三章

出仕



 じり…、と獣脂の灯火が燃えつき、室内に暗闇が満ちた。たゆたう煙が徐々に薄くなり、代わりに首を竦ませる冷気が忍び込んでくる。

 それでも、どっかりと椅子に座した人影は黙ったまま動かない。組んだ腕、指の先を規則的に打ちつけゆっくりと息を吐いた。


 そんな呼吸を五度ほど繰り返した時、気配がしたので「遅い」と低い声でなじった。


「いつまで待たせりゃア気が済むんだ?」

「そう言うなよォ」


 遅刻したほうは情けない調子で入口に座り込む。「目立たないよう行って戻ってくるのがどんだけ大変だったと思ってんだ」

「で、アタシをこんな寒くて埃っぽい荒屋あばらやに夜まで待ちぼうけさせたからには、たいそう良い報告が出来るんだろうね?エエ?」

「そうそう!出来るんだな、これが」

 予想通り、と笑みを返す。「アニロン軍はやっぱりアレをねぐらまで持ち帰ったみたいだ」

「ではアニロンの城にあるんだな?間違いなく?」

「間違いねェ」

 本当だろうな、と猜疑の視線を投げつつ、消えていた灯をけた。干し肉をしゃぶりだした手下を小突く。

「んじゃ、みんなを集めな。――――作戦開始だ」

 複雑な陰影を落とした顔は凄絶せいぜつに笑った。







 ツェタルはリメドがせっかく用意した服を床に投げつけた。朝も早くから叩き起こされて機嫌が悪い。リメドは腰に手を当てて激昂する。

「あんたね、いい加減になさい!」

「女の服は動きにくいからイヤだって言ってんだ!」

「イヤも何もないのよ!さっさと着替えなさい!」

 夜着を脱がしにかかられて抵抗し、リメドのすだれのように編まれた黒髪を思いきり引っ張った。

「イタッ‼信じられない、なんて乱暴な子なの!」

「ぜったい着ない!」

 布団を片付けている周囲の使用人たちは他人事でくすくす笑っている。

「あんたたちも見てないで手伝いなさい」

「ていってもねぇ」

「リメドさまさえ手を焼くんだからあたしらには無理ですよ」


 城は朝から忙しい。皆自分のことで手一杯だ。飛び出していくツェタルの後姿を眺めながら同年齢ほどの少女らはリメドに問う。


女官長ヨモ・ケンポ、ツェタルは本当に女の子なの?」

「残念なことにね」

「あんなに髪の毛の短い子、見たことない。可哀想に、ひどい仕打ちを受けたんだわ」

「けれどあの眼は気持ち悪いわ、赤黒くって」

「そのせいもあったのかしら」

 言い合う少女たちにリメドは手を叩いた。「無駄話はそこまで。仕事を始めなさい!」

 はぁい、と間延びした返事を背にリメドはツェタルの後を追う。彼女が勝手をして怒られるのは責任者の自分なのだ。



 ツェタルはツェタルで憤慨していた。ここはなにもかも違う。一つめ、まずひとりの部屋を与えられなかった。小鳥みたいにうるさい女たちとこれからずっと雑魚寝生活を送るという事実が耐えられない。

 二つ、仕事をしなくてはならない。その仕事というのが、やったことのないものばかりでぜんぜん分からない。もう七日になるが覚えられたのは水汲みと洗濯くらいで、料理や貴族への配膳は複雑すぎて頭に入らない。かまどの火入れさえ、石を使っても成功させられないでいた。

 そして最も腹が立っていること。センゲは自分を名付けた日から後のことをリメドや女官に託してまったく姿を見せないでいた。てっきり自分を連れ帰った彼のもとで彼のための仕事に従事するのだと思い込んでいて、まさかこんな雑用を毎日させられるとは毛ほども考えていなかったのだ。




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