第十章

 わたしゃ吾野の機屋の娘

 思い一筋恋の糸

 川の流れと吾野の機織は

 くめど尽きせぬ情がある……


 ひゅるひゅると喉から息がこぼれるたびに、女の命も口からこぼれてゆくようだ。

 我が子の巨体に手負いの身を預けながら、女はかぼそい声で唄を歌っていた。

 自分が生まれた養蚕農家では、座繰ざぐりも機織りも行われていた。

 いやになるほど繰り返し聞いた機織り唄。

 決して好きではなかった。けれど、他に唄と呼べるものを知らなかった。

 女は死の床で、子守歌代わりに、我が子にこの唄を歌っていた。

 

 待てど帰らぬお方と知りつ

 今日もくるくる糸車

 鳴いて暮せば月日が長い

 唄で暮らせば夢のようだ……

 

 ふー……とゆるく息をつく。むっちりとした我が子の白い肌に頬を寄せ、愛おし気にやさしく撫でる。

「待っていたのよ……あなたのような子が生まれてくることを。けれど、だめね。邪魔者に見つかってしまったわ……」


 ぼやけた視界の中に、ふたりの人影が佇んでいる。

 鉄砲を構えた若者と、その半歩後ろに寄り添うように立つ女。

 二人の目には死にかけたおのれと、立派な我が子の姿が映っているはずだ。

 女は笑い、我が子を見せつけるように両手を広げた。

 人間の大人が七人並んで腕を広げたよりも長く、大木のように太い体……巨大で、美しい、五齢幼虫だった。

 周りには、坊やが食べ残した無数の生き物の骨が積み上げられている。

 カラカラと転げ落ちた一つは、人の頭蓋の形をしていた。


「『不知火しらぬいの鉄砲撃ち』……」

 うわごとのように女が言う。

 銀作は怪訝そうに眉を寄せた。

「あたし達のような『モノ』の間じゃ、あんたは少々有名だよ。死人の魂を込めた弾を使って、妖異を退治する男がいるって。さぞや気分がいいことだろうねぇ。殺生を生業にする鉄砲撃ちが、死人に鞭打って妖までも追い払って……それで正義の味方のつもりなんだからねぇ……」

 あざけるように、女はヘラヘラと笑う。

 銀作は答えない。眉ひとつ動かさない。

「私たちはただ、目の前の泣いている子どもから、お母さんを取り上げたくなかっただけです」

 毅然とした態度で、月乃はそう言い放つ。女は月乃に、蔑むような目を向けた。

「お前……見た目よりは長い年月を生きてきたようだけれど、中身はまるで赤子ねんねのようだねぇ。偽善もいいところだよ。ここから抜け出したところで、どの道あの女たちに居場所などないのに。あの女たちを家族ごと養うつもりもないなら、半端なことをするんじゃないよ」

 ぐっと唇をかみしめて、月乃が言葉を詰まらせる。それでも何事か言い返そうとするのを手で制し、銀作が前に進み出た。


 女は銀作に目を移した。意外にも、その目には優しげな光が灯り、憐れむようにうるんで揺れている。我が子を見つめる瞳に似ているように見えた。

「お前は、なんだか寂しそうだね……どことなく、あたしたちに似ている。人と妖の境にいる者。世になじみ切れない、凍えた気配がする。撃たれたことは腹立たしいけれど、あんたならまだ、許してやってもいいという気もするね。少なくとも、その小娘の手にかかるよりはマシだよ」

「死に際だってのに、よぐ回る口だな」

「命乞いくらいさせておくれよ。あんた、あたしとこの子にとどめを刺しに来たんだろう?その必要はないよ。あたしは間もなく死ぬ。この子も、この姿のままでは、じきにく。さっきから、だんだん呼吸が弱くなってきているんだよ……」

 ひゅー……と巨大な幼虫が寂し気に声をあげた。

 忍び寄る死の気配に、おびえているようにも見えた。

 女はあやすように我が子を撫で、ふたたびその肌に頬を寄せる。

 ごめんね、とかぼそく呟いたように聞こえた。


「一つだけ……」と銀作が呟くように言った。

「気になっでるごどがある。おは、初めから太一を殺すつもりはがったな。山ん中で差し向けた怪物は、ただの幻だった。お前はその子どもを育てて、何をさせる気だったんだ」

 人肉を喰らう巨大な蟲など、言うまでもなく人間にとっての脅威である。

 人の魂を糧に成虫へと変じたら、どんな災いをもたらすかわからない。

 しかし、女は人間の子どもの命を奪うことを嫌った。


 女は怪訝そうな顔になり、じっと銀作の顔を見つめた。

「おかしなことを聞くんだね。『育てて何をさせる気だった』だって?人間ってのは、そんなことを考えながら子どもを産み育てるのかい?あたしはただ……」

 声がつまる。黒々とした大きな両目に、みるみるうちに涙の膜が張った。

「ただ……この子に生きてほしかっただけ。お日様の中で、美味しいものをいっぱい食べて、元気に暮らしてほしかっただけ。それだけよ。それだけで十分じゃないの。復讐なんて、ほんとはどうだってよかったのよ。ただ、ありのままの姿で、誰にも頼らないで、自分の力で生きることができたら……!」

