第九章

 どおん……と、洞穴が大きく揺れた。

 土の天井を破り、白い大きな四つ足の獣が、咆哮をあげながら飛び降りてきた。

 その背にふたりの人影が見える。

 ハッとして蚕は天井を見上げ、月乃を放して立ち上がる。

 一人が青く光る鉄砲を構え、瞬時に照準を合わせて発砲した。 


 ダァン!


 青い閃光とともに飛び出した鉛の弾が、蚕の胸の中心を貫いた。

 声なき絶叫が上がる。蚕は両手で胸の穴をおさえた。指の隙間から、透明な体液がしたたり落ちた。

 解放され、咳き込む月乃の目の前に、ふわりと青白い火の玉が浮遊する。

 人魂である。

 鉛の弾に宿っていたそれは、しばらくじっと月乃の顔を覗き込んだ後、ふわふわと揺れながら天井の穴へと昇り、どこかへと消えていった。


「お月ちゃん!お月ちゃん!大丈夫かい!?……ええい、邪魔だ、野郎ども!とっとと降りやがれ!」

 火噛ホノガミは地面に降り立つと、ぶるん!と大きく体を震わせ、背中に乗せた男二人を容赦なく振り落とした。地面に転落した二人が「いてぇ!」と声をあげるのを無視して、一足飛びに月乃の下へと駆けつける。

「ああ、可哀そうに……首にくっきりあとがついてんじゃねぇか。痛かったろうなぁ。苦しかったろうなぁ。待たせて悪かったなぁ……」

 月乃の首に絞められた跡があるのをみつけると、きゅんきゅんと子犬のように鼻を鳴らして、ぐるぐると周りを回る。月乃はあえぎながら、「大丈夫」と言う代わりに、手を伸ばして火噛の鼻先を撫でた。


 火噛は鋭い牙をむき出しにし、蚕の妖に凄んで見せた。

「おうおうおう、この年増妖怪がァ!俺の可愛いお月ちゃんを虐めるたァ、太ぇ野郎だ!落とし前つける覚悟はできてんだろうなァ!」

 大口の中で燃える炎が、歯の隙間からメラメラと漏れ出ている。

 蚕は憎々し気に火噛を睨みつけると、片手で傷をおさえつつ、もう一方の手をさっと振り上げた。

 たちまち、闇の中で、うぞり……と生き物が動く気配がある。

 まるまる太った巨大な毛蚕けごの群れが、大挙して押し寄せてきた。

 女たちから悲鳴が上がる。

 フン!と火噛は鼻で笑うと、月乃の前に四つ足で立ち、総身の毛を逆立てた。

「まァたそれかよ。馬鹿の一つ覚えたァ、芸がねぇなァ!」

 火噛は大きく胸を膨らませたかと思うと、蠢く黒い毛蚕の群れに向かって、ブウ!と炎を吹きつけた。毛蚕達は苦し気にうごうごと身をよじらせていたが、やがて煙のように消えてしまった。

 蚕は悔しそうな舌打ちを残し、よたよたと洞穴の奥へと姿を消した。


「おっ母ァ!無事でよかった!」

「太一……!あんた、なんだってここに……」

 駆け寄って来た息子を、お久留は困惑顔で迎えている。

 助かった……月乃は喉をさすりながら、ひとまずほっと胸を撫でおろした。震えをぐっと押し殺し、火噛に向かってわざと頬を膨らませて見せる。

「年増年増って、やめてくださいな。私だって、本当は十分、大年増なんですから」

「や……お月ちゃんは違うよぉ!」

 火噛は取り成すようにおどけた笑みを浮かべ、人間のように前足で頭を掻いて見せる。


 その巨体を押しのけて、銀作がずいと前に出てきた。

 憮然とした表情だ。落とされた時にぶつけたものか、額に大きなこぶができている。手にした銃には既に弾込めが済んでいるようで、火縄には青い炎が燃えている。

「怪我は?」

 いつも通りの、ぶっきらぼうな問いかけだ。

「ありません。でも、ひどく弱っている人もいます。早くこの人たちを地上に出さないと……」

「よし来た!」

 吠えるように答えたのは火噛である。後足で立ち上がったかと思うと、めきめきと音をたてて、前足を人間のような五指の手に変形させた。そして、その手で悲鳴を上げる機織り女たちの首根っこをつかんで引き寄せると、あっというまに全員を両腕に抱え込んでしまった。月乃が傍にいるせいで張り切っているようだ。

「おおい、太一よぉ!おめえのおっかあ、ちゃんとこの中にいるかぁ!?」

「いるよぉ!」

 太一は火噛の腕の中を確認し、大声で答える。お久留は火噛の腕にしがみつき、声も出せずに震えている。

「そんじゃあ、ひとっ跳び表に出るからよぉ!おめえは尻尾にでもつかまってな。あ、銀作の席がねぇや」

「おらは残る」

「あ、そ。お月ちゃーん、帰ろうぜぇ!」

「私も残ります」

「ええっ!?」

 頓狂とんきょうな声をあげる火噛をよそに、月乃は銀作の隣に駆け寄る。銀作はちらりと月乃を見て、やや眉をしかめた。かまわずに、そのそばに立つ。

「邪魔はいたしません。万一けがでもした時に、すぐに手当てができる者がいた方がいいでしょう?」

 微笑めば、銀作は居心地悪そうに目をそらす。「ああもうっ」と火噛は地団太を踏んだ。

「まったく、しょうがねぇな!おい、銀作!お月ちゃんにケガさせたら、ただじゃおかねぇぞ!」

 火噛はぐっと後足の膝を曲げると、すさまじい脚力で大きく跳躍した。女たちと、太一の絶叫が洞穴に響き渡ったが、見る見るうちに遠ざかり、やがてはそれも聞こえなくなった。

「……行ぐぞ」

「ええ」

 二人の視線の先には、闇の中にもぼんやりと光る、あやかしの血の滴りが点々と続いている。

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