四章

新年



 アニロンの新年は突然始まった。深夜、すっかり寝こけていたツェタルは激しい爆竹の音で飛び起きた。

「な、なに?なに?」

「お寝坊さんのツェタル。あけましておめでとう」

「おめでと……?」


 隣の女官見習いも他も、もうすっかり着替え終わっていて頭に飾りを付けている。どれもこれもおろしたて、白粉おしろいを塗り赤いべにをさしていつもよりきらびやかだ。

「あんたは今日も男物を着るの?」

「……寝てたい」

 だめよ、と叱られた。「年初めの一日は眠らない。朝には王からお言葉もあるわ。それからひと月は宴。あたしたちはごちそうを作らなきゃ」

 はあ、と欠伸あくびした。宴?ひと月も?


「おまつり好きなやつらだな」

 特にめかしこみたくはなかったがリメドの計らいで新調した男物を着込み、うまやに行って愚痴をこぼした。相棒は城内には入れられないのでここが住処すみかだ。

「でもおまえにもとびきりいい肉をくれるらしいぞ。良かったなセルラーパ」

 わしゃわしゃと撫でてやると大きな尻尾で埃を掃いた。

「昼には舞踊レパがあってペジレットが出るって。それはちょっと気になるから見に行く」


 なんのかのと話しかけていれば噂の本人が通りかかった。


「ツェタル。その子の散歩がてら市場におつかいに行って」

「おつかい?いいのか⁉」

 城から出るのは久しぶりだ。

「でも独りで買い物したことないぞ」

「今日はお祝いだからみんな太っ腹よ。交渉しなくてもおまけしてくれる。おやつも買っていいわ」

「やった」

 財布を渡され喜びで顔がほころんだ。セルラーパも嬉しいだろうと覗き込んだが、なぜかペジレットに低く唸る。

「珍しいな、どうしたんだ?」

「ああ、さっきカラスを抱いていたからにおいがするのね」

 ペジレットは平然と眺め、「ではお願いね」と手を振った。



 新年の市場はいつもとは段違いに賑わっていた。夜中だというのに道が見えないほど混雑している。これでは相棒を連れて歩けない。

「しょうがない。セルラ、ちょっとここで待ってろ。先におつかいを済ませてくるから」

 水飲み場に鎖で繋ぎ耳の札を外して着けた。これならいじめる奴はいない。まあ、そもそもセルラーパにちょっかいをかけて怪我をするのは手を出したほうになるだろうが。


 いつもは聞き分けいい相棒はしかしツェタルの衣を引っ張った。

「なんだよ、おまえも行きたいのか。無理だよこの人ごみじゃ」

 それでもじっと見つめてくる片目は何かをうったえている。

「うーん、ここでおまえに『入る』のはなぁ」

「どこに入るって」

 背後からぬっと伸びてきた手がセルラーパを撫でた。「相変わらず大きな犬だ」


「えっ⁉なんで……」

 頭を毛帽で隠した王はいたずらめいて笑う。


「新年くらい外に出ねば息が詰まって仕方ないからな」

「いいのか?」

「朝までには戻る。それで?お前は何してる。リメドや他は?」

「おつかいを頼まれたんだ」

 胸を張って言ったが、センゲは首をかしげた。「独りでか?」

「ふたりだ」

 セルラーパを指したが勘定に入れない、ともう一度撫で、あたりを見回した。「本当に独りだけで行ってこいと?」

「バカにしてる」「心配しているのだ」

 手を差し出されて顔と見比べた。

「あんたも独り?」

「ああ、こっそり抜け出してきた」

「わたしに構ってていいの?」

 みなまで聞かず引いて歩きだしながら、センゲはいつもより砕けた笑顔で指摘した。

「怒っていたのだろう。俺に放置されていると」

「……もう慣れた。それに、あんたも忙しいって知ってるし」

 センゲは露店で肉揚餅シャパレを買った。

「では詫びに今日は付き合う」

「どうせ朝までだろ」

「なんだ、それほど俺が好きか」

「はあ?」

 頬張って肉汁を垂らしながら睨んだ。

