幽閉



 ユルスンは嘘を言っていなかった。運ばれたのはおそらく貴族が寝起きするのと同じくらい豪勢な部屋のようで、床はどこを歩いても絨毯じゅうたんが敷き詰められていた。ふくよかな花の匂いを焚きしめたさらさらすべすべの布団は絹、寝床は上下左右、腕と脚を伸ばしきっても届かないほど広い。部屋には珍しく窓があった。届かなさそうだったが昼にはぽかぽかと陽射しが入ってきて、鳥の羽ばたきとさえずりがまるで戦などないかのように平穏と聞こえた。


 籠にはクルミ、ナツメ、グミその他今まで食べたことのない木の実や果物が山盛り。好きなだけ食べていい。朝と夕にはチティとパティが来て食事と沐浴もくよくを介助してくれる。ウイキョウで香り付けした麦麭パレ、ヒエンソウを入れた乳茶オジャ、上等な羊肉にヤク肉、どうせ汚れる湯水にまで香草が。油を塗られ丹念にかれた髪がつやつやとして落ち着かない。二日もしないうちに自分の体臭がすっかり消え失せた気がした。

 ヒュンノールにいた頃でもこれほどの扱いは受けたことがない。今まで経験したなかで最上の待遇だった。


 こんな状況でなければ人生で数少ない幸運だと有頂天になって満喫していただろう。しかしこれはきっとその分ユルスンの要求が重いことをものがたっており、前払いのつもりなのだと怯えた。絶対に逃がさないという圧力を感じる。そして、もしもンガワンたちを殺せと言われて、できないと言ったら、もうひとつの眼も潰される。確実に。


 遅かれ早かれメフタスがやろうとしていたことと同じだ。取引だと言ったがこちらにはおおよそユルスンと対等に張り合えるものなど何も無く、彼は常に有利に事を運ぶ。従わなければ罰を受ける。唯一持っている眼の力さえ脅威とはならない。そもそもユルスンは価値を感じておらずリシたちは封じ方を知っていて、到底太刀打ちできないと擦り込まれたからだ。二度と味わいたくない消滅の恐怖は力の行使を思いとどまらせた。





「あんたのせいで延び延びになってたけど、明日出発することになったそうよ」

 五日目朝、チティが桶に湯を張りながら言った。

「都に……」

「そ。メフタスはせっかちよねえ。まだ残党だって片付け終わってないくせに」

 衣を脱がしてくれたパティに手を引かれて桶の中に座り込み、俯いた。

「……わたしも?」

「当たり前でしょ。あんたのために輿こしも用意したわ。あんたはこれから新生アニロンを治めるゲーポ・ユルスンを助けるの」

 心に重石が乗ったようで口をつぐんだ。潰れた眼がまだ痛くて押さえた。中身は取り出されてもう無いのに、うずいてどうしようもない。

「可哀想にオルヌド。あとでお薬を飲みましょうね」

「おくすり、痛くなくなる」

 女二人はおとなしくしていれば哀れんだり励ましてくれる。だがそれもユルスンから命じられたからで、彼女たちの眼中には兎にも角にも主人しか見えていないようだった。たとえ年端もいかない少女が眼を潰されたとしてもその行為自体を責め立てたり非難したりは全くない。チティとパティもまたユルスンと同じく上辺は丁寧で優しいが実のところは他人に無関心で白々しかった。それが憂鬱に拍車をかける。


「あのさ、ちょっとひとりにしてほしいんだけど」

「だめよ」「だめ」

「湯浴みくらいゆっくりさせてよ。外に見張りもいるじゃんか」

「このくらいの水だって自害するには十分なのよ」

「するわけないだろ。おねがい、ちょっとだけでいいんだ。おねがい」

 顔を覆って懇願すると迷う沈黙があり、やがてチティが「しょうがないわねえ」と立ち上がった。

「本当に少しだけよ?湯冷めして風邪ひかせたらあたしたちが怒られちゃうんだから」

「うん」

「手ぬぐいを替えてくる間だけ。いいわね?」

 二人の足音が入口の柵の向こうへ遠ざかり、両膝に頭を埋めて湯気を浴びた。眼がれない程度に泣いた。


 ンガワンはどうなっただろう。センゲを無事に助け出せたのか。早くだれかに『入って』確かめねばと思うのに、思えば思うほど意気消沈してやる気をくした。どうせ見えていない今、力を使ってもそのせいで取り憑いた者を死なせてしまうかもしれない。

 せめて見えるようになれば……。


「…………」


 ふと、手首にめた飾りに触れた。王都を出る時ラマナからもらったお守りだ。たしか大龍女リンモのものだと言っていた。

 すでにぬるくなりつつある湯の中で撫でた。

「……まだ怒ってる?」

 不用意に話しかけてはならないほどの神だとは分かっていたが、そうせざるを得ないほど落ち込んでいた。


 あのとき、ラマナの中のリンモは白い大蛇の姿でラマナの額に開いたもうひとつの目で心眼しんがんを助けてくれた。

 声が聞こえたわけではない。ただ意思は伝わった。入り込んできた、というほうが正しい。示されたのだ。見よ、と。

 ラマナの唱えた祈りの文句をうろ覚えながら呟く。


「……大陸リンにうごめく、すべての息あるものをその御口みくちから吐き出すチュによって生きながらえさせる、オーデ・ベーデ・リンモ……ええっと……乳房ちぶさには王の子の、はらには鳥の娘の、かかとには敵のしかばねを。天下四辺、すべてあなたの尾がとどく……」


 腕環うでわを外して両手でつくった椀に置き、そのまますくった水で眼を洗った。

「わたしはラマナをったわけじゃないよ。いい加減許してくれない?」


 何度か繰り返して、溜息を吐いた。やはり奇跡など起きるわけもなく、見えなかった。

 そのうちチティとパティが戻ってきて、わずかでも期待してしまった自分がバカバカしくなってふて寝した。




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