勧誘



「乱暴な真似をして連れて来てしまってごめんなさい。けれど城の中じゃあなたに手が出せなかったから、仕方なく」

「どうゆうこと?なんでペジレット?」

「遅かったなペジ」

 女が抱擁を求め、ペジレットは微笑んだ。

「ただいま、ジナスタ」

「おかえり。カラスは持ち出せなかったか」

「オレのカラスうぅ‼」

「ごめんねカーカ」

 男に謝り、ペジレットは改めてツェタルの横に座った。

「私がアニロン人でないことは、あなたも知っていたわね。私の元の血筋はずっと遠い西の彼方。そこそこ大きい一族だったそうよ」

「オグトログイの曾爺ひいじじいにめちゃくちゃにされたのサ。それで捕まって犬より非道ひどい扱いを何十年も受けた」

「どうにかアニロンに逃げ出したけれど、もう住んでいた場所には帰れなかった」

 それから同じような流浪の民は大高原チャンタン周辺に広がった。


「チャンタンには、人は住めないって聞いた」

「そう。生きるには厳しい環境なの。それでも、行くあてのない私たちの同胞は荒野の人ドクパとしてそこで暮らすしかなかった。けれどね、今、ヒュンノールが侵略を繰り返して国を失った人々はあぶれて増えて、大きく強くなっているの」

 ペジレットはツェタルのいましめを解いた。

「それであなたに大事なお願いをしたくてここへ」

「なに……」

「ドクパの建国を手伝って欲しい。それだけよ」

「建国?」

「もう少し南下して豊かな土地で暮らしたいと思っているわ。子供も多いし」

 ツェタルは混乱をなんとか整理しようとした。

「えと……まず、なんでペジレットがドクパの仲間に?」

「もともとの同胞よ。私は先祖が受けた仕打ちと味わった屈辱を幼い頃から暗誦あんしょうできるほど聞いてきたわ。そしてジナたちと知り合って、今も満足といえない生き方に甘んじていることを知って、力になりたいと望んだのよ」

「アンタは勇敢だよペジレット」

「えらい!」

 ジナスタとカーカに褒められ、城にいたときには一切無かったはにかんだ笑顔を見せた。

 とにかくね、とツェタルの手を握る。

「ドクパをまとめる方に会って欲しい。会えば素晴らしい方だと分かるわ。ツェタルを〝足置き〟になんてしないし、下女みたいに働かせたりしない。約束するわ」

 ジナスタが湯気立つ薄い色の茶を差し出す。

「エズライル様っていう、アタシらドクパにとっちゃ女王みたいなひとだ」

「優しくて好きだァ」カーカがうっとりした。

「アニロンやドーレンはドクパがもう渡り合えるくらい強くなっていることを知らないの。今は力を温存して機会を伺っているところよ」

「……っ、それで、わたしに、敵に『入ら』せようって?」

 警戒するツェタルにペジレットは首を振った。「いいえ。エズライル様はなにより子供を大切になさる方。あなたの特別な力を知ってもひどい扱いはなさらないのよ」

「じゃあ、なんで」

「ボウズはアタシらのところに居てくれるだけでいいのサ。復讐したいなら手伝うと言ったが、何もしたくないならそれでいいよ。エズライル様の話し相手になってくれりゃ上々だ」

 にんまり笑ったジナスタ、頷くペジレット。茶を一口飲み、揺れて映る自分を見つめた。

「そもそも……ドクパのことなにも知らないし……」

「教えてやるぞ!まずなァ、ここはチャンタンに行く手前!ここから山を登る!」

 カーカがほかほかの肉包にくまんをくれる。「山を越えたら道も建物もないでっかい広いなんも無いところ、星を読みながら村まで帰る。村ではヤギをたくさん飼ってて、お前くらいのが世話するけどみんなでやるし楽しい。夜は母さんたちがあたたかい料理を作って待っててくれて、父さんたちは毎日土を掘って部屋をつくって、湖で塩をわんさか採ってくる。塩って分かるか?しょっぱいヤツ。ボウズは美形だから女たちがほっとかないぜ。まとめて十人くらいと結婚して子供をあげたら喜ぶ」

「カーカ。ツェタルは女の子よ」

 それにはジナスタも目を丸くした。「エエ?そうなのかい?」

「可愛いのは好きだ!」

「それでね、ツェタル。どうかしら?みんなで家族になれるわよ」

「かぞく……」

「ええ。一緒に寝起きして出来たてのご飯を食べるの」

 にこやかに言われ、思わず喉を鳴らしたのを誤魔化してさらに茶を飲んだ。

「眼は、どうなるの?それに女でも狩りとか、稽古とかできる?」

「どうもしないわ。少し赤いくらいでなんだというの?万物眼ばんぶつがんだって使いたくないなら使わなければいい。狩猟も腕を磨くのももちろん。男たちに混じって塩を採りに行くといい。とても綺麗なところだから見せたいわ」


 そんな心惹かれる生活が。――――でも。

「でも……そんなにいいところなら、わざわざ南に行くこともないんじゃ?南には南の一族が住んでるんだろ?一緒に住めるよう頼むのか?」

「そこはエズライル様がきちんと考えてくれているの。何も心配はいらないわ」

「ふぅん…………ねえ、便所に行きたい」

「先に返事を聞こうかしらツェタル」

 笑顔のままのペジレットにうすら寒さをおぼえた。

「便所に行ってから」

「それは無理なの、分かってね」

「なんだよ、やっぱりそれって……」


 ぐらり、と三人と背景が歪んだ。


「えっ……」

 かしいだ体をジナスタに支えられた。

「どうするペジ。もう少し飲ませておくか?」

「あまり眠らせると凍死してしまう。起きそうになったらまた飲ませましょう」


 ペジレットは完全に笑みを消していた。彫像のごとく感情を殺した顔は、城でよく見たおなじみのもの。本心と正体を隠すための偽りの仮面だったはずが、これもまた彼女の本性のひとつだったのか。

 騙された、また。怒りと失望を感じながら朦朧とし、カーカが「早く行こうぜ」とかす能天気な声が小さくなる。

 ふいに、さらに遠く扉の外、獰猛な犬の鳴き声が聞こえた。




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