「城の仕事を覚えたら、こんな付き添いじゃなくって、狩りに連れてってくれるって言った」

「言ったかな」

「言ったはず!」

 そうか、と穏やかに呟き、ツェタルの口許を拭った。

「少し肥えた。良いことだ。髪も伸びた」

 セルラーパにするようにわしわしと雑に撫でてきたが、札を着けていた耳たぶにはそっと触れられ、なんだかむずかゆくて首を竦めた。

 さらにセンゲはすれ違う人にぶつかりそうになるツェタルの肩を抱く。

「なんかあんた、大君主デルグみたい……」

「オグトログイもこうして自分の国の市を見て回ったか?」

「ううん、それは無かったけど、すごくたまあに横に座らせてもらったことがある。そのときは今みたいにしてくれた。ま、ぜったい撫でてはくれなかったけどね」

 センゲはまた、そうか…、と小声でこたえ、とりなすように言った。

「次の狩りには連れて行ってやる」

「ほんとう⁉次って、いつ?」

「あとふた月ほどしてから」

「最近家事ばっかりで弓も乗馬の腕も落ちちゃったかもしれない」

「きちんと仕事が終わった後なら城の鍛錬場を使ってもいいぞ」

 ぱあ、とツェタルの顔が夜市の提灯ちょうちんよりも明るくなった。

「うん……うん!」


 そこかしこで爆竹を鳴らす集団に混じって野次を飛ばし、縁日でしか見ない色とりどりの菓子を買い食いしながら二人でそぞろ歩く。市場が乱立する大通りを半分ほどまで来て、センゲは立ち止まる。

「なに?」

 再び頭を撫でられた。「名残惜しいがここまでのようだ」


 視線の先を追うと腕を組んだ目つきの悪いのが一人。センゲが手を挙げるとずんずん近づいてきて開口一番「ふざけんな」とがなった。

「黙って抜け出して勝手にふらふらするな。何かあったらどうすんだ!」

「何も無い」

「お前は自分がどれだけ大事な奴なのかもっと自覚しやがれ」

 爆竹に負けないほど大声で王を叱り、ツェタルをぎろりと見下ろした。

「ガキが夜中にひとりでほっつき歩くな。さっさと帰れ」

「まだおつかいが済んでない」

「ンガワン、ツェタルの買い物が終わるまでいいだろう?」

「だめだ。南の首長ゴパたちが来た。先触さきぶれせず来たあっちもあっちだが、王がどこにもいないと騒ぎになって俺は顔から火が出るかと思ったぞ。どうしてくれる」

 センゲとツェタルは笑った。

「お前の慌てふためくさまを見たかったな」

「見たかった」

 怒り狂うンガワンはセンゲを引っ張った。「とにかく早く来い!待ちぼうけを食らわすといまに城の酒樽が空になっちまうぞ!」

「それは困る」


 大通りを抜けきり、センゲは片膝をついた。

「独りで平気か?誰か寄越そうか」

「いらない。ひとりでできるもん。セルラも待ってるしさっさと買って帰るさ」

「そうか。そうだな」

 センゲはまだ後ろ髪引かれるといったふうに振り返りながら離れたが、ンガワンに問答無用で連行されていった。


「ふん。子どもみたいなやつ」

 にんまりして言い捨て、さあて、と来た道を戻ろうと足を向けた。……と、後ろに人が立っていた。

「…………?」

 避けようと右に出ればそちらも右に出る。左に出れば同じように。

「なあ、ちょっと」

 邪魔、と睨みあげたが喉を詰まらせた。真っ黒な服に真っ黒な帽子、顔も半分は襟巻で見えない。しかし目尻が細まったのは分かった。

「なにおまえ……」

 離れようとしたがいつの間にか裾を捕まえられていた。屈んできてびくつく。


「――――〝万物眼ばんぶつがん〟ってェのはお前だな?」


 聞いた瞬間、走って逃げようとした。しかし影のようなその男はぐわりと外套を広げ、視界をすっぽりと覆い隠す。

 はなせ、と言いかけた口は恐ろしい力で塞がれ、もがく手足もむなしく体は宙に浮き、それから意識はくなった。




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