第7話 ごちそう

 ご主人様に初めて名前をもらった。セレス。僕の瞳の色らしい。ご主人様から初めてその名前で呼ばれたとき、何だか心がざわわっとなって、ソワソワした。もっと、その声で僕の名前を呼んでほしい。そう思った。


「そろそろお腹が空いてきたね。帰る前に外でご飯でも食べていこうか。せっかく動けるようになったわけだし。3日連続であのスープは流石に飽きるでしょ」

「いえ、僕は別に同じスープでも…」


 この3日間、ご主人様は朝昼晩欠かさず、奴隷である僕に温かい食事を与えてくださった。今までの生活では一日3食与えられることのほうが珍しかったから、それだけでも奇跡みたいなのに、ご主人様は自ら作ったスープを僕なんかに与えてくれたのだ。それが嬉しすぎて、例え味が同じでも気になんかならなかった。


「遠慮する必要はねぇよ、セレ坊。同じものばかり食べてちゃ、栄養が偏っちまうし、こいつはもともと家で料理なんかしないやつなんだ。作れるのは1種類のスープだけ。放っておくと碌に飯を食いもしねぇから、外に連れ出すくらいがちょうどいい」


 …言われてみればご主人様が食事をしている姿を僕は見たことがない。ずっとベッドで安静にしていたので、食事はベッドの上でとっていた。てっきりご主人様は僕とは別の食事をとっているだろうと思い込んでいたが、もしやご主人様もあれしか食べていなかったのだろうか。だとしたらそれはあまり良くない気がする。僕は素直に頷くことにした。


「つーわけで、俺も今日の仕事は終わったことだし、一緒に飯食いに行くわ。爺さんに一声かけてくるから少し待っててくれ」


 そういうとサーガさんは建物の奥へと入っていく。そして、何やら会話を終えると意気揚々と戻ってきた。


「待たせたな。さ、行こうぜ」


※※※


「いらっしゃーい!…あら、ウェネちゃんにサーガじゃない。ひさしぶりねぇ」

「こんばんは、ザミアさん」


 ご主人様に連れられてやってきたのは、街の一角にある古い木でできた建物だった。中に入ると、大勢の人がテーブルを囲んで食事をしている。酔っ払いが多いのか、大分賑やかだった。


 両手に大皿を待ったふくよかな女性が、ご主人様に声をかける。お店の人だろうか。ご主人様とは知り合いらしく、楽しそうに話をしている。ふいに女性の視線が僕へと向いた。


「この子はどうしたんだい?」

「訳あって引き取ることにしたんです」

「そうかい。…何だか随分と痩せているね。うちは美味しい料理がたくさんあるから、沢山食べていきな!」


 にっと笑ってそう言った女性は、「そこのテーブルを使っておくれ」と空いているテーブルを指さすと、お客さんのもとへ料理を運びに行った。


 席へ移動すると、僕はご主人様達に促され椅子に座った。奴隷の僕がご主人達と同じ席に座るのは申し訳ないと思い、最初は床に座ろうとしたのだが、ご主人様達はそれを許してくれなかった。


 席に座るとご主人様に文字の書かれた薄い木板を渡された。


「ほい、好きなの選んでいいよ」

「…え?」

「遠慮せず、好きなの食っていいぞ」


 ご主人様達にそう言われ、僕は手元の木板を眺める。やはり、文字しか書かれていない。値段が低いものを頼むにも、僕は数字も読めないからどれが安いのか分からない。


「どうした?」


 サーガさんに声をかけられて僕はハッと視線を彼に移す。誤魔化しようもないので、僕は正直に答えることにした。


「…すみません、僕、字が読めなくて」

「あー、そっか。そうだよなぁ。気が利かなくてすまなかった」

「後で文字の勉強もしなきゃだね。…えーと、どういう食べ物が好き?」

「好きな食べ物…」


 ご主人様の質問に僕は何と答えればいいか分からず、首を傾げる。…食べ物の好き嫌いなんて考えたこともなかった。いつ食事にありつけるのかすら分からないから、出されたものをとにかく胃に詰め込むことしか考えていなかったのだ。


 どうやら僕が答えられないことをくみ取ってくれたらしい。ご主人様達は互いの視線を合わせると、息を合わせて頷いた。


「…よし、じゃあ今日はセレ坊の好きな食べ物を探そうぜ」

「そうだね。適当に色々頼んでみんなで分け合おうっか」


 ご主人様はお店の人を呼ぶと、メニューを指しながらいくつか料理を注文した。ご主人様の口から告げられた料理名は、どれも僕の知らないものだった。


 

