交換



「わたしは東城シャル・ゾンに行かなくていいの?」

「当たり前だ。要求をホイホイ聞いてお前が出頭したとして、絶対にセンゲが戻るっつー保証なんてどこにもねえ」

「でもそれこそゲーポが危なくない?」

「あっちはてめえが欲しいんだ。そんでもってこっちが進んできてるのも把握済み、俺たちがおとなしく交渉には応じないと分かってる。なら、必ずどっかで接触してくる。そうなりゃ、センゲをチラつかせてお前と交換しろと迫る。奴らにとっちゃそのほうが有利だろ」


 とはいえ、力ずくか、なにかしらの罠を仕掛けてくるかもしれない。敵側にとって正当な王を生かしておいて良いことは何も無く、今現在、確実に生存しているかどうかも分からない。口には出さなかったが可能性は大いにあった。その場合、ンガワンたちの作戦行動は反逆者の筆頭ユルスン討伐に変更となる。


「交換になったらあんたはわたしを差し出す……?」

 焚き火に照らされたツェタルの眉が不安げに下がった。

 ンガワンは即答しなかった。センゲが生きてさえいればいくらでも巻き返しを図れる。ツェタルだってあちらの手に渡っても彼女の力が欲しいなら殺されるわけではない。

「お前はあっちに行きたくはねえか」

「あたりまえだろ‼手と足斬られそうになったんだぞ‼」

「じゃあこないだの言葉は?撤回すんのか?敵がセンゲを引っ張ってきて、お前が来なきゃここで殺すぞとなっても無視するか?」

 子どもだからといって容赦しない。赤い盲目は揺れた。

「それは……」

「眼も見えねえ、戦えねえ役立たずのただのガキ。お前に何が出来る?その気持ちわりい力を使う以外によ」

「………………」

 ツェタルは唇を噛みしめ黙りこくり、セルラーパに抱きついて寝てしまった。





 まだ暗い払暁ふつぎょう、激しい吠えたてにンガワンは飛び起きた。

「どうした、デカ犬」


 皆も何事かと集まったなか、セルラーパは唾を飛ばし自らのあるじみつかんばかりに威嚇し唸る。対してそちらは夢からめた直後のように、自らの顔を触り、両手を見下ろした。


「チビ、なんだ。デカ犬をあまり騒がせんな。あっちの斥候せっこうに場所がバレる」

「………」

「寝呆けて尻尾でも敷いたか?」

 まじまじと見上げてきて呟いた。

「…………ンガワン・エ・キュンガイ…………」

「は?」

 いきなりどうした。屈もうとすればニタリと笑った。くつくつと込み上げを耐えて肩を揺らし、我慢できなかったのか声をあげた。

「うるせえ、静かにしろ」

「ふふ……うふ、これはさしもの僕も驚いたよ」

「『僕』?」

 吠え続けるセルラーパを押さえ眉をひそめた。――なにかがおかしい。

「いい加減起きやがれ」

「起きているよ、ンガワン兄さん。久しぶりだね。ヒュンノールからの凱旋以来かな?正月は会えなくて残念だった」

 傾げた仕草、微笑み、妙に既視感がある。それに、ありえないことに、視線が合う。無意識に剣柄たかびへ手を添えた。

「――おい、てめえ誰だ」

 そう訊くしかない。

「ひどい言い草。昔はあんなに可愛がってくださったのに。『お前は武器の手入れをさぼらずえらい』って」

 ンガワンはあごを落とした。


「…………ユルスン…………⁉」

「正解。やってくれたね、あの子」


 ユルスンは借り物の腕をつねった。「ふぅん、ちゃんと痛いや」

「お前、どういう」

 ゆっくりと立ち上がった身体からだも声もツェタルで間違いないのに、まったく別の人間だと分かる。

「僕が彼女に『入って』いるなら、あちらは僕に入っている、ということなのかな?」

「戻せ。今すぐ戻れ!」

「それは僕にはどうにもできませんよ。だってこの術はあの子が自分でしたんでしょう?」

 ざわめく群衆を見回して得たりと笑む。ゆっくりと両手を持ち上げ、自らの首を締める。

「都合がいい。ンガワン兄さん、この身柄を東城へ持ってきてください。さもないと殺します」

「てめえ……!」

「憑依している間に術者本人の身体が損なわれればどうなるのでしょうか。そして彼女のほうはどうかしら。僕を殺すつもり?本当にできます?できるような子ですか?僕を殺したってあるじが必ず戻ってくるか分からないのに、そういう博奕ばくちを平気でしますか?いいえ、むしろ逆に考えるでしょう。この子は僕を人質に取ったつもりなんですよ。センゲ兄さんを絶対にあなたたちに渡すようにと脅してるんです。僕を殺すのは兄さんの安全が確保された後でしょうね」

「フン。ならお前はどうしたって逆らえねえわけだ」

 しかし小首を傾げて「そんなこともありませんよ」と微笑した。

「僕はね、最悪〝万物眼ばんぶつがん〟が死んだって構わないんです」

「……強がりだ。お前らはチビを欲しがってたろう」

「もちろんこの子を手中におさめれば無敵でしょう。がむしゃらになっている者もいる……けれど、僕は正直、どうでもいいです」

「じゃあお前は何のためにこんなバカな真似してやがる」

「………………」

 答えず、ツェタルの手で気怠げに首筋を掻いた。

「おい、ユルスン!」

「ンガワン兄さんには分からないよ」ぽつりと呟く。「僕の気持ちなんてね。馬には一人で乗れるから貸してもらえます?」

「ふざけやがって、てめえ……!」

「あなたたちはアニロン王の反逆者であるこの僕を守って東城まで連れていくのです。そうするしかない。でしょう?」

 赤い眼は見たこともないほど弓なりに細まった。ツェタルの顔で間違いないのに、不気味に歪んでどこか壊れたような笑みだった。




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