五章

降神



「な……ドーレンだと?」

「見せろ」ンガワンがひったくる。舌打ちした。

「どうやら本物か。いきなり使節なんてどういうつもりだ?」

「名目上は新年の機嫌伺いといったところではあるが、ヒュンノールを討伐した我々の出方をみるための斥候せっこうだろうな」

 イシグが一人一人の顔を見て唾を飲み込む。東の大国ドーレンの使節をないがしろには出来ない。なら、ツェタルを捜す余裕などない。見捨てる?

「いつ来る」

「半月後です」「延期しろ」

 無理です、とメフタスは息をついた。「毎度のことだがドーレンには遠慮という言葉がない。変に挑発すれば本気を出してくるやもしれませんぞ」

「半月でツェタルを取り戻して帰ってくる」

「帰れなければ?使節は待ちぼうけ、馬鹿にされたと怒って朝廷にアニロン攻撃を焚きつける」

 ドーレンには即時宣戦の用意がある。北伐を終えたばかりのアニロンにすぐ相手をする余力は無い。こぶしを握り込んで黙った王に皆首を振った。

「いま城を留守にするのは非常にまずい。昨日街中で騎馬を走らせてしまい民にも不安が広がっておる。ここはゲーポとしてどっしり構えて頂かなくては」

「………………そうか。分かった」

 つかつかとンガワンに近づき、襟首を引き寄せた。

「命令だ。ツェタルを取り返してこい」

「はあ?なんで俺が」

「一から十まで説明させる気か?」

「………………」

 殺伐と睨む目をセンゲはただじっと見返した。そのまましばらく、やがてンガワンは離れる。盛大に溜息をついた。

「わかった、わーかった!ガキを引きずってきたら満足なんだろ、お前は。ったく、頑固な奴だ。ラクパシンパとデカ犬はもらってくぞ」

「頼む。……イシグ、ンガワンを助けてやってくれないか」

「ですが」

「ツェタルも気安いお前がいたほうがいいだろう」

「……はい」

 イシグは腰を折った。センゲがツェタルを諦めていないことに内心ほっと息をついた。

「ジンミの隊は念の為、都周辺をくまなく捜索してほしい。その後でンガワンの応援に」

 使節が来るならあまり将兵を欠かしたくはないが、敵が大高原チャンタンへ進んでしまうなら騎馬五万十万でも全く足りない。それほど荒野は広い。







 ある程度まとを絞る必要があるな、とンガワンは考え込んだ。バカ真面目にそこらをしらみ潰しで捜してたらじじいになっちまう。まずは情報収集だ。


 三日間、ンガワンは旅立たずであらゆる手を尽くして様々な話を聞いた。こうしていると昔を思い出す。


 センゲがまだ王太子だった頃からンガワンは彼の〝鳥〟をかって出た。今では信じられないが、センゲはもとは病弱で貧弱な王太子で、次代王位は異母弟のユルスンに渡るのではないかともっぱら噂されていた。

 加えてセンゲは常人が感じ取れない、いわゆる神霊や魔鬼のようなものにも敏感だった。あてられてかよく熱を出し、介抱していたのは遊び相手のンガワンだ。

 狩りや稽古が好きなわりに体はままならず、城から出られないセンゲのためにちまたの噂話を集めて聞かせてやっていた。それは互いに成長するにつれ、徐々に政事的な危うい内容をはらむものになっていったわけだが。

 だからセンゲが即位し、自分を将軍の一に据えると言われて正直戸惑った。



『俺が将軍?お前の密偵じゃなくて?』

『お前は俺より強いし兵たちからの人望もある。密偵にするのはもったいない』

 それに、と憂う眼差しであらぬほうを見た。『父上が崩御し力の均衡が崩れた今、いつ突然他国から攻めれるか分かったものじゃない。俺にはできるだけ多くの〝強い人殺し〟が必要なのだ』

『は。なんだお前、王になりたくなかったってのか』

 責任を押しつけられていじけてやがる。

『だから俺を巻き込むんだな』

『そうだ。王になっても俺は昔と変わらないぞンガワン。お前のほうこそ、これからも俺に恵みをもたらす大鵬キュンでいてくれ?』

『王サマは随分と偉そうでしかもクソみたいな性格してやがる。あれもこれもとそんだけ尽くさせて、さぞたんまり褒美をくれるんだろうな?』

『俺のありがとうが聞ける』

 呆然とした後、爆笑した。

『いつからそんなふてぶてしくなった』

 センゲもまた笑い含みながら額を寄せてきた。

『こんなことはお前にしか言わない。それで十分だろう?』

『ったく、しょうがねえ奴だ。――――やってやるよ、だから』

 お前がつくる国を俺に見せろ。





 粗末な磚石れんがの家の屋上へ登る。破れた旗が乾燥した風ではためき埃が舞う。刺すような寒さを感じていないのか、女は床に胡座あぐらをかいたまま、こちらが音を立てても振り向きもしない。


