哀憫



「――――どういうことだ、ユルスン」

 握った剣の柄を握りしめ、壇上で平然と座る弟を見上げた。

「武器を捨ててください」

「どういうことだと訊いている」

「もう一人死なせたいのですか?」

 あごで示されたすぐ脇、たったいま、自身の主を守るため反抗しようとした配下はすでにしかばねとなっていた。怒りで震える体を抑えながらさらに睨む。

「全て偽りだったというわけか?貯水池の決壊も、ドーレンの使節が襲われたというのも」

 ユルスンは見れば分かるでしょう、というふうに肩を竦めた。

「なぜこんなことをしている‼」

「……センゲ兄さん。少し、二人になりませんか?こうもまわりがうるさくては落ち着いて話もできない」

「問答無用で斬り捨てておきながら何を言うか!なりませんぞ、ゲーポ

「だめよユルスン。危険だわ」

 双方の下僕たちから制止の声が上がったが、弟の提案には同意だった。ゆっくりと息を吐き出し、頷く。「そうしよう」

「ゲーポ、ゾンプン・ユルスンはあなたさまの弟といえ、何をされるか分かりません!」

「心配ない」

「ユルスン、あたしたちを離してはだめ」

「僕は兄さんと二人だけで話したい」


 互いの視線を絡ませ、佩剣はいけんをそれぞれの臣下に渡して丸腰、一対一になった部屋のなか。まず斬られた者を悼んでいれば、ユルスンは冷めた面持ちで口を開いた。

「兄さんは本当に、昔からお人好しでお優しい」

「ユルスン……理由わけを言え」

「分かりませんか?」

「分からない。お前こそ幼いときから賢く分別があり優秀で、皆を導いてきた。それなのに」

「でも兄さんは僕のほうが王に相応ふさわしいとは言わなかったですね。一度も」

 眉を寄せた。「まさか…それで?」

 いいえ、とユルスンは首を振る。「いくらそそのかされようと僕は兄さんになり替わろうなんて思ったことは無いです。あなたは僕の憧れで、誇りですもの。今も」

「そんなことをこの場で言われても、もう信じられはしないのだぞ」

「僕も兄さんの特別でありたかった」

「特別?特別に決まっているだろう。お前は俺の弟で、」

「そうじゃありません。僕は兄さんに対等と認められた一人の男として、兄さんの一番でありたかった。……でも、その場所はすでにンガワン兄さんが占めていた」

 昏いひとみが床に広がる染みを眺めた。「兄さんは僕を大切にしてくれた。母上があなたの暗殺を計画して失敗したときも、父上に僕の助命嘆願をしてくださったのは兄さんだけだった。母上の処刑が斬首ではなく賜死ししになったのもあなたのおかげ。リシたちを任せてくれたし、東城ここを与えてくれた。僕は兄さんのためなら死んでもいいと誓った」

「では、何が不満だった?」

「…………気づいたんです…………」

 ユルスンは顔を覆った。

「…………母上に厳しくされる僕を可哀想だと思ってくれていたでしょう?ク・ルンの術の助けがなければ剣も弓もつたない、馬も鳥もまともに馴致じゅんちできない情けない僕をそれでも褒めてくれた。『お前の良さは人の機微にさといところだ、文官に向いているな』と……でも、僕は兄さんに頼られて、兄さんを守る武官でありたかった」

 指の間から覗く眼差しが悲愴に揺れる。

「王の子として同じように育ったのだもの。僕だけがセンゲ兄さんの本当の気持ちが分かるんですよ。期待されたり失望されたり、まわりのくだらない噂や悪口に振り回されて迷惑してきた。兄さんに一番愛されるのは僕。頼りにされるのは僕。隣にいるのはンガワン兄さんでも他の誰でもない、僕であるべきだったんだ」

 だから、だからね、と幼児にかえったように繰り返した。

「兄さんみたいになりたかったんです。勇敢で、寛大で、皆から尊敬されて。兄さんから与えられた武器や馬や兵や物で兄さんの真似をして同じように振る舞えば、考え方や感じ方が分かるようになると思って。あなたに近づけば近づくほどあなたも僕を見てくれると思って」

「ユルスン。俺はいつでもお前を見ている」

「…………嘘を、言わないでください…………」

 嗚咽おえつをこらえた喉で絞り出した。

「気づいたんです。気づいてしまったんです。兄さんが与えてくださる僕への優しさは、ただの哀れみでしかないと。あなたは初めから『僕』を見てくれてはいなかった。不出来で才能も覇気もない、情けをかけ尻拭いしてあげねばならない義弟としてしか扱わなかった。僕は……僕は、誰よりも身を削ってあなたを一心にあがめてきたのに‼」

「もとより俺はそんなもの望んでいない。ユルスン、話ならいくらでも聞いてやる。だからこんなことはよせ。いますぐ兵を退け」

「いいえ。もう後には引けません」

「ここでお前の癇癪かんしゃくに皆を巻き込んでどうする?それほど愚かじゃないはずだ。俺にどうして欲しいか言ってみろ」

「もう、無理なんです、兄さん」

 噛んで含むように一語一語を切った。

「僕は……僕を見るあなたのその目が嫌いになってしまった」




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