失明



 ンガワンが帰ると姉はひとり数珠じゅずを数えていた。

「あいつは?」

「寝ておる。どうじゃった?」

「まとまった騎馬は用意できた。敵も定まった。東城シャル・ゾンへ行く」

ゲーポの異母弟か。十分気をつけろ。あれも子飼いのまじない師を持つ」

「呪い師?めかけだろ?」

「いいや、もとは母親の飼っていた女豹めひょうたちじゃ。クンナク・ユルスンの生母は大貴族ク・ルン一族の掌中しょうちゅうたまじゃった。黒雲の謎が解けたな。あれは呪い師たちの術じゃ。異国のくない技を使うゆえ行動が読めぬ。メフタスたちは他に要求をして来なんだか?」

「ああ」

「つまらぬ嘘をつくな」

 ンガワンは舌打ちした。「『〝悪霊に憑かれた雪獅子〟が欲しい者は〝呪いの赤い小兎〟を東城へ献上しろ』だと」

「本性を現した。ゲーポとツェタルを交換?にわかには信じられぬが」

「センゲの切り毛を振り回してやがった。ラクパシンパはどっかに逃げた」

 ンガワンもまた自分の髪をぐしゃぐしゃに乱した。

「クソどもが!絶対許さねえ‼」

「ふむ。しかしこれでゲーポが生きておるということは分かったな」

「それも本当か分からねえじゃねえか!」

「いいや。儂のうらでは死相はあるがいまだ命火は尽きてはおらぬ。あちらはツェタルの力を正確に把握しておらぬゆえ、人質のゲーポをころさば露見すると恐れておる。死んだと分かれば姿を現さぬ。だからまだともかく命だけは無事じゃ」

 それよりも、と数珠から目を離さず続けた。

「ヒュンノールの残兵その他を懐柔し反乱を起こすとは、ユルスンがそれほど力を持っていたとは驚きじゃ。年若く経験も未熟で北の遠征にも行かず、ゲーポの覇業の影に霞むような弟だのに、いつの間にそれほど支持がついたか」

「知らねえが東で好き勝手やってたんだろう。実際センゲは甘やかしてたしな。つけ上がりやがって」


 ラマナはふぅむ、とまだ考えながらたまを数えている。フクロウも眠る深夜、彼女の夫たちはもういない。ンガワンは茶を淹れようと厨房くりやへ立った。


「だいたい、何が不満だ。ヒュンノール人だって四つ目野郎から解放されて助かった奴も多いってのに……」

 かまどの側で何かが動き、ネズミか、と踏み潰そうとしたが、それにしては大きかった。うずくまった塊はおずおずと見上げてくる。

「……は?何してんだ、チビ」

「ゲーポが捕まったって、ほんとう……?」

 盗み聞きしてたのか。ンガワンはいらいらと攪拌機ドンモを上下させた。

「みたいだ。だがお前を一緒には連れて行かねえぞ。どんな罠が待ってるか分かったもんじゃねえ」

 よろよろと立ち上がったツェタルは手を見当違いなほうへと伸ばし、かろうじてンガワンの裾を握った。

「ユルスンが、ゲーポを裏切った……ユルスンを殺したら、ゲーポが助かる?」

「お前な、昔と同じことしようっての、か……」

 涙で濡れた顔は必死の形相、おどおどと揺れる焦点はこちらとは合わない。ンガワンは屈んでツェタルの両肩を押さえた。

「チビ?おい、こっち見ろ」

 赤黒い眼はいつもの通りだが。


「……お前、見えないのか?」

「み、……みえない」


 かぼそい声を聞いた途端、ンガワンは隣房に戻りラマナに迫った。

「チビに何した」

「儂に『入ら』せた」

「ふざけんな!」

 超然と答えた姉の数珠を引きちぎった。「よせと言ったはずだ!あんたの好奇心だけで他人を振り回すな!」

「勝算はあり、収穫はあった。ゲーポの居場所はツェタルが突き止めた」

「眼が見えなくなってんじゃねえか!」

「神がかった儂に入ったのだぞ?大龍女リンモからすれば伴侶つれそいを寝盗られるようなもの。とはいえ寛大ゆえ願いを聞き届け手を貸して下さりツェタルに心眼しんがんを可能にさせた。その分の代償があって当たり前じゃろう」

 話にならない。ンガワンはラマナを放り捨て、壁をつたってきたツェタルを抱き上げて外へ出た。




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