第6話 幼い聖女さまは

 若者もさすがに声を上げないでやり遂げる事は出来なかった。


 左腕の先を抉り捻るようにして千切られる痛みは、右腕を噛みながら耐えても声にならない声を上げてしまう結果となり、酒に酔った男たちを呼び寄せてしまった。


(本当は人知れず千切れた腕を持っていけたら良かったんだけど……この分じゃ自分の足でなんて無理だったから、これで良かったのかな)


 隙間に挟み込んでから、圧迫され、皮膚が裂け肉に食い込む嫌な音を聞きながら骨が砕けて離れるまでの想像を絶する痛みに足の先まで震えて立つことも出来ない。


 若者は作業を止めた海の男たちに担がれて目的の教会へ、聖女さまの待つ特別室へと運ばれた。




 通された部屋は特別治療道具などもない普通の部屋にしか見えない。辛うじて診察するための机に椅子、ベッドなどがあるがそれ以外は分厚いカーテンで閉じられた扉らしきものがあるのみだ。


(綺麗なベッドだな……まるで新品)


 若者が横に寝かされたベッドは、まるでどころかその通りの新品で、かなり程度の良いものだが、この部屋で治療を受ける患者というのは庶民が手にする事も叶わないほどの大金を落としていく者たちばかりだ。そのために血で汚れたりする上等なベッドを毎回買い替える事くらい大した出費でもない。


 若者を連れてきた漁師たちは早々に立ち去り、今は癒し手のひとりが顔を歪めながら若者の腕の断面を止血している。


(僕の“解釈”通りなら、止血する必要もないんだけど……ああ、その前に僕に死なれても困るのか。金……いや、聖女さまの評判のためにも)


 若者の腕の応急処置をする癒し手も大事な稼ぎ手である。このあと聖女さまのひと声で癒えるものに他の者の奇跡を行使する事はないらしく、嫌々ながらに針と糸で傷口を止血している。


(痛いのは慣れてるとはいえ、嫌なんだけどなあ)


 心の中で愚痴る若者だが、そんな感想とは別に期待が膨らむのも実感している。待つほどに、膨らむ期待に。


「さあ、聖女さま」

「んー……まだおねむなのよぉ」


 そうして膨らんだ期待は聖女さまの登場で小さな笑いとともにいよいよと胸を高鳴らせた。


「んん……あっ、おひさしぶりなのよぉ」

「はい、聖女さま」


 聖女さまはベッドに横たえる患者の顔を見て嬉しそうに再会の挨拶をする。以前に街中で顔を見たときには革の鎧一式に身を包んでいたから気づかなかったのだろう。


 傷口を縫っていた癒し手も、聖女さまを連れてきた付き人もが、そのやりとりを訝しげに観察する。


 2人の間に多くの言葉は交わされなかった。お互いに、見たいものは知りたいものは別にある。


「いたいのいたいの──とんでけー」

「おお……」

「──うっ」


 今回は、若者は千切れた自分の腕を手にしている。


 その千切れた腕が、爪も皮も剥がされ、筋繊維をバラけて骨を露出させ血管をめくり、神経までもが分解されてから再構成され、元のあるべきところに繋がろうと生き物の触手のように伸びていく。


(ちがう、付け足されているんだ。巻き込まれて捨ててきたものたちの代わりに)


 そんな異様な治療光景をまるで演劇でも見るかのように眺めるふたりとは対照的に、癒し手も付き人も目を背け吐き気をこらえている。


 やがて元通りに繋がった腕の感触を確かめてから若者は聖女さまに心からの礼を告げて、「僕からも贈り物をしておいたから」と言って聖女さまに手を振り教会をあとにした。




「あの若造はどこぞの……」

「あっ、聖女さまっ⁉︎」


 若者が去った後、聖女さまはいつもは訪れることなどない大司教の私室へと現れ、嫌らしい笑みで机の上を眺める大司教が座る膝の上へとよじのぼった。


「これはさっきのひとのーっ?」

「こ、これ……降りないか」


 大司教とて聖女さまの機嫌を損ねるわけにはいかないし、ただの銅貨一枚さえ与えていない後ろめたさから強くも言えない。


 机の上には大きな金貨が20枚はある。


 若者は言った。贈り物がある、と。


「きせきなのよー」


 聖女さまはその金貨を一枚ずつ手に取り机の上で積み上げていく。


「ああ、あのような若造がこれだけの大金を持っていたのは奇跡だったな」

「きせきなのよー」


 そのおかげで聖女さまの治療を受けられて五体満足に帰ることが出来たのだから。


 全てがハンドメイドでしかるべきところの認可を経て世に送り出される、真円とはほど遠いこの世界の金貨は、聖女さまの手により積み上げられ、少しいびつながらも段差ひとつない円柱となって聖女さまを満足させた。




「また見られて良かった。やっぱりあれはどこか別のところから持ってきて繋げているんだ……僕の左腕は、もともと失っていたはずのこの腕も脚も──誰のものなんだろうね」


 若者は幼いころに助けられた日のことを思い出して腕をなでる。


「聖女さまは、喜んでくれたかな。あれはきっと聖女さまなんかじゃなく──」


 街を離れ宵闇に溶けていく若者の言葉を拾えたものはいない。

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幼い聖女さまはみんなの人気もの! たまぞう @taknakano

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