去来



 吹き抜けの石組みの窓は壁の厚みぶん外と距離がある。ちょうどツェタルが座って楽に背を伸ばせるくらいの大きさのそこによじ登り、ぼんやりとかさつく風に吹かれた。

「もう東に着いたかな……」

 見納めに自分へ振られた逞しい手を思い出してなぜか胸がシクシクとした。オグトログイが狩りに連れて行ってくれなかったときみたいだ。


 あの時はひどい熱を出していて、〝足置き〟になってから初めて七日も会えなかった。

 久しぶりに玉座へ這い寄ると大きな鹿の毛皮を放られ、土産みやげだと言われたのを覚えている。嬉しくなってオグトログイの脚をくるんだら、お前の着るものにしろ、と無表情のなかにどこか苦笑したふうをそこはかとなくにじませていた。


 あのやりとりがたとえあるじにとっては嘘っぱちのままごとでも、自分の気持ちのほうに偽りはなかった。彼の役に立つことが誇りで幸せだった。


 でも――泉のほとりで語られた言葉を思い出す。確かに、蹴られたり冷たくされると怖くてどうしようもなくなって、何も考えられなかった。頭の中は真っ白で、ただ、従わねば、と恐怖から逃れようと必死になった。無視を決め込む主に喉がれるまで謝っていた。王に嫌われるということはすなわち死、それを飽きるほど見てきたから、そもそも〝足置き〟である自分に疑問すら抱かなかった。抱かないようにしていた。逃げるという選択肢さえ思い浮かばなかった。あの生活が自分にとってのふつうだった。


 センゲは違う。今まで接してきたどんな人間よりも優しい。優しくて厳しい。厳しいが、厳しくするのにはきちんと理由があって、それはこちらのことを思いやって考えてくれているのだと理解させてくれる。だからなのか、彼の存在はすとんと入ってきた。オグトログイを殺した張本人で、憎むべきかたきで決して受け入れてはならない相手だったのに、いつの間にか心の一箇所を占めている。不思議だった。

 殺してみるか、と真正面から見つめてきた目が忘れられない。あんなに長い間だれかと見つめ合ったことはなかった。だって皆、この眼を嫌がる。オグトログイでさえ覗き込んだりしてこなかったこの赤い眼。センゲは、怖くなかったのだろうか。


「帰ってきたら訊いてみよう」


 東城シャル・ゾンまではここから馬で十日程度と聞いたから、おそらく到着してドーレンの使節と会っている頃だろう。

「着いたらラクパシンパを飛ばせって言ったのに忘れてるな」

 ラクパシンパが帰ってこなければ護符グミを送れない。

 でもなあ……。深く溜息を吐いた。


「一丁前に悩み事か」


 声に弾かれて振り向けばぎょろりとした目がためつすがめつした。「ここで何をしている?仕事はどうした」

「休憩だよ。そっちこそ、一人で城を守ってるの?」

「昼と夜交替で。ちなみに、ンガワンどのは正月にろくに休めなかったため今日まで休暇だ」

「どうりで静かだと思った」

「俺もなぜそなたがいつまでもここに居られるのか合点がいった」

「ガミガミうるさいのがいなくてせいせいする。わたしは大祭主シェンラプのところに行ってたんだ」

「ほう?」

 メフタスは同じ窓辺の向かいに腰を降ろす。

祭司シェンたちは忙しいのではないか」

「うん、忙しかった。なんか占いが上手くいかないって。それで……」


 ツェタルはさっきの占断をかいつまんで説明したが、自分で言うにつれ腹が立ってきた。


「なんか、まるで悪いを出したわたしのせいみたいな空気になった。あっちがさせたのに。シェンラプは半ベソだし他は冷たいし。結局追い出されてグミを祈ってもらえなかった」

 唇を尖らせるとメフタスはくつくつと笑った。

「悪い結果が続けば気鬱になるものだ。特にそれを生業なりわいにする者はな。あと、グミはシェンラプの霊力がなくともきちんと主を守るだろう。なにせ作ったのがツェタルそなたなのだから」

「でも王が死ぬって占ったんだよ?」

「占いは所詮、これからの行動や指針の方向性を強めるものでしかない」

「あんたは信じてないってこと?」

 いいや、と首を傾げた。「信じていないわけではない。ただ、占いの結果に振り回されて今後のふるまいを意思なく決めるのではなく、己の心できちんと見定めたものを目指して進みたい。そう思うな」

「そっかぁ。でもさ、決めたことが間違いで、やっぱり占いの言うとおりにしてればよかった、って後悔したらどうするんだ?」

「それは逆になっても同じだ。占いに従ったとして不満足に感じれば、今後はどうするのかとなる。ようはどれだけ重きを置くかという話になってくるだろうな。本人の感じ方も様々だ。アニロン人は迷信深くてさっさと決めてしまえばいい事柄にもいちいち伺いを立てるが、それは他人への愛の深さゆえもある」

「あいのふかさ?」

「誰かが理不尽に苦しめば共に悲しみ、吉事があれば皆で祝う。自分のせいで周囲に迷惑をかけたくないという思いが強いゆえに、なおのこと人の理解を超えたなにがしかの導きを求めるのかもしれない。半分決めてもらったことなら誤ったときに少しは心軽くいられようし、逆なら祝福されたと喜びもひとしおだろう」

「ゲンキンだなあ」

「そなたが言うか。ゲーポにイチゴで釣られたのだろう」

「なっ、あいつ話したのか!」

「まあ無理もない。人間食わねば死ぬのだからその危機を救われたとあってはな」

 そんなんじゃないけど、と頬を膨らませたが完全に否定もできなかった。




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