誓約



 馬を下りたツェタルは自分を呼ぶ大声に驚いた。センゲは問答無用で抱き上げ、抱きしめた。

「わっ、お、おろせ」

「すまなかった」

 耳許みみもとで苦しげに言った。「怖かっただろう。独りにしてごめんな」

 切ない声音にツェタルもつられて涙腺をゆるめる。

「なんで、あんたが謝るんだ」

「守ってやれなかった。俺を恨め」

 しゃくりあげそうになる喉を締め、思わず逞しい肩に顔を押しつける。センゲはまた痩せてしまい骨ばった小さな背を撫でながら周囲に頼んだ。

「少しだけ時間をくれ。すぐ戻る」



 泣きやもうと必死で、気づけば運ばれるままに城へ登り、裏から出て山を下っていた。

「なあ、どこ行くの?」

「もうすぐだ」

「あのさ、自分で歩けるんだけど」

「このほうが早い」

 そう言われては反論できない。力強い腕は安定していて落ちそうだなんて微塵も思わなかったが、でも、どうにもそわそわする。衣越しでも分かる厚い胸板も、柔らかい白銀の毛房もなぜか触れているところだけ火にあてられているみたいだ。

 なんでだろう、と無性に後ろめたくなって唇を噛みしめた。オグトログイに褒められたときみたいに嬉しくて頭がふわふわする。のに、意味もなく恥ずかしい。この男の顔をまともに見られない。


 そんな自分に焦っているうち、いつの間にかセンゲは立ち止まっていた。

「着いたぞ」

「ここ…………来てよかったのか?」

「入らなければ大丈夫だ」

 いつぞやの泉だ。澄んだ小ぶりな碧潭へきたん、ちょうど木立の下になって雪が被っていない枯葉の絨毯じゅうたんにセンゲは上着を脱いで敷き、ツェタルを座らせた。

「あんた風邪ひくぞ」

「心配ない。それよりお前のほうこそだ」

 後ろから囲われてちんまりとちぢこまる。

「これなら寒くないな?」

「うん……」

荒野の人ドクパたちに非道ひどい目に遭わされなかったか?」

 頭を撫でられながら黙って頷いた。「毎日働かなくてもいい、居るだけでいい、って……でも、そんなうまい話あるわけない。だって、わたし……」

 語尾を消したツェタルにセンゲは静かに返した。

「眼の力があるから?」

「…………うん」

 互いに沈黙し、やはりセンゲが口を開いた。

「ひとつ、こくなことを訊いていいか?」

「なに?」

「オグトログイから逃げようとは思わなかったのか?」

 視線を水辺にさまよわせ、両膝を引き寄せた。

「おも、わなかった」

「お前の力はお前自身も傷つくということを、あの男も知っていたのだろう?」

「傷ついてなんか、ない」

「いいや、どうしたって傷つく。今でもよくうなされているとリメドから聞いた」

「へいきだ。だってわたしは大君主デルグの役に立ってた。それでいい、よくやった、って」

「俺は死んだことがないから死ぬ時の気持ちや痛みは分からない。だが、それは何度も味わうものじゃない。人はそれに耐えられないから死ぬのだ。他人の体を乗っ取ってそんなことをもっとやれと命じた主人を、お前はなぜ慕う?」

 ツェタルは振り返ってめつけた。

「デルグはやれとは命令しなかった!わたしができると言ったから、賢くて優秀だ、って」

「何度も死ねと?……ツェタル。オグトログイはお前が求めていたものを真に与えたか?本当に大事に思うなら、愛しているなら辛い思いをして欲しくないはずだ。足蹴あしげにせず、膝の上に抱えて頭を撫でる」

