憑依



 そんな、と呟いたつもりだったが、わなないた唇から出たのは震えた喘ぎだけだった。

「お前はどちらに従う?」

 目の先には血まみれで倒れ伏した上役。さっき、たった今しがたまで談笑していた相手はぴくりとも動かず、もう事切れていた。

「一応はお前も同じヒュンノールの奴隷。メフタスさまの傘下にくだるなら大いに用いられるだろう。どうだ、イシグ?」

 イシグは刃を突きつけられた喉頭を上下させた。

「はじめから、そのつもりで……」

「細かいことは俺も知らん。だがこれはいい機会だぞ。功を挙げればもっと取り立てられる」

「…………断れば」

「ここで殺す」

 イシグは汗が目に入るのも構わず一度睨み、それから大きく息をついた。

「どうなんだ」

「……ひとつだけ教えろ。造反して城を占拠して、それからどうするんだ」

「我らの新たな王をお迎えし、新生アニロンを誕生させる」

「新たな、王……?」

「すぐに答えろイシグ。仲間と共に大望を成すか、もとは敵のアニロン人どもにじゅんずるか」

 鋒先きっさきがぷつりと皮膚に刺さった。

「…………わかった…………」





 なんてことだ、と脂汗を拭いながらよろめく。

 粛清は突然始まった。あちこちで悲鳴と怒号が聞こえ、アニロンの兵や大臣が次々と殺されている。男だけでなく、おもだった女官や下女までもが逆らうならば容赦されないようだった。

 王はいない。王軍大将マクプンのジンミーチャも。ンガワンは。祭司たちは。


 ――――まさかメフタスが裏切るなんて。


 そもそも、ヒュンノールとアニロンの戦が始まってから最初に寝返ったのはメフタスなのに。再びの背反、仕える国への二度目の翻心ほんしん

 どうして。メフタスは生粋のヒュンノール人で由緒正しい貴族の出、忠にあつく情を知り、配下や領民からも人気があった。何よりオグトログイのおぼえがめでたかったから南の要衝を任せられていたのだ。

 裏切るにあたりメフタスは親族の長である父親の首をアニロンに差し出し、迎合は嘘偽りないことを証明した。

 それなのに、また軽々しく大事を引き起こして、いったい何がしたいんだ。



 胸のむかつきを耐えてうまやに行くと、繋がれた大きな犬の前に誰かがうずくまっていた。

「……リメドさま……?」

「イシグ」

 今にも卒倒しそうな青い顔のリメドは震えながら見上げる。

「良かった。無事だったんですね」

「剣を突きつけられて、他の女官ヨモたちが逆らわないよう命令しろ、と……」

 嗚咽おえつを漏らした。

「それで、どうしたんです?」

「これが廊下に落ちていたのよ」

 リメドは怯えて左右を見回し、腹に抱えるようにした両手の中身を見せた。

「これは……ツェタルの護符グミ

「ええ、私が作り方を教えたの。ようやく出来て、大祭主シェンラプに祈祷してもらいたいと」

 イシグはリメドの両肩を押さえた。「それはいつのことです」

「つい朝のこと。新年ロサルの日みたいにいつまでも帰ってこないから不安になって城じゅうを捜していたら」

 バウ、と犬が吠えた。何事かをうったえる片目を二人で覗き込み、グミを凝視する。

「まさか、また誘拐?」

「どうしましょう、どうしましょう。ゲーポもおられず、城はこんなことになって」

 イシグはリメドを立たせた。「とにかく、リメドさまは戻ってください。いま城の下官たちを守れるのはあなただけです」

「イシグ。あなたは味方?――いいえ、答えなくていいわ。あなたが心の澄んだ者であるのは分かってる。優しいのもね。私たちのことはいいから、自分が死なないよう最善を尽くして。セルラーパにグミを嗅がせようと思って来たのだけど」

「……俺がやります。ツェタルを見つけたら、一緒に逃げます」

「敵の目的はまたあの子だと思うわ。それに……裏切り者の主導者はヤソー・メフタスだけじゃない、きっと」

 お願い、とグミを握らせた。

「どうか一刻も早くゲーポを呼び戻して」

「やってみます」

 そうとしか言えない。リメドも無理を言っていると分かりながらどうしようもなかった。



 リメドを去らせ、セルラーパの前に膝をついた。

「セルラ。ツェタルがどこにいるか分かるか?」

 鎖を外し、グミを嗅がせたが、きゅうぅ、と高い声でいた。

「お前でも無理か……」


 しばし悩む。セルラーパに走らせてセンゲに危機を伝える?セルラーパは体力も速さも馬ほどあって賢いからおそらく東城シャル・ゾンまで走れはするだろうが、もしツェタルがまだ近くにいるのなら捜そうとするはずだ。すでにそこらじゅうを嗅ぎ回っている。


 自分が消えれば追っ手がかかる。が、そもそも監視が増えた城門を何食わぬ顔して突破出来るとも思えない。殺されなかったのはひとえに元同国人であるという、ただそれだけの目こぼしだ。でなければ王の小姓であるのに見逃されるわけはない。裏付けとして城に残ったアニロン人の同輩はまだとおの少年さえ殺されている。であるなら、城からそう簡単には出られない。

 ここから動けない。しかしどうにかセンゲにこの状況を知らせなくてはならない。


 どうする、と眉間を揉んだ。次の瞬間、頭を殴られたような衝撃が走った。



「……セルラ……、わたし」



 誰が話している、と首を巡らせようとしたが不可能だった。目はセルラーパを見つめ続ける。

「わたしだよ、わかる?」

 じぶんの声だ、と気づき、驚嘆した。


(――――ツェタル⁉)


 何年かぶりの憑依。イシグは慌てて話しかけた。


(ツェタル、お前いまどこにいる⁉)


「セルラ……おまえはなんとか、逃げて。じゃなきゃ、殺される」

 イシグの身体からだを借りたツェタルの手が弱々しく忠犬を撫でる。


(ツェタル、おい、お前どうなったんだ?城の中にいるのか⁉)


「わたしの身体からだ、すっごく冷たくて、もう動けない」

 こちらの声は聞こえないのか。初めて知った。目がまぶしげに空を見上げた。

「……イシグ。聞こえてる?とどかない小さい窓から、太陽が左に下がって、祈祷旗ルンタが右向きになびいてる……それしか、わから、ない。入口は、鉄の柵。鍵が、掛かってる」

 がくり、といきなり意識が落ちた。


「――――ツェタル‼」

 叫びが戻ると同時に頭の痛みに吐いた。周囲をぐるぐると回るセルラーパにすがり口を拭う。

「あいつは、とにかく生きてる」

 しかし寒くて動けず弱っている。イシグは高速で思考を巡らせた。

「太陽が左に、ルンタが右に…………」

 それだけではどこにいるのかも分からない。

「窓……『とどかない』?」

 はっとして城内へ続く階段を駆け上がり、踊り場から身を乗り出す。

「ツェタルの背では届かない位置の窓」


 通常、アニロンの民家は壁の石組みをめ外した吹き抜けか木枠を取り付けた透かし窓、長い冬季から短い夏になるまで厚い獣皮で覆う。それに高くも小さくもない。

 城内において外が見られるのは、窓の並ぶ廊下と一階の出入口だけ。個々の部屋は基本的に窓が無い。ツェタルのいる場所のものに覆いはなく、それは彼女がよじ登れないほど高い位置にある。

 見える景色は太陽と旗、王城は小高い山の上、周囲は九つの大塔と七つの小塔が取り囲む。


 民家でも廊下でもなく、届かず、小さい窓。


「塔の中だ…………‼」




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