 しかし数歩近づくとようやく静かな声を発した。

「止まれ。瞑想ツァムのさなかである」

 頭の向こうからもうもうと煙が上がっていた。

「急ぎだ」

「そちはいつも生き急いでおるというのにいまさらわしに何を催促するというのじゃ」

「いいから質問に答えろ、ラマナ・ペマ」

 回り込み見下ろすと薄目で一瞥を返したが、また閉じた。

「かよわい雛鳥ひなどりがたいそう傲岸不遜になったものよのう」

「…………チッ」

 ンガワンは一度空を見上げて腹を括った。

「――――ラマナねえ

「うーん」

「偉大なラマナ姉上」

「ふーん」

「アニロン一美しい賢女ラマナさま、弟の願いを聞いてくれ、頼むから」

「やれ、しかたないのう」

 ラマナはにやついて今度こそまぶたを押し上げた。「儂はそちのことが手に取るように分かるのよ。ゲーポの拾いもののことだえ?大祭主シェンラプも占ったろう。この上さらに導きが欲しいのか」

「念には念を、だ」

 茶をそそいで差し出すも、ラマナは感謝の動作をしたのみで受け取らなかった。続きを促す。

「城からカラスが行き来してたはずだ。方角と目的地が知りたい」

「方角はともかく、目的地じゃと?そちは儂に神を降ろせと強請ねだっておるのか」

「アニロンで唯一の報魂師レウルンであるあんたにしか頼めない。最後のひと押しなんだよ」

「といいつつ、おおかた星を付けておるはずじゃろ」

「時間がねえ。確信が欲しい」

「そちは神霊を侮るくせに仕える儂には甘えるのよのう。つらの皮が天に届くのではないか」

「侮ってるんじゃなくて、特になんとも思ってないだけだ。あと口実だ、口実。半年ぶりに会えて嬉しくねえのか?」

「口実がなければ姉を捨ておく冷たい弟よ」

「ああ、もう。いいから出来るのか、無理なのか」

 ラマナは盛大に溜息をついた。

「そちは運がいいことに、儂はいま潔斎の身ゆえを招くに不足はない」

「なんなら大女神ギアルモでも大歓迎だ」

「ほんに不敬よの。しかし、その無窮むきゅうの愚かさゆえに神々は微笑む」


 ラマナはンガワンを伴って家の裏へ回った。ここは王都ではあるが郊外、中ぶりの湖の周辺に人はいない。水中にちかちかと泳ぐ小魚とさざなみと、頭上の雲だけが動いている。


 簡易の祭壇を調ととのえ、衣をあらためた。

「とはいえ長く招くには供物トルマが足りぬ」

「構わねえ」

 髪を引きずりながら水の中に入ったラマナは両手を上向け、祈りの文句を捧げながら進み腰まで浸かった。ンガワンは薫煙サンを焚き麦粉ツァンパを撒いて、それからじっと待つ。



 小魚とさざなみと雲が消えた。

 巫女は全身の力を失い、がっくりとうなだれた。



 何度経験してもこの儀式は慣れない。はじめの頃は、自分はおかしくなったのだと騒いだものだ。

 いや、おかしくなるのは確かだ、と冷静な頭でありえない光景を見据えた。

 今までと同じく、ンガワンの前、ラマナがいたはずの瑠璃盤るりばんのような湖面には、白い大蛇が出現していた。





「……カラスだがの」

「うん?」

 びしょ濡れの姉を背負って家に帰るとぐったりとしたまま呟いた。

「伝書ガラスかどうかは分からぬが、新年ロサルの夜明け、鳴きながら西へ一羽飛んでいった。身を隠せなかったゆえ、潔斎していたのだ」

「不吉か?」

「不吉も不吉。けがれた獣がやってくる前兆しるし

「穢れた獣?」

 ラマナは寝台に仰向けになったまま指を立てた。

「罪なき民の血をすする、たけり狂った化物よ。…………ンガワン。そちの主を喰わせてはならぬぞ、絶対に」

「もとより承知だ」

 ンガワンが力強く答えるとラマナは頷き、行くがいい、と別れを告げた。




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