第三章

 左官だった父が亡くなった時、太一の母・お久留くめは悲しみに暮れていたが、初七日が過ぎた頃には、「こうしちゃいられない」と気丈に立ち上がった。何せ、太一の下にも妹が二人。食べ盛りの子らを三人も養ってゆかねばならないのだ。貧しさは悲しみにひたることすら許してくれない。

 早速、口入屋くちいれやへ相談に行ったお久留は、その日の内に仕事を見つけて、ほくほく顔で帰って来た。なんでも、とある裕福な屋敷の機織はたおに雇われたらしく、給金が大変良いのだという。三度の飯に、魚や白い米を食えるようになり、子ども達はたいそう喜んだ。

 しかし、どうも様子がおかしい。まっとうな仕事だというのに、お久留が仕事に行くのは、決まって夜。そして、明け方に帰ってくる頃には、随分憔悴しょうすいしているのである。初めは、昼夜の逆転した生活に慣れないのだろうと思っていたが、日に日に母の目が落ちくぼみ、豊かだった髪にこしが無くなり、白いものが目立つようになると、流石に太一も不審に思うようになった。

 もしや、奉公先で何かひどい扱いを受けているのではないか―――

 そう思って問いつめてみると、母はためらいながらも、奇妙なことを語り出した。


 実は、新しい仕事は、口入屋で紹介されたものではなかった。条件に合う奉公先を見つけることができず、困り果てて口入屋を出たところで、お久留はある女に出会ったのである。

「もし……仕事を探しておいでなら、うちへ来てはいただけませんか」

 白い着物に白い肌。白い御高祖頭巾おこそずきんで髪と口を覆い、その隙間から大きな眼だけを覗かせた女だった。全身が白ずくめなので、闇夜の中にも、ふわりと光っているように見える。

「簡単な、糸つむぎと、機織りの仕事でございます。ちょうど、あなたのような方を探していたんです」

 女のまとう異様な雰囲気を、お久留は少し恐ろしく思ったが、提示された賃金の額が思いのほか高かったので、とにかく話だけでも聞いてみようとついていくことにした。

 闇夜にぼんやりと光る女の背中を追ってゆくと、いくらも歩いたと思えないのに、いつの間にか町を離れ、うっそうとした山奥へと入り込んでいた。

「こちらです」

 女が差したのは、山中には不釣り合いな、立派な門と広い庭のある、大きな屋敷であった。案内された広間では、既に四、五人の女たちが織機しょっきの前に座り、黙々とはたを織っている。

「このお屋敷の主人がお子をお産みになりましたので、特別な産着を織っている所なのです」

 お久留が挨拶をすると、機織り女たちは、にこやかに会釈を返した。和やかな雰囲気にほっとする。早速、自分も仕事をしようと織機の前に座ったが、肝心の糸が見当たらない。

「あの……糸はどこに?」

 おずおずと尋ねると、白装束の女は大きな眼を細めて微笑んだ。

「糸ならば、ほれ、そちらに……」

 指し示されたに触れる。すると、どうだろう。何もないところ……ちょうど、お久留の指先の辺りから、白く輝く糸が現れ、するすると杼に巻きついていくのである。

「まあ……」

 お久留は当然たまげたが、現れたその糸が、まるで珠玉しゅぎょくを砕いてより合わせたかのように美しいので、余計なことは考えなくなった。

 同僚に倣い、ひたすら機を織ってゆく。輝く糸は後から後から現れ、尽きることが無かった。織りあげられてゆく布のとろけるような指触りに、お久留はうっとりとため息を落とした。


「そういう不思議なお屋敷だけど……でもねぇ、別にいじめられているわけじゃないんだよ。まかないは出るし、一緒に働いている人たちはみんないい人達だし、何よりお給金が良いしねぇ。確かに、ここんとこ少しこんを詰めているから、ちょっとばかし疲れていたかもしれないけど、心配するほどのことじゃないよ」

「……その奉公って、いつまで続けるの」

「さてねぇ……何しろ上等な産着が、うんとり用だっていうから、まだしばらくは雇ってもらえるだろうねぇ。赤ん坊っていうのは、とにかくたくさん汗をかくもんだから、着替えはいくらあっても困らないんだよ。

 さ、そんなしかめっ面してないで、外で遊んでおいでよ。おっかあは少し横になるからさ」

 そう言って、お久留はごろりと横になったが、青白い顔には濃い影が落ちている。寝ている間に魂が抜け出てしまうのではないかと、太一は気が気でない。

「ね、おっ母。おいらだってもう十になったんだから、奉公に出られるよ。何もそんなにつらい思いして、おっ母だけが頑張ることなんてないよ」

「何言ってんだい、まだ早いよ。お金のことはおっ母が何とかするから、あんたはたっぷり遊んで、勉強して、将来は立派な人に……」

 言葉は途中で寝息に代わり、太一はそれ以上話を続けることができなかった。


―――


 その晩、太一は母の後をつけた。どう考えても、その屋敷も、白装束の女もおかしい。何もないところから糸が出るなんて、何か裏があるに決まっている。自分が行って、正体を突き止めてやらなければ……そう思った。

 話に聞いた通り、白装束の女と母は、町を出てずんずんと山奥へ進んでゆく。草の生い茂る、勾配のきつい獣道だ。太一は何度も木の根やぬかるみに足を取られたが、女たちは滑るように斜面をのぼっていく。とうとうその背中を見失ってしまった。

 息を切らして斜面を登りきると、少し開けたところへ出た。円形の広場のようになっていて、通れそうな木々の隙間は四方にあるが、母たちがどの方向へ行ったのかはわからない。


「坊や」

 途方に暮れていた所に背後から声をかけられ、思わず「ひっ」と息を呑み込む。

 振り返ると、白装束の女が立っていた。隣に母の姿はない。

「おっ、おっ、おっ母をどこへやったんだよお!」

 勇気を奮い起して怒鳴ったつもりが、歯の根が合わず、なんとも頼りない震え声になった。

 女の頭巾の下に覗く眼が、半月のような形に笑んだ。常人の三倍はありそうな大きな眼だ。よく見ると、瞳の中に六角形の筋が無数に走っている。

「まあまあ、かわいそうに……おっ母さんが恋しくて追ってきたんだねぇ。朝には帰してあげるから、安心してお帰んなさい。大丈夫。まだしばらくは死にゃあしないよ」

「し、しばらくって……っ!?」

「内緒だよ。本当はお前をこの場で殺さなくちゃならないんだからね。でも、お久留さんがあんまりにも働き者だし、お前はまだ小さくてかわいそうだから、一度だけ見逃してあげる」

 ほのかに光る白い手が、太一の腕をつかむ。血の通っていないような固く冷たい肌触りに、太一は悲鳴をあげた。女の声が、あたりの木々に反響して、わんわんと木霊する。

「いいかい、もう二度とここへ来てはいけないよ。おっ母さんを悲しませたくないなら、命を粗末にするんじゃない」


 ―――気がついた時には、太一は自分の家の前に立っていた。

 女に掴まれた腕が冷たくしびれ、夢を見たわけではないのだと告げている。袖が、きらきら光る白い粉で汚れていた。

 母は翌朝、何事もなかったかのように帰って来た。くたびれた黒髪に、また一筋白いものが増えていた。

「留守中、何も無かったかい?」と尋ねる声に、太一は黙ってうなずくしかなかった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る