「なんだよ、今のあんたみたいに、って?わたしはデルグのいちばんだった。わたしもそう。最後まで一緒だった。それをあんたがっ……!」

「お前の主人はお前が大事だったわけじゃない。お前の持つ万物眼ばんぶつがんの力を手の内におさめておきたかっただけだ」


 俺に言われずとも分かっていたはずだ。ひたと見据える目が泉の色を映してめていた。

 熱は急速にこごえていき、まるで逃げ場のない崖っぷちに立っているような心細さを感じてセンゲの腕の中から逃れようとした。だが、許されなかった。


「はなせよ」

「ツェタル、目を覚ませ。俺はお前の主人を殺した。もういない。だから忘れても誰も怒らない。いつまでも影に怯えなくていい」

 じゃあどうして、と胸を叩いた。「じゃあ、なんでデルグは『もう何も見るな』って言った⁉ただの道具だったなら、力を使いすぎたら本体わたしの眼が見えなくなるなんてどうでもよかったはずだ!どうして使い潰さなかった⁉眼が痛いって言っちゃったから、役立たずになったから、デルグはお前らに囲まれて首を落とされた!わたっ…わたしの、オルヌドのせいだ!オルヌドのせいでデルグが死んだのに忘れて生きられるわけないじゃないかっ‼」

 声をあげて泣くツェタルをセンゲは抱き寄せた。

「俺を呪うためだ。お前でアニロンを呪うためにお前とお前の眼を生かした。ツェタルがわざわざ復讐しなくてもいいように、いや、むしろツェタルを復讐そのものにしたんだ。あの男は」


 最期を超えた今にまでいやらしく干渉してくる。ツェタルの健気な赤心こころにつけ入って、決して消えない罪悪感でがんじからめにして。


「わたしのせいだぁ……‼」

 むせび泣くツェタルをセンゲは真上から見下ろした。

「お前のせいじゃなく、お前を正しく使わなかったオグトログイの自業自得だ。死んだのはツェタル自身のせいだと植えつけたあの男が悪い。お前はなにひとつ悪くない」

「……ひっ……う……デルグは、悪くなんか」

「まだ言うか」

 頑固なやつだと呆れ、ひょいと横抱きにした。少々雑に涙を拭い、自分の目を示した。

「では主人の仇討ちに今ここで俺を殺してみるか?もともと殺したがってたろう。少しは憂さが晴れるやもしれんぞ」

 盛大にはなをすすった。

「……しない」

「なぜだ?」

「だってあんたは、……イチゴをくれた」

「…………ハッ」

 ハハハ、とセンゲは白い歯を見せて大笑いした。あまりに笑い続けるものだからだんだん腹が立って涙も引っ込んだ。

「なんだよ!」

「く……いや、すまない」

 優しげに目を細め、ツェタルの泣きすぎて熱くなった額に張りついた髪を払う。何事かを思い出し懐に手を入れた。

「そうだ、そもそもこれを渡そうと思っていたのだった」

「なに?」


 首に掛けられた紐、一つだけ通された石をためつすがめつした。明るい赤と暗い赤が混じり合う色、表面には白い縞模様しまもようが彫られている。


「セルラーパみたいに首輪を着ける気?」

「そうじゃない。これはお守りで、人質だ」

「どうゆう」

御霊神クラに誓いを立てた。アニロンの王センゲはツェタルを決して見捨てない。俺がお前を守り、お前もこれを守ることで俺の力となる。その石は俺そのものと思ってくれていい」

「よくわかんないけど、キレイだ。大事にする」

「それならよかった」

 さて、と立ち上がった。「少しと言ったがかなり待たせてしまったな」

「どこ行くの?」

 そういえば門前で今にも出発しそうだった。

「予定が二転三転してな。ドーレンの使節が都入りするはずだったんだが、途中で賊の襲撃に遭って今は東城シャル・ゾンで保護しているらしい。だからこちらから出向こうという話になったのだ」

 どちらからともなく手を繋いで歩きだし、ツェタルはなんとなく寂しくなって言った。

「一緒に連れてって」

「お前はやっと戻ったばかりだろう。よく休んでいろ」

「いつ帰ってくる?」

「それほどは。ただの機嫌伺いのつもりだったろうにドーレンも散々だな」

「ラクパシンパも行く?護符グミを作ったら送っていい?」

「ああ、待ってる」





「あの、えっと、……気をつけろ、よ」

 再びの城門で別れを告げた。センゲはツェタルの頬をつまむ。

「そんな顔するな。行きたくなくなるだろう」

「ち、ちがう!うるさい、さっさと行け」

 素直じゃないな、とわしわしと頭を乱して馬に跨り、ではな、とかかとを蹴った。

 ツェタルは見送りながら言い忘れたことを思い出した。

「あっ!――狩りの約束、ちゃんと守ってよ!」

 続々と進む隊列の先頭でひらひらと振る手が見えた。




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