。
随分と溜めの長い、バカじゃないの、だった。
でもボクはにまにま笑っている。
シノ様が少なくとももうしばらくは、ボクと一緒に居てくれることが分かったからだ。
「えへへ」
「うわ、なに。気持ち悪いんだけど」
「ちょっ……、気持ち悪いは止めてください。バカより傷つきます!」
「はい、はい。分かったわよ。ごめん」
そしてシノ様はふっと息を吐いて気の抜けたように笑った。
「ほんと、あんたといると感傷にも浸ってられないわ」
シノ様はどこかすっきりした顔をしているように見えた。
その横顔は暮れていく陽の光に赤く照らし出され、湖の景色に輪郭の明暗のコントラストが美しく浮かび上がる。
今ならちょっと恥ずかしいことを言ってみてもいいのかもしれないと、ボクはふとそんな気にさせられた。
「あの……、シノ様」
「ん、何よ」
「ボクはシノ様のこと、尊敬してます。
カッコよくて、綺麗で、頭も良くて自分の考えがはっきりあって、ボクのこと、暗い牢の中から助け出して明るい場所に連れ出してくれました。
ボクを幸せにしてくれた。
そんなシノ様にこんなことを思うのは、おこがましいことなんでしょう。
でもボク、シノ様と対等になりたかったんです。イチセやアズマみたいに、シノ様に頼りにされる存在になりたかった。
守られるだけじゃ嫌だった。ボクもシノ様の為に何かできるんだって、証明したかった」
シノ様は少し驚いた表情をして、照れた仕草で前髪を掻き上げた。
「わたし……、あんたにそんな風に言ってもらえるほど、できた人間じゃないわ。
イヅルの前では、強いわたしでいようと思ったの。それこそあんたが言ったみたいに、あんたに頼りにされるような人間になろうって」
「それなら、作戦成功です。ボクはすっかりシノ様に頼り切って、ずっと甘えてばかりだった」
「イヅルも、証明したじゃない。あんたはわたしを助け出してみせた」
そんな風に言ってもらえることは嬉しかった。
けど、ボクは首を横に振った。
「証明なんて……。そんなことに、結局は意味なんてなかったんです。
シノ様の役に立てる証明なんて、そんなのはボクのただの自己満足に過ぎなくて、ボクはずっとシノ様の気持ちをないがしろにしていた気がする。
それってやっぱりシノ様に甘えているだけで、そんな風じゃ、シノ様と並び立つことなんてできなかった」
「へえ。じゃあ今は、あなたにわたしの気持ちが分かるって言うの?」
シノ様はどこか挑戦的に言う。
ボクは首を横に振った。
「分かりません。だから、聞かせてほしいんです。
強がりとか遠慮とか気遣いとか、そういうの、全部取っ払って、混じりけの無い、シノ様の気持ちを」
「へえ……。自分にはわたしがそうするだけの価値があると。随分自信がついたみたいね。
あ、いや。無根拠に自信があるのは昔からか。なにせいきなりご主人様の唇を奪うくらいだし」
あ、シノ様いじわる。意地悪な顔してる!
「か……っ、価値とか資格とか、そういうのじゃなくてぇ~っ」
これ以上どう言っていいのか分からなくなって、ボクは両手を振り上げた。
「あはっ。ごめん、ごめん。なんか柄にもなく真面目な顔してるから、からかいたくなっちゃった」
「もうっ、怒りますよ!」
シノ様はすごく楽しそうに、あと嬉しそうに笑っている。
ボクはこの顔が見たくて頑張ったんだとふと思い出した。
胸の奥がきゅっとなる。心が締め付けられて、苦しくなる。
でもそれは嫌な痛みじゃない。
むしろもっと味わい続けていたいような、そんな感覚がした。
シノ様はボクがふくれっ面をしているのを見ながらひとしきり笑った後、でもさ、と続けた。
「でもさ。やっぱりイヅル、勘違いしてるよ」
「えっ……。ま、また何か……?」
ボクが情けない顔をしたのを見て、シノ様は軽く手を振った。
「違う、違う。そんな、またって言うほどのことじゃないけどさ。
でもわたしたちって、そんなにかしこまって、理論武装して話し合わなきゃいけないような仲だったかな。
そりゃあわたしは、たまにねちねちヤなこと言い出す女かも知れないけど、イヅルが真っ直ぐに思う気持ちを否定しようとは思わないし、その上で嫌なら嫌って言うわ。
わたしも、あなたの師匠でいられるようにって片肘張り過ぎてたのかなって、今は思う。
あなたはわたしに追いつきたくて、わたしはあなたに追いつかれたくなくて、必死で逃げてたのね。
滑稽な話よね。それじゃあずっと平行線のまま。
わたしもイヅルも、疲れちゃうよね。
それなのに、ずっと追いかけてきてくれてありがとう。
わたしのこと、諦めないでいてくれてありがとう。
あなたの気持ちを分からないでいたのはわたしも同じよ。
だから聞かせて。あなた流に言えば、混じりけの無い気持ちってやつを」
そしてシノ様は、ふっと息を吐いてボクに向き直った。
シノ様はボクの手を取ってにやりと笑う。その目に浮かんでいた真摯な光は消え去って、今はまた意地悪そうに瞬いていた。
「わたしのこと、尊敬してるですってね。でも、それだけなの?
対等になりたいって、それだけなの?
わたしには本心を問うておいて自分だけ核心からずらして話すなんて、不誠実が過ぎるんじゃない?」
ああ、もう。この人は。
どうしてもボクに好きだって言わせたいらしい。
ボクのこと、どうせ妹くらいにしか思ってないくせに。
つーんだ。
でも、惚れた弱みってやつか。
敵わないなぁ、と思ってしまう。
この勝気な表情をずっと見ていたいと思ってしまう。
そしてシノ様はボクの耳もとに唇を寄せて、好きだった、なんて言わないでね、といたずらっぽく囁いた。
(了)
~あとがき的な~
〇ここまでお読みくださり、大変ありがとうございました。
よろしければ評価でも入れておいてくださると嬉しいです!
〇反省点は多々ありますが、とりあえずやりたいことは詰め込むことができたかな。
中盤の渡河とか山越えとか、現代舞台の小説だとあんまり書く機会がないですからね、この小説で書けて良かったです。
個々のキャラクターの掘り下げをもっとしたかったなぁ、とは思いますが、それをすると冗長になるかなぁとカット。連載形式って難しいですね。
〇ただ、連載じゃなければこんなに長い小説途中で投げ出していたに決まっているので、日々応援くださった方々には感謝感謝です!
〇もしも質問やご感想があれば、こちらでもツイッターでも気軽に放り投げてやってください。
それでは機会があれば、また次の物語でお会いしましょう。
転生少女の奴隷生活は主人が可愛くて割としあわせなようです みのりすい @minori_sui
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