扶翼



 まるで嵐の渦に巻き込まれたように何度も吹き飛ばされそうになり必死でしがみついた。右に左に上下にと振り回され、死にものぐるいで歯を食いしばって、いつの間にか放心していた。


「おい、起きろ」

 ばしりと背を叩かれ咳をして我に返る。

「よく落ちなかったもんだ」

「ど……どうなった……?」

 思わず手を伸ばして頭上の顔に触れた。付いた水はおそらく無数の血飛沫ちしぶき。体の芯がさっと冷える。ンガワンはそんなツェタルのことなど頓着なく「ぶちのめした」と上機嫌だ。


 すでに陽は地平近くに吸い込まれようとしている。

「今日はここで夜営する」

「どんなとこ?」「林の中だ。近くに川がある」

「セルラはどうなったの」

 ついてきてはダメだと何度も言ったがまったく無視されたのだ。

「セルラ!セルラーパ、どこっ‼」

 まさかもしや。不安が襲ったとき、付近から笑いが聞こえた。


「なんだぁ、このどデカイのは!こらこら、舐めるな」


 ツェタルはンガワンの手を握ったまま首を傾げた。女の声?

「なんと勇ましい獅子犬ドーキーか。勲章を授けたいくらいだ」

 続いて野太く笑う男の声がした。

「ヤソー・ンガワン!」

 がさがさと近づいてきた気配と吠え声がしてセルラーパが戻ってきた。ツェタルは喜ぶより先に男女に人見知りして毛玉にひっつく。ンガワンが問うた。

「お前たちは?」

「申し遅れました。ギーレ塩田えんでん領、領主ミワンマスマンツェプが一女、ダワ・ティンディンです。この度の応援要請を拝承はいしょうし三百兵を供出きょうしゅついたしました」

 ハキハキと挨拶した。

「加勢に感謝する」

「我はニェンドン千人隊統帥ダプン、ニェンドン・ゴ・シ・ナムラー。お会い出来て光栄だ」

 イノシシのような威勢の男が続けて名乗り、ンガワンと抱擁を交わした。

「しんがりご苦労だった。助かった」

「なんの。あのようなただのゴロツキ、屁でもなかったぞ」

「なんで女が?」セルラーパの耳の中で呟いたのにばっちり聞かれていた。二人に注意を向けられてちぢこまる。

「もしやその御子おこくだんの?」

「ああ。だが今は眼を傷めてて見えてねえ」

「なんと」

 すぐそばで膝をついたようだ。「お初にお目もじ……お聞きもじつかまつる〝ゲーポ特別ツェタル〟。ダワとお呼びください」

「ダワ?」

「どんなにかおどろげな小鬼テウランなのかと思いきや、こんなに可愛らしいお嬢さんだったとは」

「なぬ、おなご?」

 しげしげと観察するナムラーの視線を感じた。ツェタルは見えないのに上目遣いした。「バレた。なんで分かったの?」

「分かりますとも。それで?この犬はツェタルさまの下僕しもべなのですね?」

「さまってやめろ」

 あはは、とダワは爽やかに笑った。「なかなか勝ち気な御子だ。そうそう、主に倣ってかその犬はまこと素晴らしい働きだったと」

「食いちぎった首は二十は軽いのではないか。褒美を与えなくてはならんな」

 さっきから濃い血のにおいがするからそうなのだろうと思っていた。この二人も間違いなく軍人だ。殺した敵の話を平気でする。


 ツェタルはダワが気になってつっかかった。

「あんたは、なに?」

「ギーレのダワです」「そうじゃなくって」

「ああ、なぜ女が戦場にと?」

 ダワはセルラーパをひとしきり撫でてンガワンに向き直った。

「実は、父は出兵を渋っていたのです。ギーレはいちおう、東城シャル・ゾンの管轄下にありますからゾンプン・ユルスンの逆鱗に触れとうない、と及び腰で。それなりに役つきの兄や弟が出れば要らぬ波風が立つのではと危惧して、ならばそれがお転婆のじゃじゃ馬娘なら勝手をしただけだといくらでも言い訳きくので許されたのです」

「そんなんで三百兵をまとめられるのか?」

「ご心配はごもっとも。けれど皆、昔から共に山野を駆け回り塩まみれになって遊んできた仲間、いわば家族同然です。それにギーレ兵はたとえ頭領が女でも敬意をかなぐり捨てるような軽薄な者はおりません。……まあ、私が出てきたのはギーレの名を挙げたいという理由よりもっと大きな目的があるのですけれど」

