卒爾



 荒い呼吸をなんとかなだめ汗を拭う。自分の身体からだに戻ってふらつきながら立ち上がり、頭から血を滲ませたパティを見下ろした。

「し、死んでない、よね?」

 おそるおそる確認し、ふーっ、と前屈みになった。

 付き添いがパティで助かった。あの隙ないチティならこうも上手くはいかなかった。

「こうするしかなかったのはあんたらが悪いんだ。また出口を隠されちゃ困るからな」

 林から飛び出て馬によじ登る。急いで鞭打ち、東へ戻る。隊列はちょうど最後尾が遠のくところだった。よし。このまま誰も振り返るなよ、と念じて速度を上げた。

 しかし肝心のときに上手くいかない。「そこの奴、なんで戻ってる⁉」という誰何すいかを皮切りにざわめきが広がる。


「あの子を捕まえて!今すぐ‼」


 鬼の形相が目に浮かぶような金切り声が響き渡った。「逃がさないわよ、この大嘘つき‼」

 ぞっ、と体中の産毛が立った。チティがなにか仕掛けようとしている、と本能で感じた。さっきまで快晴だったのにいつの間にか黒雲が集まって遠雷が聞こえた。

「天気まで操るとか、べらぼうにヤバイ女じゃん‼弟子入りしたいくらいだよもう!…………あれ⁉」

 が、即座に偽物だ、と理解した。チティは現実の電撃を降らせたのではない。こちらに押し寄せる火炎はおそらく自分にしか見えていない。

 ぐんぐん迫って背後まで追いつく。捕まる。へその下がきゅっと痛くなった。


「――――放て‼‼」


 すれ違う無数の征矢


「ツェタルどのぉ‼」

「えっ……」


 朗とした若い女の大音声だいおんじょうに一瞬自失した。

「ご無事ですか!」

 丘の上がもぞもぞと動いた。現れたのは赭面しゃめんの人の群れ、馬上で大弓を構えた女は再び一矢を高く打ち上げた。

「ギーレの戦士はまことゲーポと共にあり!王のツェタルは言わずもがな‼勇猛なる獅子の子らよ、反逆者の首をって名を挙げよ‼」

 騎馬の波が一斉に抜剣掲槍けいそうときの声をつんざきながら駆け下りる。

「ダワ‼」

「ツェタルどの、こちらに!」

「なんであんたが?」

 私だけではありません、と笑って反対側の丘を示した。そちらからも矢の雨が火の風を打ち伏せ、力強く飛んだ短槍が敵軍の盾をも貫く。アッハッハ、と野太い胴間声どうまごえが笑う。


「待った甲斐があったなあ!」

「ナムラー‼二人とも、なんで」


 乗る馬の手綱たづなをダワに預け、速度を緩めないまま戦線から後退する。ギーレ隊、ニェンドン隊両兵が守ろうと集まってくる。

「ヤソー・ンガワンの先見の明です。ツェタルどのを助ける隙は絶対にできるとおっしゃっておりました。まさか、ご自分で逃走するとは思いもよりませんでしたが。さすがです」

「ンガワンは……」

「我ら以外は皆ゲーポ救出に向かった。こちらも合流する」

 ツェタルは後ろを見やった。

「でも、」

「心配ない。あちらも数はないゆえ本気でやり合いたくはないはず。こちらもすでに目的を果たした。いなしつつ引き揚げようぞ」

 しばらく走り、背後の剣戟けんげきの音と怒号が聞こえなくなるまで距離を延ばした。


 ようやく速度を緩め、眼前に迫った岩山を越える。小さな沢を見つけたので顔を洗い、喉を潤した。

「ねえ、ゲーポはどうなったの?」

「実は昨日鳥が参りまして、センゲさまを連行しているであろう軍へ追いついたと知らせがあったのです」

「……ドーレンでしょ?」

 ダワとナムラーは顔を見合わせ、一様に頷く。

「のようだ。ゾンプン・ユルスンとヤソー・メフタスはドーレンの協力を得て此度こたびの反乱を起こしたのは間違いない」

「どのような取引がなされたか分かりませんがドーレン軍はゲーポの身柄を本国へ運ぼうとしているようです。許しがたい。それでなくともアニロンの領地へ無断で侵入しています。近隣の村民は逃げ出しました」

