第五章

「……ちぇっ!ったく、なんだって俺がこんなこと……」

 月光の下、銀作、太一、そして白犬の一行は、月乃たちを追って山道を歩いていた。苛立った口調で呟いたのは、銀作でも、太一でもない。先頭を歩く犬である。昼間、太一が目覚めた時、月乃が話していた相手と同じ声をしている。

「まどろっこしいったらねぇよ。あの白い女がうちに来たところで、ふんじばって根城を吐かせりゃよかっただろうが」

「でがぇ声出すんでねぇ。気づがれるべが」

 メラメラと燃える松明たいまつを右手に掲げながら、銀作が低い声で叱咤しったする。ドスの効いた声音に、太一は自分が叱られたように身をすくませる。

 白犬はキッとこちらを振り返った。

「うるせぇぞ、銀作!てめぇの指図は受けねぇって、いつも言ってんだろ!」

 ぐるる……っ、と不穏な唸り声をあげて牙をむく。その額の辺りに、ぎょろりと光る第三の目がのぞいているのに気づいて、太一はうっかり出かけた悲鳴を押し殺した。いつの間にか、目元と頬の辺りに隈取くまどりのような赤い模様が浮かんでいる。白い毛に覆われた体は、昼間見た時より、ひとまわりも、ふたまわりも大きく膨らんでいるようだ。

「あ、あの……その犬……いえ、お犬様は、銀作さんが飼ってるんじゃないんですか……?」

 怯えながらも好奇心には抗えず、おずおずと尋ねる。犬は、「ああん?」と不快そうな流し目を太一に寄こした。目が三つあるから、その分眼力も強い。

「んなわけねぇだろ!俺ァただ、お月ちゃんが好きだから、こいつらの旅につき合ってやってるだけだ。あとな、俺は犬じゃねえ。獣の頂点!火伏ひぶせ妖狼ようろう火噛ホノガミ様だ。その辺の犬っころと一緒にしてみろ。嚙み殺してやっからな!」

 そう言って鋭い犬歯を見せつけるので、太一は生きた心地がしない。歯の根が合わぬほど震えていたら、銀作がすっと前に出て、さりげなく火噛と太一の間に入ってくれた。

「平気だ。口じゃ生意気なごど言ってらが、こえだばこいつは、お月さんに嫌われるようなごどは絶対でぎね」

「あっ、てめっ!言うんじゃねぇよ、そういうことをよ!」

 火噛は、まさしく犬のようにキャンキャンと抗議しているが、否定しないところを見ると図星のようだ。

 銀作は何度凄まれようとも平気な顔をしている。物言いは荒いが、心なしか昼間より口数が多くなっているようだ。案外、男だけでいる方が気楽なのかもしれない。


 彼らがこうして隠密おんみつのように女たちを追っているのには理由がある。

 一行が太一を長屋へ送り届けた時、銀作は、太一が昨日身につけていた着物に目を止めた。

 例の白装束の女に掴まれた小袖である。袖に残った白い粉がなんとなく気にかかり、洗わずにとっておいたのである。

「もしこれが妖の一部だば、匂いで根城突ぎ止められるがもしんねぁな」

 早速、銀作は火噛とともに山へ向かったが、ほどなくして憮然とした顔で戻って来た。においは山道の途中で完全に途切れてしまっていたらしい。

 そこで、月乃が一計を案じたのである。

「私がおとりになって、敵の根城に入ります。万一、銀作さんたちとはぐれてしまったとしても、太一ちゃんのお母さんがどんな環境で働いているかくらいは確認できるでしょう。『仕事が欲しい』と言って潜り込めば、即座に命を取られることもなさそうですし」

「危険だ」

 銀作は異を唱えたが、「お母さんたちは、もっと危険な目にあっているかもしれません」と返されると、渋面を作って黙り込んだ。

「それに、私の匂いなら、きっとどこにいても見つけてくれるでしょう?」

 月乃は火噛の頬を両手で包み、とびっきり甘い笑顔を見せる。月乃の「お願い」に弱いらしい火噛は、何も言えずに耳を垂らし、心配そうに鼻を鳴らした。

 火噛が言うように、白装束の女が現れた時点で捕らえることも考えないではなかったが、月乃はそれを「賢明ではない」と却下した。万一逃げられでもしたら、太一らに対してどんな報復がくるやもわからず、根城を突き止められないままでは、お久留以外の奉公人を助けることができない。月乃はあくまで、女たちの安全を最優先するべきだと主張した。

