脱兎



「今日はとびきり寝相が悪いこと」

「床」

 チティとパティは布団から落ちて転がっていた少女を抱え上げて湯に入れた。寝呆けた赤い片眼の焦点は合うことなくとろんと半開きで今にも閉じそうだ。

「ほーら、目を覚ましなさいったら」

「んー、ねむい……」

「二度寝は輿こしの中ですればいいでしょ」

「うー」

「……おい、ふだ、ない」

 パティに指摘され、え、と耳たぶをさわった。

「ほんとだ……どうしよう」慌てて桶のまわりに手を伸ばしたが、無い。

 女二人も寝台の下やら窓辺やらを見てみたがそれらしい痕跡も無い。

「昨日の夜、部屋にフクロウが入ってきたんだ。そのときられたのかも」

「まあ、不吉」「どうしよう……」

 半泣きになったのにチティは肩を竦めた。

「でも、特にもう必要ないものでなくて?」

「ない」

「おまえらはほんとに冷たいよね。大事だったのに」

 湯の中でうなだれた。

「そんなに落ち込まなくてもこれからはユルスンが新しい飾りを山ほどくれるわ」

「くれるくれる」

「べつにいらないし……」

 真新しそうな衣を着せ掛けられて違和感に気づく。

「ねえ、これ女物じゃん。なんで?」

「なんでもなにも、あんたは女よ。それに男が輿こしに乗ってるなんて変じゃない。ドーレンの皇上ファンシャンじゃあるまいし。兵たちもおかしいって思うでしょ」

「イヤだ」すぐさま脱いで布団に飛び込んだ。チティはまなじりを吊り上げる。

「ちょっと、今日にかぎって駄々捏ねないでよね」

「わがまま」

「ぜったい着ない。いつものじゃないと行かない」

 無理やり引っ張られるも大声をあげる。

「イーヤーだ!あーあーあー!」

「それ以上騒ぐと縛るわよ!そっちのほうが嫌でしょうが!」

「時間ない」

 攻防を繰り広げる女たちに見張りが外でコソコソと苦言を呈する囁きが聞こえた。しかし、すっ、と静かになる。鉄の柵を押し開け、にこやかな笑みを浮かべ入ってきたのはユルスン。

「どうしてぐずっているんだい?」

「オルヌドが女物を着るのが嫌だって」

 ユルスンは寝台に腰を下ろした。取引した日から会っていなかったが態度は変わらず、ただ、潰した片目には洒落た眼帯を着けていた。

「素敵よユルスン」

「ありがとう。別に要らないかなぁと思ったのだけれど、皆に気を遣わせては申し訳ないしね。きみも着ける?」

「いらない。それより、平気で話しかけてきて何?せめてわたしに謝るくらいすれば?」

「なぜ?口約束が嫌だと言ったのはきみだよ」

「あんた頭おかしい」

 ユルスンはふふ、と笑い、丸まった布団を撫でた。「そうかもしれないね。そんな僕に挑戦してきたきみも大概だけれどね。さあ、いつまでもこんなところにいたくないだろう?おとなしく姉さんたちの言うことを聞いて」

「男物がいい。輿じゃなくて馬に乗りたい」

「名目上、チティパティときみは僕のめかけとして王城に入るんだ。そのほうが体裁がとれて下官も対応しやすいから。なのに馬に乗っていたらびっくりするだろう?」

「なに言ってんの?じゃあ小姓ってことにすればいいじゃん。こいつらは男のかっこうしてもごまかせないけどわたしは大丈夫だもん」

「…………」

 ユルスンはむくれ面を観察し、そうかな、と首を傾げた。

「どう見ても可愛いお嬢さんだよ?あと三年もすればきっと並の娘より美しくなる」

 伸びてきた手を思いきり払った。

「うるさい!とにかくさっき言ったとおりにしてくれなきゃ動かないからな!」

「ふぅん。……そんなに馬に乗りたいの?」

「女物じゃまずまたがれもしないだろ」

 はたかれた自分の手を眺めながらさらに思案するユルスンに言い募る。

「輿なんて、へんに揺すられて気持ち悪くなるしずっと座ってたら尻も痛くなる。顔を隠さなきゃいけないわけじゃないだろ?長旅なんだから少しくらい風を感じたいんだよ。それでなくても閉じ込められてたのにっ!」

 ユルスンは少女のあごすくい、じっと見下ろした。視線は合わず、左右に忙しなく動く。

「な、なんだよ」

「……ううん」

 腕を振り上げ勢いよく降ろした。寸前で止める。……赤い眼は動かなかった。すがむこともなかった。風にぱちぱちと瞬いただけ。

「え?なに?」

「いいえ。……分かった、いいよ。けれど危ないと思ったらすぐ輿に乗せるからね?」

「やった!」

「走らせないよ?手綱たづなはもちろんかせる」

「うん、いい。それでいい!」

 まるでこちらに対する敵意など忘れたようにはしゃぐ様子に口角を上げたまま、


 …………気のせい、か。


 疑念を流した。



 東城シャル・ゾンから出立していくらも経たないうち、チティは下男に呼ばれた。

「オルヌドさまが」

「なあに?」

「その、……お手水だそうです」

「まああ、あの子ったら」

 輿を停めさせる。「ユルスンには先に行ってちょうだいと伝えて」

「あたしいく」

 パティが降りて伸びをした。

「行ってて」

「いいの?」

「すぐ、おいつく」

 チティは後方で騒ぐ声を聞きながら頷いた。「じゃあお願いするわ」


 パティは進む隊列から逸れた馬のもとへと歩み寄り、下ろされた少女の手を取った。

「あんた、パティ?チティは?」

「いない」

「ふぅん。……ねえ、このへん隠れるとこ、ある?」

 もじもじとするのを横目に、少し離れた林へ向かう。

「ねえ、まだ?我慢できないんだけど」

「なんで城で行っとかない」

「だってえ」

 つまずきそうになるのを支えつつ木立に到着し、パティは誰もいないことを確認した。「ここで」

「あんたもちょっと離れててよう」

「……わかった。終わったら、よべ」

 はあい、という声を背にして来た道を戻る。眩しい朝陽を見上げ、今日はどこまで進めるか、とぼんやり考えた。視界がぐらりと揺れる。


(…………え…………?)


 ほんの一瞬、白昼夢を見た気がした。はっ、と我に返れば、視界いっぱいに先ほどの空。頭の後ろには草の感触。


「あんたでツイてた」


 自分の口が意思によらず話すと同時、明滅暗転し、何を思う間もなく昏倒した。




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