 しばらくして、テーブルに沢山の料理が並べられた。どれも見たこともないものばかりで、好きなもの食べていいよとご主人様に言われたが、何に手をつけたらいいのか分からなかった。


「まずはこれを食べてみな」


 そんな僕を見かねてか、サーガさんが僕に茶色い塊が刺されたフォークを差し出す。僕はそれを受け取ると、恐る恐る口に含んだ。ジュワッと甘い油が口の中に広がった。


「おいしい…」

「ははっ!美味いだろ?タフルスの肉だ。フルカっていう甘い草しか食べない贅沢な家畜でな。フルカの甘味が肉の味に染み付いていて、美味いんだよな」


 時折与えられる食事の中に、肉のかけらみたいのは入っていた。でも、凄く臭いし硬くて、それが入れられるくらいなら野菜くずだけのほうがいいと思っていたくらいだ。肉ってこんなに美味しいものだったんだと僕は衝撃を受けた。


「それが好きなら、これも好きだと思うよ」


 そう言ってご主人様が差し出してきたのは、小さな肉塊がいくつかさされた串。肉には赤い液体がかけられていて、ほのかに酸っぱい香りがする。


「アウィの串焼きにベーカで作ったソースをかけたものだな。タフルスに比べて、アウィは淡白な味だけど、このソースとよく合うんだよな」


 サーガさんはそう言うと、余っている串焼きひょいっと取り上げ口に運んだ。豪快に全ての肉の塊を口に入れると、もぐもぐと口を動かしたままコップを煽り、全て飲み干す。プハァと気持ちよさそうな息を漏らすと、近くを通りかかった店員の女性におかわりを注文した。


 僕は受け取った串焼きを頬張りながら、ご主人様の方へと視線を移す。先ほどからご主人様は並べられた料理には全く手を付けず、目の前にある緑色の何かをずっと食べていた。


「…食べてみる?」


 僕の視線に気づいたご主人様がそう僕に尋ねてくる。ご主人様が好んで食べているものがどんなものなのか気になった僕は、その一欠けらをもらって口に含んでみた。

 

「っ!…ゴホッゴホッ!」


 口いっぱいに広がる青臭い香りと、きゅうと口内が窄まるような苦み。体験したことのない感覚に思わず涙が滲んだ。


「おまっ、セレ坊になんつーものを!…大丈夫か?これ、飲め。多少はマシになるから」


 サーガさんが慌てたようにコップを僕に差し出した。僕はそれを受け取ると、急いでそこに注がれていた白い液体を飲み干す。ほのかに甘いその液体のおかげで、口の中を支配していた苦みがいくぶんか和らいだ。


「んー、美味しいと思うんだけどなぁ。君にはまだ早かったか」

「す、すみません…」

「謝る必要ないぞ、セレ坊。それが普通の反応だ。それを美味いと言うのはこいつだけだ」

「えー、お腹が満たせて疲労も回復できるなんて、これほど効率のいい食事はないのに」

 

 サーガさんによれば、どうやらこれは回復薬の原料になる木の実らしい。とてもえぐみが強く、苦すぎてそのままでは食べられないため、すりつぶして甘い果汁と混ぜあわせたものを薬にするらしい。ご主人様はそれが面倒だからと、直接食べることを繰り替えしていたようで、いつの間にかこの苦いを美味しいと感じるようになったそうだ。


「お前、これからはセレ坊がいるんだから少しは食事を気にしろよ?教育に悪いだろ。セレ坊がお前の食事を真似しちまったらどうするんだよ」

「…うーん、セレスにはちゃんとした食事をあげるつもりだけど。…でも、そっか。同じ食事をとる楽しみも必要だよね…」


 …食事を楽しむか。今までそんなこと考えたこともなかったな。与えられたものをとにかく摂取する。それが生きるための術だった。


 僕が黙々と食事をしている間、常に何かを言い合いながらも和気あいあいと過ごしているご主人様達。そんな二人の会話を聞きながら、のんびりと食事をできるこの時間がとても贅沢なものに思えた。


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気まぐれで買った奴隷を解放したいのに、なぜか傍を離れてくれない件 嘉ノ海 祈 @kanomi-inori

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