忌憚



「はやく殺すのじゃ!」

 声をらして喚くのは巫師ハワドゥクモ。

「この魔犬は災いじゃ!はよう首を落として燃やせ!」

「ツェタルの札を着けたものを殺すのは禁忌だ、ドゥクモ」

 馬から飛び下りて呼べば、ドゥクモは変な声をあげてひれ伏した。

「およろこび申し上げまする、我が王」

「なにが」

 ひっひ、と見えない顔で笑った。「儂の言うとおり魔物のをお捨てになってようござりました。さあ、あとはこのけがれた犬を土に返すのです。さすればアニロンは真に安泰です」

 センゲは媚びへつらう老人の横を素通りし、唸りながら頭を振る巨犬の前に立った。

「……セルラーパ。お前の主人はどこへ行った?」

 セルラーパは激しく吠えたてた。

「分かるのか?」

 よだれを飛ばした二度めの返事に頷き、イシグを振り返った。

「セルラーパに案内を頼む。お前は城に伝令を」

「お待ちを。着の身着のまま、剣ひとつで何が出来るのですか」

「一刻も早く追わねば匂いが消える」

 中天を見上げた。すでに傾いてきている。

「しかし、単騎でもし何かあれば……」

「これ以上遅れればあの子の命さえ危ういかもしれない」

 イシグは思いとどまらせる上手い言葉が思いつかず泡を食った。まだ生きているとも限らないのに、と言いそうになり慌てて飲み込む。センゲはセルラーパの鎖に手を掛けた。

「戻っている暇は無い」

「――――なれば、我らを共に連れなされ」


 土埃を立てて群がってきた騎馬隊に人々が道を譲る。


「このジンミーチャ、ゲーポの槍となり盾となり申す」

「よく来てくれた」センゲはついに犬の鎖を放り捨て、馬に駆け乗った。

「精鋭五十騎で都じゅうを捜索いたす」

「城は」

「井戸やかまどまで調べたが、かの娘は見つけられず。後をンガワンとメフタスに任せた。イシグ、おぬしはこのままセンゲさまの伴をせよ」

「伝令は」

 ジンミーチャは空を指した。翼を広げ旋回するのはオオタカ。急降下し主の肩へと舞い降りた。


「行け、セルラーパ!」


 犬は一目散に大通りを疾走する。センゲたちはその後について馬を駆り、残りの兵たちは八方へ散っていく。

「ジンミ。ンガワンにくれぐれも注意しろと言ったか」

「無論。現在出入りは厳しく取り締まっておりまする」

「どういうことですか」

 訊いたイシグに揺れる犬の尾を見つめたまま説明した。

「ツェタルはおつかいを頼まれたと言った。ということは、あの子に近い女官か下官か衛兵か、城の中に裏切り者がひそんでいる」

「裏切り者……」

「あの子はたとえ相手が困ったふうでも、見ず知らずの大人の頼みを黙って聞くようなしおらしい性格じゃない。なら、騙したのは俺たちも見知っている者だ」

 イシグはたしかに、と納得したが、それでも首を傾げ今度は背後に呼びかけた。

「けれど、ジンミーチャさま。なぜツェタル一人のためにこれほど集めてくださったのです?たとえゲーポのお気に召した下女といえ大げさでは」

「これでもンガワンには渋られたぞ。それに、おぬしはとっくに知っていると思ったがどうなのだ?」

 訊き返されて息を詰めた。センゲも流し目してくる。

「イシグ。あえて問い詰めることもないと放っていたが、この際だから話してもらう」


 大通りの端まで来た。深夜にツェタルと別れた場所だ。セルラーパはそこらじゅうを嗅ぎ回る。


「ツェタルには他とは違う、特別な何かがある。そうだろう?」

「それは……」

「なにかの魔術か、はたまた神通力か。俺は、あの子に刺される直前で一瞬だけ夢を見た」

「センゲさまだけではない。我らアニロンがヒュンノールの本拠地を包囲し、かの大悪党オグトログイを討ち果たす渦中でも妙な事故が多々あった。幾人かがふいに倒れたり馬から落ちたり自刃したり。かと思えば怖いものなしで突っ込み、あるいは味方に斬りかかる。風邪もひいておらねば腹も下しておらぬ壮健な戦士たちが、だ。一時期攻めあぐねていた原因だ。その気狂きぐるいは伝染うつると広まって士気が見ておれぬほど下がっていたからな」


 セルラーパは再び進む。今度は時折立ち止まりながら慎重になっており、必然、後続も速度を落とした。


 馬上で挟まれるかたちになったイシグは俯いた。

「く、詳しくは分かりません」

「お前もかかったことがあるか?」

「俺は、」

 手綱たづなを握りしめ、しばらくしてゆっくりと頷いた。センゲは苦い息を吐き、ジンミーチャは眉根を寄せる。

「なんとも、危険きわまりない」

「すべてツェタルが?」

「……ゲーポ。お願いです。あいつを……怒らないでくださいというのは無理でしょうが、どうかひどい罰はおやめください」

「オグトログイの指示で?」

 ツェタルの過去を知る少年は痛ましげにして答えず、代わりに擁護した。

「俺は昔、あの力で助けられました。あいつがいなければ今こうしてここにはいなかった……」


 セルラーパがしょげた様子でセンゲの馬の下に寄ってきた。匂いが途切れたらしい。しかしともかくも街を出たあとの方角は分かった。


「西か……西城ヌプ・ゾンに連絡して見張ってもらおう」

「山脈を越えられたら厄介ですな。先はもうアニロンではないゆえ。しかし暗くなってきた。ゲーポよ、今日はここまでにして一旦出直すのが良いと思うが」

 ジンミーチャの実際的な提案に渋々頷くしかない。

「誘拐犯の仲間探しは?」

「それも難しい。今日は新年ロサルだぞ」


 おもだった領主をはじめ遠方からの使者や進物を持ち寄った各地の代表、商人から芸妓げいぎまで城にはいつもの五倍は人が出入りしていた。それら全てを閉じ込め尋問するなど不可能だ。

 きっともうすでにンガワンとメフタスは城からの流出を許しているだろう。


「今ここでどう捜索するかは決めきれぬ。ともかく戻って立て直しましょう」

「……ああ、そうだな」

 センゲは焦げつくような心をなだめて馬首を返した。




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