第6話 人間らしい生活


 それから日が経ち、治療のために彼をサーガに預けた私は、今のうちに必要な買い物を済ませておこうと街に来ていた。


「サイズ、多分これくらいかなぁ」


 とりあえず服は絶対に必要だろうと思い、適当な服屋に入り、彼に似合いそうな服を探す。今彼には有り合わせの布を縫い合わせた簡易的な服を着せている状態だ。デザインとかそういうのは全く考えず、ただ縫い合わせているだけなので、服とのもちょっと気が引けるクオリティのものである。早急にまともな服に着替えさせてあげなければ可哀想だ。


「あ、これいいじゃん。似合いそう」


 次から次へと服を手にとっては、ポンポンと籠に放りこんでいく。人に服を見繕うって楽しいな。彼に似合いそうなコーディネートを作るのが面白くてついつい色々と買い込んでしまった。


「…買いすぎた感否めないけど、まぁいいでしょ。あって困るもんでもないし」


 会計を済ませ、こんもりと積み上げられた服を見て苦笑した私だったが、どうせ消費されるものなので開き直った。とりあえず手元にあっても邪魔なので、転移魔法で買った服を家に送る。


「あとは寝具か」


 もともと私の家にはベットが一つしかない。怪我人優先ということで、今は彼にベッドを譲ってしまっていて、自分はソファで寝ている。しかし、うちにあるソファはクッションのない安い物なので、朝起きた時に身体がバキバキになる。流石にこれがずっと続くのは困る。だから私は彼用のベッドを購入することにした。


「ここから近い家具屋は…あそこかな」


 この街には大きな家具屋がない。どうせならもっと品数が揃っている場所で買いたい。そう思った私は、行きつけの家具屋を思い浮かべると転移魔法を発動するのだった。


※※※


「よし、これで全て治ったぞ。よく頑張ったな、坊主」

「…ありがとうございます」


 ウェネフィカから奴隷の少年を預かったサーガは、前回治療しきれなかった部分の治療を施すと、少年に向かってそう声をかけた。


 優しく声をかけられることに慣れていないのか、少年はサーガの言葉に戸惑いの表情を浮かべる。そんな彼の様子を見たサーガは苦笑すると治療に使ったものを片付け始めた。


「…にしても、あいつ、戻ってくるの遅いな。一体どこほっつき歩ってるんだか…」


 ウェネフィカが少年をここに預けてから、既に半日ほど過ぎている。治療が終わる頃には戻ってくると言ってはいたが、一体今はどこにいるのか、そのことに少年は少し不安になった。


「あの…」

「ああ、気にするな。あいつはいつもこんな感じなんだ。いずれ戻ってくるさ」


 少年の不安に気付いたのか、サーガは安心させるように少年に笑いかける。そして、棚から何やら紙袋を取り出すと、少年に差し出した。


「ほい、治療頑張った坊主にご褒美だ。これでも食って待っててくれ」


 恐る恐るといった感じで少年はサーガから紙袋を受け取る。そっと袋を開けてみると中には茶色い焼き菓子が入っていた。


「これは?」

「…そっか。坊主は知らないのか。これはプラータと言って、この国の伝統菓子でな。大抵の人は幼少期にこれを食って育つもんなんだよ」

「プラータ…」


 お菓子なんて貴重なもの、奴隷に与えられることなんてまずない。いくら国民的に有名なお菓子でも、生まれながら奴隷である少年が知らないのは仕方ないことだった。


「ほれ、食ってみ。甘くて美味いぜ」

「いただきます」


 サーガの言葉に少年はゆっくりとプラータを口元へ運ぶ。パクッと端の部分を食むと驚いたように固まった。


「…しい」


 突如少年の瞳からつうっと涙が流れ落ちた。突然のことに驚いたサーガは慌てて少年のもとに駆け寄り、心配そうに彼を覗き込む。


「うおっ!?どうした!?泣くほどまずかったか?…おかしいな、一応この辺で有名な店で購入したんだが」


 サーガの言葉に少年はふるふると首を横に振った。


「…いえ、おいしいです。そうじゃ、なくて…うれしくて…。初めてだから…」

「…そうか。なら、よかったわ」


 ボロボロと涙を溢しながらそう呟く少年。サーガは少年の背中にそっと手を置くと優しく撫でた。


「ただいまー…て、あれ?…なんで彼を泣かせてるのサーガ」


 ガチャリと扉が開かれる音と共に部屋に入ってきたのはウェネフィカだった。彼女は目の前で繰り広げられる光景に眉を顰めると、攻めるような視線をサーガに送る。


「泣かせてねぇよ。つーか、お前戻ってくるの遅すぎ。とっくに治療も終わったぞ」

「ごめん、ごめん。ちょっと必要なものを買いそろえてきたんだ。…ほい、君にあげる」


 そう言うとウェネフィカは少年に近づき、手に持っていた布袋を少年に渡した。受け取るのを躊躇した少年だったが、ウェネフィカに促され袋を受け取る。恐る恐る中身を取り出すと少年は目を丸くした。


