自分勝手な誠実さ

 二日分の期待を両手いっぱいに抱える麻衣には、エレベーターのドアも、自動ドアも動きが鈍く感じる。カウンターに滑り込んだ。ちょうど広田と、一つ頭背の高い高橋が中で談笑していたので、何食わぬ顔を装って間に割って入った。


「おはようございまぁす。あ! そいや、チェンソーマン読んだよー」


 だが、高橋は答えない。ニヤニヤしながら視線を外すと、掃除道具を持つとブースへ消えていった。小さく「やべぇ」と聞こえた気がした。広田はなにごともなかったかのようにブランケットをコロコロしている。しまった、なにか間違えたようだ。

 麻衣は硬直した顔のままキッチンへと逃げ込んだ。下心を早速悟られたのだろうか。それとも私の悪い噂を広田によって吹き込まれているのだろうか。彼氏いない歴=年齢の処女で男に飢えてるとか。引きこもりの子供部屋おばさんとか。全部本当のことだけど、でも、それでもこれから一緒に働く店員として上辺だけでも仲良くしようと努力してほしい。お互い小さい子供じゃないんだから。待て待て麻衣、めちゃくちゃマイナス思考になっている。若い子は普通に人見知りすることもあるし。ひょっとして、今日着てきた普段使いのダウンジャケットとデニムスカートがダメだったのかな。「ナシ」だと高橋くんは判断したのかもしれない。この際素直に認めよう。私は既に高橋くんに気があるのだから、いずれは結婚を前提としたお付き合いをしたいのだから、これはもう婚活なのだ。そうと決まれば次からは、婚活に相応わしい、正しい服を着なければならない。


 勤務中ずっと高橋のことをああでもないこうでもないと考えていて出た結論がこれだった。


 正しい服を買いたい。今すぐ、新陳代謝するみたいに新しい自分に生まれ変わりたい。高橋くんに相応しい私に。途端に、自分の部屋の服の山が全て間違っているように思えてきた。箪笥の中に詰まっているブラウスやニットやワンピースも、ベッドの下のインナーや下着や靴下も、ハンガーラックに掛かっているスカートやパンツも、ベッドの足元やランドリーボックスに放り投げられたままのコートもジャケットもマウンテンパーカーも、なにもかも今すぐ排泄されるべき古い細胞だ。


 だが、麻衣は先月の給料を既に使い切っており、貯金などなかった。フリーターだからクレジットカードの審査も通らないだろう。いつのまにか日が暮れた帰り道、国道沿いをふらふらと歩きながら、虚しくスマホの通販サイトをただ撫でていた。新商品のバナーをタップすると、ピンクベージュの花柄ワンピースが画面に飛び込んできた。思わず躓きそうになる。月給八万程度の麻衣にとってはひっくり返る値段だったが、外国人モデルがポーズをとっている商品写真を次々スワイプするたび、鈍いパンチがリズミカルに腹に打ち込まれ、


「うぐ……」


 ついに変な声が出た。


 このワンピースはきっと、麻衣の印象を上品な大人の色気がある女性へと一気に変えてくれるだろう。ちょっと丈が短い気もするが、そこが男ウケもいいに違いない。これさえ手に入れば全てがうまくいく。車のライトが次々と、麻衣の興奮した顔を照らしている。


 そのとき、すっかりチェックを疎かにしていたマッチングアプリのメッセージの通知が、ワンピースの上に現れた。


かき揚げ:「明日、カフェで大丈夫ですか?」


 そういえば土曜に誰かとアポ入れてたっけ。わざわざ断るのもダルいがフェードアウトは性に合わない。麻衣には自分勝手な誠実さがあった。

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