初動



 今の話でそういえば、と思い出した。

「あんたはさ、最初に大君主デルグに逆らってアニロンの味方しただろ?それも自分で決めたんだよな?後悔とか、してない?」

 メフタスは少し驚いたようだったが、もちろん、と頷いた。

「自分のせいでヒュンノールの兵士が死んだのに?」

「それを言い出せばきりがない。戦とはそういうものだ」

「どうしてデルグの言うことを聞かなかったんだ?」

「そなたにとっては良いあるじだったのかもしれないが、あの方から離れれば離れるほど残酷さは目についた。南域は土が凍りきらぬから少しは耕せる。それで大量に奴隷を送られたものの、数にかこつけて反乱が耐えず、俺は上からの圧力とその対応に板挟みになった」


 それで、とメフタスは一拍黙った。言うべきではないと迷ったようだったが、結局は静かに続けた。


「ある日デルグが巡察に来て、病気と不具の奴隷を引き出してその場で埋めた。今後はこのようにして良いと言ってな。それを俺たち軍兵にではなく奴隷どうしでさせた。足手まといを処分した者には報賞も出す、と。奴隷は互いを監視し合い、殺し合ってさながら地獄だった。だが耕作は驚くほど進んだ。なまければ病だと判断されてしまうから」

 見ているこちらが恐ろしかったぞ。溜息を吐いた。

「あれではすぐまともでなくなる。仲間同士でおとしめ、食べ物が無くなればくじで間引く者を選んだりして。……人を人とも思わぬデルグは広大な北の大地を治めるヒュンノールの君主としては相応ふさわしかったのだろう。しかし、俺はそういうやり方には賛成できなかった。だからアニロンの侵攻はちょうど良い機会だと考えたのだ」

 ツェタルは言葉もなく俯いた。そんな非道ひどいことを、オグトログイが。メフタスは嘘を言ってないようだった。ならば、本当にあったことなのだ。

「知らなかった……」

「だろう。そなたはあの方の〝足の裏の眼オルヌド〟としてただ言われるまま何も考えずに敵を踏み潰すよう教えられていたのだろうからな」

 無理もない、と腰を上げた。「誰だってそなたの不思議な力は便利だと思う。無敵に等しいゆえ、こと戦においては何としても手に入れたいと望む者は後を絶たない。あの荒野の人ドクパたちのように」

 どこか殺伐とした声音に肩身が狭くなって膝を抱えた。

「わたしだって、へいきでやってたわけじゃ、ないもん……」



「――――そなたが平気だったか、心を痛ませていたかどうかは関係がない」



 するりと何気なく伸びてきた手に反応できなかった。

「敵を混乱させるその眼の力はあまりに危険であまりに魅惑。諸国の王がそれを知ってほうっておくわけがない」

 ぐっと喉が詰まって咳き込むが、締めつけは緩まない。

万物眼ばんぶつがんを所望する中には、俺のような小物にまで大枚をはたいて懐柔してくる者もいる」

 そのまま持ち上がって慌て、どこにも触れない足をばたつかせた。苦しい。呼吸ができない。ならば、こいつの中に……!しかし、メフタスは先ほどまでとまるで変わらない落ち着きでツェタルを壁に押しつけ、さらに力を込めた。

「いま俺に『入れば』このまま絞め殺す。……俺はアニロンを好機とみなしたが、べつにれ合うつもりも無かった」

 冴えた声が耳の奥で、ぐわんぐわん、と鳴って響く。

「もともとヒュンノールは長くないと予想はついていた。所詮はデルグ一人によって成り立つ図体がでかいだけのもろい国、よほど賢く立ち回らねばそのうち無駄死にするのは目に見えていた。……それに、強さを底上げしていたのはそなただったからな。それが分かった時点で興醒きょうざめした。ならばここで国に尽くして死ぬよりもっと有意義なことがあるはずだと考えるのは当たり前のこと」

 遠くで、ちゃりん、と軽い音がした。メフタスの話はほとんど聴けなかった。どくどくと激しい拍動、体に力が入らなくなって眼が霞む。抵抗していた両手をぶらりと下げた。

「あと、無知であることは必ずしも免罪とはならぬ」

 薄れゆく視界に裏切り者の笑みが風にまぎれ、意識は闇の底に沈んでいった。




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