霊媒



 生き残って敗走に成功した配下や仲間を探すため、ンガワンは内密に王都まで戻った。彼が帰るまでツェタルはラマナの家で留守番だ。


 ラマナは家をいくつか持っていた。ここはそのうちのひとつで神降ろしのための家だという。近隣の住民はおそれ敬って近寄らない。とはいえ、むやみやたらに外へは出るなと言われたのでせめても風を感じようとセルラーパと屋上で遊ぶのが日課になった。


 家の仕事はラマナの四人の夫たちが入れ替わり立ち替わりすべてこなしたのでツェタルは何もしなくていいと言われた。そしてラマナ自身も何もしない。荒れさせたことのない白い手を上向けて座り、朝から晩までじっと動かず祈っている。居間で、寝室で、そして今日は屋上で。屋上でそうするのは必ず薫煙サンを焚くときと決まっていた。


「ンガワンが言ってた、あんたは半分人じゃない、って、どうゆう意味?」


 話しかけるのはいいが触れてはならないと言われたのでおとなしく少し距離を置き、髪を流した背に問う。ラマナは火の中に麦粉ツァンパを一つまみいた。

「そのままの意味じゃ。体は間違いなく肉の器じゃが、中身は異なる」

「なかみ?」

「そちの亡国でも儂のように見えざるものと意思を通わす男や女はおったろう?」

「いたけど、アニロンはなんかちがう。祭司シェンとあんたは同じ?巫師ハワは?」


 ラマナは向き直った。目は閉じたまま。

「そうか。なるほど。――シェンとは厳しい修験しゅげんを経て〝聖なる奴隷〟となった者。王家の祖霊神、御霊神クラから認められなければなれぬ。その筆頭が大祭主シェンラプ。国の祭事を執り行い吉凶を占い、ゲーポの選定を神託により下す」

「ゲーポはシェンラプの神託でゲーポになったってこと?」

「そうじゃ。一方、ハワは鍛錬なく神霊をかせる。あらゆる預言よげんを行うがクラは降ろせぬ」

「あんたは?」

報魂師レウルンは他二つとは格別に異なるものじゃ」


 ラマナは小さな湯呑みを三つ置いた。


「これらが別々に分けられている最たる理由は犠牲の捧げ方による。シェンは神託を授かるときには羊をほふってその血を献上する。血は生命の権化ごんげであり源であるからして尊ぶべきもの、クラはそのあがないでもって祈りに応えるのじゃ」

「ハワは何を殺すの?」

「ハワは自らの血でぶ。頭や腕を傷つけて己を犠牲とすることで依代よりしろとなる。じゃが、呼び寄せるものを選べぬから悪霊を降ろしたときにはでたらめなことを言うときもある」

 そして儂は、と真ん中のものを逆さにした。

「自らの守護神霊とちぎりを結び、神託や助けを得る。儂の守護神は地と水の神大龍女リンモ。儂はリンモのためだけに祈り、リンモしか降ろさぬ。レウルンにくのは大抵が強い力を持つ太古神であるから、預言も正確で信頼に足る」

「あんたがささげる犠牲は?」

 ラマナは賢いツェタルに微笑んだ。

「レウルンは贖いの血を流さぬ代わり、魂で契りを保つ」

「たましい……」

「儂から言わせれば生き血で強制的に神を呼びつけるなど下品でずるい行いじゃ。神霊は人を助ける義理などもともとはない。が、何千年とそのようなかたちで共生してきたゆえ染みついた儀軌ならわしは変えようもない」

「あんたはずうっと黙ってそのリンモと話してるってわけ?」

「普通ならば人が魂を神と結ぶなど不可能なのじゃ。しかし儂はなんの天命さだめかリンモに見初められた。守護神の声が聞こえながらないがしろにすることは許されぬ。レウルンは神の夫、妻、友であり分身。じゃから外側はけがれた肉体を持つとしても中身の魂は常にきよめておかねばならぬのだ」

「たいへんだなぁ」

「無条件で神々に愛されることはない。神が人に降りるのは対等な関係だからではないのじゃ。せめてへりくだらねばどうしてくさい人間ごときを助けてくれようか。そう考えると、小さき巫女チュージェや、そちの力はやはりおかしいのだ」


 ラマナはようやくまぶたを開き、水底のような瞳でじっと見据えた。


「犠牲も捧げず血も流さず術を思う通りに、即座に使える。そんな霊媒を儂は知らぬ。魂を何かと繋げているようでもない。そちの父母きょうだいも同じ力が使えたならば、そなたたち一族は遥か昔に何かから何らかの恵み、あるいは呪いを受けたと考える」

 つまりは、と指を立てた。「そちは間違いなく人じゃが、血も魂も中身はまるごと神か悪霊かに喰われておるのかもしれない」

「ええ?」

「犠牲を必要としないということはすでに払われておると思えば納得する。人以外に取り憑くならば返報はないと言うたな?では人を乗っ取るとどうなる?」

 真っ向から訊かれてツェタルはまごついた。言っていいものか、と迷ったがラマナの静かな佇みに気圧けおされた。

「……犬や鹿の中には、見えない壁みたいなのがあって長くはいれないんだ。人には無いけど、本体じぶんに戻ったあとはしばらく気持ち悪い。熱があるのにいっぱい走ってへとへとになったときみたいな」

「乗っ取った者の体調や感覚はそちにも影響するか?」

「たぶん……少しは」

「今までどれほど長く憑依したことがある?」

「えっと……十と、三くらい……?」

「しすぎるとどうなる?」

 ツェタルは言葉を探した。

「たくさんのやつに『入り』すぎると、戻ったときに眼が見えなくなるんだ。ひとりだけに入ってるときもそうなんだけど、自分の体を長く離れると、戻る……道?が分からなくなりそうになる」

 憑依する過程の形容はしがたい。頭をひねりつつ説明するとラマナもまた、そうか…、と思案する顔をした。

「なんにせよやってみるしかないのう。ツェタル、やはりンガワンが帰って来ぬうちに心眼の術を行おうと思う。儂に協力してくれるかえ?」

「わたしは何をするの?」

「神を降ろした儂に入るのじゃ」

 ツェタルはごくりと唾を飲み込んだ。「ラマナに……入るの?」

「出来ぬか?」「いや……たぶん、できるけど……」

 破顔し立ち上がった。「良かった。ではさっそく準備しよう。そうそう、もうひとつ。そちは乗っ取りたい者を自由に選べるのか?つまりは、この全地の人間を操れるのか?」

 無意識に後ろめたさを感じてセルラーパに口をうずめた。

「入れるのは、知ってるやつ。わたしが、あいつか、ってわかるやつ。入りやすいやつと入りにくいやつ、バラバラだ」

「ふむ。儂には入りやすいといいのだがのう」

「入れるよ、たぶん」

 ラマナは硬い表情で俯いた少女を促して屋上から降りた。

 ツェタルは用心深い。これまでの学びか、もともとの本能でか、自らの弱みをあけすけには言わない。

 そうか。そう。ならば、…………知っていても『入れない』者もいるのか。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る