 ぼろぼろと透明な雫が、瞳と、胸の穴から流れ落ちる。

 耐えかねたように、女は我が子の体に、自分の顔を伏せた。

 くぐもった声で懇願する。

「あと、少しだけでいい……あたしと、この子の命が尽きるまで……ほんの少しだけ、このままでいさせておくれよ……」

 二人とも、何も言わなかった。

 銀作はしばし逡巡したようだが、やがて、ゆっくりと銃口を下ろした。


 ひゅー、ひゅー……幼子の声は、高く、低く、洞穴に響き渡る。

 女の息が止まったかと思うと、瞬きする間に、その身は干からびた蚕蛾かいこがの死骸に変わっていた。

 間もなくして、巨大な幼虫もまた動かなくなった。

 親子が完全な屍となり果ててもなお、二人はしばらく、その場を動けずにいた。



――――



 パンッ!と乾いた音がした。

 月乃は赤くなった頬をおさえる。よろめいた体を、さっと後ろに回り込んだ火噛が支える。

「てめぇ!」と火噛が吠えた。銀作がかばうように、月乃の前に立つ。

 それでも、おしずはまだ怒りがおさまらないらしい。完全に度を失っており、両脇から太一とお久留くめに抱え込まれても尚、月乃に向かって拳を振り上げる。

「あんたが!あんたが余計なことをするから……!」

「お静さん、やめなさい!」

「お久留さんが悪いのよ!こんな女を連れてくるから!なによ、自分だけ男に守られて……何にも知らないくせに、人の仕事をめちゃくちゃにして!明日っからどうやって生きていけばいいって言うのよぉ!」

 お静はかつて妻子ある男の子どもを授かり、捨てられた過去があると言っていた。女手一つで幼子を育てるために、どうしても高給の仕事が必要なのだと言っていた。今、月乃を睨みつける彼女の目の中にあるのは、仕事を奪われた怒りだけではない。男の庇護下にあるように見える女への、微かな嫉妬の火もまた確かに揺れていた。


 お久留はなんとかお静をなだめようと、辛抱強く声をかけ続ける。

「ねぇねぇ、お静さん。さっきから何度も言っているじゃない。あのまま仕事を続けていたら、あたし達みんな、命が無かったかもしれないのよ。月乃さんたちの助けがなかったら、どうなっていたか……」

「あたしなら、上手くやれたわよ!あんたたちと違って、まだ若くて元気もあるもの。あの妖怪にうまく取り入って、搾りとれるだけ搾り取って、無事に帰ってやるつもりだったわよ。この女が邪魔さえしなければ……!」

 あまりに傲岸不遜ごうがんふそんなその言葉に、さしものお久留も文字通り閉口してしまう。

 お静はなおも続ける。

「だいたい、ちょっとばかし命を削られるからって、なによ!はなっからそんな覚悟はできているわよ。生きていくために多少無理をすることくらい、当たり前じゃないの。こんな、いかにも箱入り娘みたいなお嬢さんには、わからないかもしれないけどね!」

 他の女たちは、力なく地面に腰を下ろしている。暗い瞳には目の前の騒動は映っておらず、ただ漠然とした現実への不安がもやのように漂っていた。

 内一人は、地面に身を横たえたまま、ほとんど動かないでいる。織機しょっきに残っていた魂の織物をその身にかけてやっていたが、一度形を変えてしまった魂の一部は、どうやっても体には戻って行かないようなのだった。


 月乃は唇を震わせた。お静の怒りはもっともかもしれない。自分は確かに部外者で、にもかかわらず、太一に手を貸そうと銀作たちを巻き込んだ。

 疲れ切った女たちを家に返してやらねばならない。医者に診せねばならない者もいる。許されないのだとしても、一先ずはお静に、怒りの矛をおさめてもらわねばならない。地面に手をつこうと身を屈めかけた。


「―――あんたは」

 その時、それまでじっと黙っていた銀作が、初めて口を開いた。

 大きな声ではない。けれど、そこはかとない迫力を秘めた声だった。

 たちまち、あたりは水を打ったように静まりかえる。

 それまで激昂していたお静までが、ひくっ……と息を呑んで口を閉ざした。

 銀作はまっすぐに彼女を見据えて、続けた。

「あんたは自分の子が、親の命を削って稼いだ金を、喜ぶような人間だって思うんか。自分の子を、そんな薄情な人間だって思うんか」

 まるで銀作にぶたれでもしたかのように、お静の顔がゆがんだ。

 その場にいる全員が、いまや銀作に注目していた。

 元来口下手な彼は、居心地が悪そうに口をもごもごさせ、やがて、ふいと視線を逸らすと、呟くようにいった。

「……苦しんでる親を間近に見るのは、辛ぇもんだ。子どもだって、そうだ」

 誰も、何も言わなかった。身じろぎすらしなかった。


 沈黙を破ったのは太一だった。母親を救うため、常になく気を張り続けていた彼は、ここに至ってついに緊張の糸を切らせてしまったらしい。

 見る見るうちに十の童の顔に戻り、わァ……と声を放って泣き出してしまった。

「おっ母ァ!おっ母ァ!死んじゃやだよぉ……お願いだから、帰ってきてよぉぉ……」

 おいら、働くよ。なんだってするよ。だから生きてよ。お願いだよぉ……

 声を放って泣く我が子を、お久留はあらん限りの力で抱きしめた。ごめんよ、心配かけてごめんよ……と、泣きながら何度も謝った。

 お静がしゃくりあげ、その場に膝をついた。

 他の女たちもつられるように声を放って泣き、家族の名を呼んだ。

「おいおい、勘弁してくれよぉ!」

 号泣する女たちを前にして、唯一、火噛だけが、その場に似つかわしくない呆れた声をあげる。「湿っぽいのは苦手なんだ」とばかり、前足で両目を覆って、やれやれと首を振った。

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