「大丈夫。きっとうまくいきます。任せてください」

 月乃の微笑みには、優しい一方で、どこか有無を言わせぬ迫力がある。結局男たちは等しく頷くしかなかった。

 かくして月乃は密偵となり、男たちが後を追う形になったのである。


「……足、痛むが」

 不意に話しかけられ、太一はハッとして物思いから覚めた。銀作がじっと太一の顔を覗き込んでいる。太一が黙っているので、痛みをこらえているものと思ったらしい。

「平気です!添え木でしっかり固めてあるから、痛くありません。跳んだり走ったりだってできますよ」

 手負いの自分が同行することで、足手まといになる可能性を考えないわけではなかったが、家に残った所でまんじりともできないのは明白だった。連れて行ってほしいと懇願した太一を、銀作は拒まなかった。はねつけられたとしてもこっそりついて行こうとしていたのを見抜かれていたのかもしれない。

 ことさらに大きく足を踏み鳴らして見せると、銀作はうなずき、目線を前に戻した。

 実際、痛みはほとんどない。改めて見下ろすと、昼間はパンパンに腫れあがっていた患部は、赤みが引き、ほとんどもとの大きさに戻っている。不思議だ。いかに良い薬を使ってもらったのだとしても、異様なほど回復が早い。月乃には、そばにいるだけで人の傷を癒すような、特別な力があるのではないだろうか。 

「お月さんって、不思議な人ですね。なんていうか、あんなか弱い見た目なのに、すごく落ち着いてるし……本当に観音様か何かみたいだ」

 得体の知れない女に顔を寄せられても、微動だにしなかった月乃の後ろ姿を思い出す。

 すると、前を行く火噛がくるりとこちらに顔を向け、ふんっと小馬鹿にしたように笑った。

「わかってねぇなぁ」

「えっ」

「あんなもんは、お月ちゃん一流の『強がり』に決まってんだろ」

「そうなんですか……?」

「目の前で取り乱したら、お前も、お前のおっ母も、もっと不安になるだろうが。お月ちゃんはな、自分がどんなにおっかない思いをしてても、ぐっとこらえて、周りのために笑って見せられる子なんだよ」

 ちっともそんな風には見えなかった。どこか人間離れした神々しさを備えていた月乃にも、そんな娘らしい一面があったのかと驚く。

 火噛は訳知り顔で続ける。

「ま、そんな健気なとこも可愛いんだが、あれで結構強情なとこもあるから参っちまうよなぁ。もともと物の怪に狙われやすい体質だってのに、わざわざ敵の巣に飛び込むなんてよぉ。……まぁ、そんな強情っぱりもひっくるめて、やっぱり可愛いんだが」

「火噛さんって、狼なのに人間のことがよくわかるんですね」

 すぐ前を歩く銀作が何故か不機嫌になる気配を感じたので、太一は慌てて話題を変える。火噛は大いばりで、また鼻を鳴らした。

「あったりめぇだ。生まれは山でも、こちとら江戸開闢かいびゃくよりずうっと前から人間社会で修行を積んでんだ。こと、女心に限っちゃあ、そこの鉄砲ぶら下げた朴念仁なんかより、ずうっとよく知ってらぁな」

 銀作の背中から一層不機嫌そうな気配が立ち上る。しかし、否定しないところを見ると、こちらも図星なのかもしれない。


「あ……!」

 その時、太一らの遥か前方を歩いていた月乃たちの姿が、ふっと消えてしまった。遠目に見ると、そこはやはり例の広場のようだった。

「やっぱりあそこだ!あそこに根城があるんだ!」

 太一は勢い込んで広場へ走った。

 後ろで銀作が制止する声が聞こえた気がしたが、気持ちが逸って足が止まらなかった。

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