「これ…」

「うん、いつまでも私の作ったお粗末な服を着せるわけにはいかないからね。ちゃんとまともなの買ってきたよ。さっさと着替えちゃって」

「…」


 袋から取り出した服を悲しげに見つめる少年。その様子を見て、ウェネフィカはもしや少年が服を気に入らなかったのかと焦りをみせた。


「…え?もしかして気に入らない?」


 ウェネフィカの言葉に少年は慌てて首を横に振る。


「いえ…ただ…」

「…?」


 そう何か言い淀む少年。ウェネフィカとサーガは少年の言葉を待つように沈黙を続けた。


「…初めてもらった服だから、ご主人様が手自ら作ってくださった服だから、これを着ていたいなって…」

「…」


 その言葉にウェネフィカとサーガは衝撃を受けたように目を丸くし、そして互いに顔を見合わせた。


「…駄目ですか?」


 恐る恐るそう2人を窺い見る少年に、ウェネフィカは頭をかきながら言う。


「…いや、駄目じゃないんだけど、流石に人前で着るにはお粗末すぎるからさ。それ、あまり物の布を繋ぎ合わせただけで、縫い方も適当だから日常生活の動きに耐えられるほど丈夫じゃないし。…それは寝巻きとして着ればいいんじゃない?日中はこっちの市販の服着て、夜はこれを着なよ」

「っ!はい!」


 嬉しそうな表情で頷いた少年を見て、ウェネフィカはほっと胸を撫で下ろした。


 それから、少年は別の部屋で着替えを済ませるとウェネフィカとサーガのいる部屋まで戻ってきた。服を変えたことで見違えるようにカッコよくなった少年に、2人は感嘆の息を漏らす。


「うん。似合うじゃん。私の見立てどおりだわ」

「確かによく似合ってんな。なんなら俺よりもイケメンだわ」


 その後、サーガはウェネフィカに今回行った治療の内容を伝える。そして、カルテに記入を終えたところで、サーガが思い出したように言った。


「…そういえば、彼の名前は決まったのか?流石に不便なんだが」

「あー、いやー、中々良い名前が思い浮かばなくてね…」


 出会って早々、少年に名前を聞いたら番号で返された時の衝撃は凄まじかった。どうやら奴隷たちには名前というものはなく、番号で呼び合うらしい。主人によっては、名前を付与する人もいるらしいが、少年はそういった主人とは出会わなかったそうだ。


「流石に候補くらいは思いついているんだろ?」

「まあね。ただどれもピンとこなくてさー」


 レオ、アラン、クライブ…そういう一般的なものは思い浮かぶんだけど、なんか違う気がするとウェネフィカは思っていた。


「…セレス」

「え?」

「セレス。古代ウルクレシア語で空という意味だ」


 サーガの言葉に、ウェネフィカは納得したように頷いた。


「…空、いいね。君の瞳の色だ。どうかな?」

「セレス…ぼくの名前…」


 噛み締めるように与えられた名前を呟く少年。その表情からどうやら満更でもないらしいと感じとったサーガは、笑みを浮かべた。


「気に入ったみたいだな」

「はい!」

「よし、じゃあ君の名前は今日からセレスで」


 ふとウェネフィカが窓に目をやれば、空は紅く染まり日が落ち始めていた。1日が終わるのは早いなと思いながら、ウェネフィカは先ほど買ってきたものをセレスに渡す。

 

「はい。これ、靴。サイズが分からないからサンダルだけど、ないよりはマシでしょ。ちゃんとした靴はまた今度買おう」

「…ありがとうございます」


 驚いたような顔をしながらも、嬉しそうに礼を述べたセレスは、差し出されたサンダルに足を通した。


恐らく、靴を履いたことなど今までなかったのだろう。何度も足元を見ては不思議に足を動かしている。


 そんなセレスの様子を眺めながら、これまで彼ができなかった人間らしい生活を、思う存分させてあげたいと思うウェネフィカなのであった。

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