九章

潜入



 ンガワンの言うとおりだ。眼の見えなくなった今、みんなの役に立つどころか足手まといで、一人で馬にも乗れないし、まして敵と斬りあったり弓で射落としたりなんてそもそもしたことがない。戦場に出たのはすべて他人の身体からだ、無抵抗のまま剣で刺し殺され槍衾やりぶすまにされたくだらない経験しかない。誰かを守って守られるような戦い方なんて知らない。

 ならやっぱり、自分にできる唯一は、この眼の力を使うことなのだ。


「セルラ、ごめんな。ンガワンたちのこと頼むな」


 暖かいふかふかの毛を撫で、どうしたのかと問うているであろう片目に頷いた。

「わたしには、わたしにしかできないことがある。だろ?」

 センゲを助けたい。

「使わない手はないよね」



 心配そうにくぅん、と鳴くセルラーパの声を聞き納め、まぶたを閉じた。そして思い浮かべた。顔を、声を、雰囲気を。

 たゆたう黒いもやが幾条も交錯する。そのうちの一本へ手を伸ばした。瞬間、ずるりと景色が回転し嗅いだことのない気の中へ入った。


(――――追い出す)


 卵の中身のようなどろどろの、色も形もよく見えないものを開けた穴からつるつると出ていかせ、代わりに滑り込んだ。案外と『入り』やすい奴だ。



 呼吸できるのを確認し、再び瞼を開いた。しかし景色は見えない。やはり本体の視力を失っていては憑依しても見えない。

「無理かあ……」

 呟いた声は柔らかな男のそれ。手を這わせ、起き上がろうとしてふわふわとした何かに当たった。


「ん……やぁん、なあに?今日は随分と積極的ね?」

「へ……⁉」

「もう、ユルスンったら!さわりたいならそう言えばいいのに」


 すぐ傍で寝ていたのは女、甘えた声で腕に絡みついてきて豊満な胸を押しつけた。


「興味無いフリしてたんでしょ、チティは待ちくたびれてたのよ?」

「待って、ちがう」

「パティのも、いいぞ」


 ぎょっとして振り返った。もう一人いた!

 両側を女二人にはばまれた。「でも良かったぁ。あんたってば昔から女の子みたいであたしたちにもぜんぜん手を出さないしちょっと心配だったの。これで亡き母上さまも安心するわね。今日はゆっくりできるでしょ?遊ぶ?」

「遊ぼう」

 押し倒されて慌てた。「チ…チティ、パティ?そんなつもりじゃなかった。落ち着いて」

 なんだこの女たちは。いつの間にか夜着を脱がされていてびっくりして避け、寝台の下へ盛大に転がり落ちた。

「きゃあっ!大丈夫?」

「じょぶ?」

「ああ、うん……」

 まだ身体の大きさが掴めない。

「おっちょこちょいさん。いま怪我したら大変よ?あさってには出発しなきゃならないんだから」

「え?どこに?」

 なに言ってるの、とチティはころころと笑い、パティは不思議そうに喉を鳴らした。

「寝呆けるなんて珍しいわ。センゲ・オーカルを送ってこっちは片付いたから早々に都に行こうって決めたじゃない」

「あ……ああ、そうだった、ね」

 鼓動が速まったのを悟られないよう急いで立ち上がった。センゲを送った?どこに?


 確かに心眼で見た彼の気配はまだ遠い。しかし今の言い草だとどこかに閉じ込めているわけではなく、連行しているということだった。訊きたい、と思ったがこれ以上は無理だ。


「……ユルスン。どした?」

 あちこちと手をさまよわせてなんとか寝台に座った。不審に思って当たり前だろう。どうするか。

「……なんだか、今日は具合が悪い」

「お熱?……ないみたい。でも汗がすごいわね」

 チティが額に冷たい手を当ててきたので頷く。「だるいし、寝てたいかな」

「たいへん。寒い?」「こおり?」

 ううん、と思いっきり弱々しい声を出した。「平気だよ……こうしてれば治るから」

 だから離れていてほしい。念じたのが通じたか、女たちはしきりに心配したもののひとまず部屋から出ていった。


 ほっ、と胸を撫で下ろした。しばらくはごまかせる。ユルスンを自分の身体からだに入れた現在、彼も目覚めて状況を把握したはずだ。少しは慌ててくれていたら良いが。


 ユルスンは、今まで数回顔を合わせたかぎり雄々しいという言葉の似合うセンゲとは正反対の牝鹿めじかのような優男やさおとこで、実際に親切に助けられたりもした。反逆のはの字も思いつかない者だと思っていた。しかし、わざわざセンゲをうまく暗殺する方法を話したりして違和感はあったのだ。ふつう、初対面の見知らぬ異国の子どもへ自分の尊敬する王を殺すならこうしろ、なんて馬鹿丁寧に言うわけがない。


 それにあの目。


 仮病のはずが本当に悪寒を感じて布団を掻き合わせた。あの目とは今まさにここにある両眼だが、常に笑っているのにこれだけは冷めていた。『ツェタルの札』に触れられそうになったときも、そのまま握り潰されるのではないかと恐れた。いつも見せる笑顔を素直に受け入れられない。何を考えているのか分からないのだ。


(なんで弟なのに兄貴を裏切ったりしたんだ)


 かつてきょうだいや家族はいたらしいが、記憶が無い自分にとって血縁に対する想いというのは疎遠なものだ。しかしこれまでに憑依した者たちにはそれがあった。父や母や、兄姉弟妹、子、血の繋がりなくとも同じくらい大切な恋人、親友。身体からだの持ち主のそういう相手と接するたび、どことなく温かな気持ちも伝わった。だからそういうものなのだと理解してきた。オグトログイやセンゲに対して似たように感じてきた。

 ユルスンは兄にその温かさを感じていないということなのか。それはどういうことなのだろう、と悩む。センゲは下女わたしを狩りへ同行させてくれるよう許可を求めた弟にだめだと禁じたが、べつに二人が険悪なようには見えなかった。むしろ相棒のラクパシンパを貸し借りするほど仲が良かったのではないのか。


(わかんないや…………)


 ユルスンと入れ替わったことでこの身体を人質にとったわけだが、肝心の本人は意図を気づいてくれているのだろうか。ンガワンと話して、あきらめて降伏してくれればいい。味方たちが無事にセンゲを取り戻し安全なところへ連れていくまでは、なんとかねばるつもりだ。居場所もある程度は伝えている。ただ、誤算だったのはセンゲが拘束されて、かつ移動しているということだった。ンガワンたちは見つけ出せるだろうか。


「でももうやっちゃったし」


 自分に出来る唯一のことはこの力。敵の総大将であるユルスンはこっちのもの、ならばメフタスだって言うことを聞くはず。


 一度憑依を解いてもよかったが、短時間に何度も対象者と入れ替わったことがない。もし出来なくなったらセンゲを助ける方法が無くなる、と思うと不安だった。




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