「目的?」

「我らのゲーポ、センゲ・タムチェン・オーカルさまをこの手でお救いしこの私がおぼえめでたくなることです」

 ナムラーはガハハハと体を揺すって笑い、ンガワンは呆れたような間を置いた。ダワは続ける。

「神に愛されし白銀の髪でお生まれあそばされ、剣技に通じ理知に富み、慈悲深く徳高いセンゲさまの名は幼い頃よりギーレでももてはやされておりました。そして昨秋のヒュンノール討伐も完膚なきまでに成し遂げられ、もはや並び立つ者ないアニロンの真の聖王であらせられる。とはいえきさきもおらずおめかけの噂さえなくいまだ独り身。これはいかがなものかと皆が言っております。戦神ダラの化身のような御方ですから、隣で支える国母もしっかりとした者でなくては。ですので、不肖私めが自らセンゲさまをこの苦難からお助けし、成功したあかつきには求婚させていただく所存です」

「たいした自信だぜ」

「自信ではなく自負があります。王家に名を連ねる大家の姫君は皆なよなよとしてきっと王の御目にはかなわないのでしょう。それならば僅少きんしょうながら軍を率いてきた私のような骨のある女人のほうがよほど気安いのではないかと考えた次第です」

「豪気だな!では近いうちに馬に乗り剣を振るう王妃ツンモが現れるかもしれんのか」

 セルラーパのあごの下に入り込み聞いていたツェタルは頬を膨らませた。

「格好はいいけどさ、あんたの実力はどうなわけ?戦いに来てるのに強くなくっちゃ意味ないだろ!」

 ふ、とダワは笑み、鞘を鳴らした。「父には女にしておくにはもったいないとまで言われております。今ここでツェタルどのに剣技を見てもらえないのが残念です。ヤソー・ンガワン、機会があればぜひ手合わせなどお願いできれば大変嬉しい」

「女人には負けておれん。我とも是非ぜひに」

「いいぜ。暇になったらな」

「ヤソーほどの御方にお許しいただけて光栄です。それでは、明日からもよろしくお願いいたします」

 去っていくダワとナムラーの足音が遠のいていき、消えてすぐにツェタルは毒づいた。

「あのダワってやつ、ゲーポに媚び売るために来ただけじゃんか!」

「ギーレ兵の強さとあの領主の息女の力は本物だ。塩泥棒を追いかけ回してるだけある。り合ってる最中でチラッとみたが男に劣らねえ」

「そんなんでもゲーポはちやほやしたりしないぞ、きっと!」

「は?お前……なにヤキモチ妬いてんだ?」

「妬いてない、バカ!」

 犬の胸毛に顔を埋めてねている。ンガワンは吹き出して頭を小突いた。

「マセガキがよぉ」

「うるさい!あんただってリメドのこと口説いてたくせに!」

 周囲でやりとりを笑っていた配下の動きが一拍止まった。

い女だから三番目にしてやるって」

「おいだまれ」

 慌ててセルラーパから引きがし口を押さえた。「そーいうこと大声で言うな」


 王城の召使いは出自の確かな子女がほとんどで家の格も高い。まして女官長のリメドはそこいらの貴族と同等かそれ以上の名家出身なのだ。本来なら軽々しく婚姻の類の話題はしてはならない。


「あのときは冗談でも言わなきゃやってられなかったろ!」

「冗談であんなウソ言ったのか⁉最低じゃんか、見損なった!」

 そうじゃねえ、とンガワンは不覚にもかなり取り乱したが、良きか悪しかツェタルにその顔は見えなかった。

 しゃがみこみ、ぼそぼそと禁じる。「いいか、お姫サン。頼むから俺の評判を下げること言うな。センゲにダワのことゴリしすんぞ。嫌だろ?」

「イヤだ」

「じゃあ俺の恥ずかしい失言も言いふらすな」

 ツェタルは返事をせず何かをしばらく考え、あのさ、と知らず耳を染めた。

「もし、わたしがダワより強くなったら……その……どうなるの?」

「アニロンに筋肉女が二人誕生する」

「そういうことじゃないって!」

 もういい、と腕を振りほどいた。「とにかく、眼が見えなくなったお詫びに剣を教えてくれるって言ったこと、忘れないでよ」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る