「正解だ。ドーレンの卑しい兵どもが押しかけて何をするか分かったものではないからな」

「昨日の夜、西へ向かう別のドーレン軍を見た」

「なんですって。では王都に?」

「それしか考えられない」

 まずいことになったな、とナムラーは顔をしかめ、ダワも形の良い眉を険しくさせた。

「とにかく、ここは我らの隊が足止めします。ツェタルどのはひとまず安全な場所へ」

「そんなとこ、あるわけないじゃん!わたしはゲーポを助けにいく。そのために逃げたんだから」

「しかしあなたにまで何かあったら。それに眼だって」

 痛ましげに頬を包まれたが振って拒否した。「わたしはふつうじゃない。戦で役に立つんだ。皆の力になれるんだ」

「……よし、分かった。ここは我らニェンドン隊に任せろ。お嬢らは早く行くがいい」

 隆々とした肩に槍を担ぎ、追いやるように手を振るナムラーに二人は迷う。

「待ってください、いくらしんがりを任されるほどお強いとはいえ、ここにいるニェンドンはたったの二百ですよ?対して敵軍は千」

「なに、派手に暴れてまわってあわよくばゾンプンを捕らえ人質にしてみせる。その間お嬢らはもっと距離を稼げよう?」

「それは、そうですが」

 ナムラーは片膝をつき少女と目線を合わせた。

「ツェタル嬢よ、ゲーポをお頼み申してよろしいか?」

 真剣な面持ちに勢いよく頷いた。

「……うん!うん、まかせて。ぜったい助ける」

「では致し方ない、見せ場はゆずってしんぜよう。背は気にせず進め、小さな女神ラモよ」

「あとでちゃんと合流してよ?」

 ナムラーは大きく口を開けて笑った。

「無論だ。ニェンドンに向かうところ敵なし。先に行かせるが、どうせすぐに」

 追いつくぞ、と言いかけた。しかしその先は聞こえなかった。代わりにがばりと大量の血を吐いた。


 ダワは一拍置かずしてツェタルの首根っこを掴み上げ馬に飛び乗る。小脇に抱えられた眼で山のような男の丸太のような首が前のめりに落ちるのを見た。一部始終がなぜかゆっくりとしか進まない、その景色、逆光の影が悠然と剣の露を払った。


 知らないうちに絶叫していた。ダワに指を突っ込まれるまで自分の声だと気づかなかった。

「なっ、なんで!なんで!」

「静かに」

「オエッ……」

 えた唾を吐く。ダワは一目散に岩山を駆け下り、馬が舌を垂れ下げるのも無視して爆走させ続ける。ツェタルを前鞍に座らせた。

「ツェタルどの。言いたくはありませんが今は泣かないで。しっかり前を向いて。これが命を懸けた戦です。誰も身代わりなどいない、人と人どうしの殺し合いです。戦で役に立つとはそういうこと。傷つかないからかぶって剣は振れない」

 ダワは笑む。「しかしあなたの戦う動機は素晴らしい。ゲーポを助け、皆の力になり、アニロンを守る。他人の生命いのちを救うことほど聖なる行いはありません。どうかあなたの特別な力は、奪う為ではなく、与える為に」

 馬が悲痛にいななき、滑り転げた。ツェタルを庇い受身をとったダワは勢いを殺さないまま崖へ走った。


「――――ツェタル!行って‼」


 まるで水切り遊びの石のごとく、ツェタルの体は弧を描く。驚いたまま、力を込めて頷いたダワを逆さまに見た。その胸に冴えた刃が突き立つのも。


「ダワぁッッ‼‼」


 ダワはもうツェタルを見なかった。背後の敵の首を引き寄せ、腕で締める。吐血しながら睨んだ。

瞑脱駿歩ルン・ゴム……!」

「へえ。ク・ルンの魔術を知ってるんですね」

「許さない。恥さらしの売国奴‼」

「ギーレの恨みを買いたくなかったけれど、仕方ない」

 ずっ、と胸を貫く剣がさらに深く入り、一気にねじり抜かれた。

 女は力を失い、膝立ちになり、崩れた。


 ユルスンは頬に散った返り血をそのままに周囲を見回す。集まってきた敵、加勢に追いつく味方、交錯する兵たちのずっと向こう遥か崖の下、広がる湿原に黒い点がみるみる遠のく。

 ここまでか、と見送り、見納めに微笑み、もうなんの未練もないときびすを返した。




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